図書紹介
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父と息子の歩いて語るリーダーシップ
(サンダー・A・フローム+ジョナソン・A・フローム+ミシェル・フローム著、 島田聖子訳、講談社発行、2008年05月26日、第1刷、229ページ、1,400円+税)

金子 雄二 ((有)フローラワールド):11月号

この本は、表題にある通り「リーダーシップ」のことを書いている。それも親子の経営者がリーダーのあるべき姿を山歩きしながらお互いを語るという試みをしている。リーダーシップといえば、プロジェクトマネジメント(PM)において欠かせぬ重要な要素である。このオンライン・ジャーナルで図書紹介をはじめたのが2001年5月(それ以前の雑誌ジャーナルでは、1999年から開始)からなので、7年強続けている。そこで、この連載で取り上げた本をジャンル別に見ると、PM関連が35%、経営関連が25%、IT技術及び社会的なトレンド関連が20%となっている。その中で、PMや経営のジャンルにリーダー(指導者)のことも書いてあるが、今回の本のように「リーダーシップ」だけをテーマにした書籍は5%である。筆者もこの類の本を多く読んでいるが、親子で語り執筆している例は殆ど記憶にない。父と息子、しかも同じ職業で同じテーマを論じるのは、世代を乗り越えてお互いの違いを語りあっている事になる。父親は、ニューヨーク州のコンサルタント会社の創業社長で、マーケテングが専門の65歳である。一方息子は、ノースカロライナ州でコンサルティング会社のCEOで、クリエイティブ・ディレクターとしてプレゼンテーションや執筆活動をする36歳である。共に独立した創業会社の社長として夫々独自の活躍をしている。

親子の考え方や行動の違いを「旧世代と新世代のパラダイム」として、表に整理してある。これによると経営上の考え方に幾つかの相違点がある。先ず会社収益の伸ばし方については、父親は四半期毎に収益を伸ばすとあるが、息子は収入の10%はチャリテイにあてる。次に会社経営のマネジメントは、トップダウンに対して合意形成(但し、責任はトップがとる)であるという。成功するチームづくりは、競争に対して協調であると息子は主張する。どちらがいいか、正しいかが問題ではない。時代の流れもあり、経営者個人の生き方、考え方、やり方の問題である。まさしく旧世代、新世代の現状を表している。別な視点から見ると、面白いことに信仰する宗教や政党支持まで違っている。父親がユダヤ教で共和党なのに対して、息子は禅宗で無党派と書いてある。どこかの国で最近就任した首相は、世襲議員で元首相のお孫さんにあたる。ある新聞報道によると、その内閣の二世議員は61%、世襲率は72%だそうである。個人会社の経営が世襲されても不思議な問題ではない。しかし、政治の世界で議員が世襲されることに違和感を覚える。どこかの国だけでなく、海の向うの国でも大統領が親子というのがあった。政治は血族でなく、天下国家のために政を行なって貰いたい。この点、この本の親子は、自立して会社経営をやっているので参考になる。

リーダーのターゲット     ―― 目標と勇気 ――
この本は、「リーダーシップ修行」として、9つの項目にまとめて書いてある。それも「P」の頭文字で表記される語句を選んでいる。この9つをここで全て紹介するのでは、この本の良さが伝えられない。そこで視点を少し変えて「親子のリーダーシップ観」を、ここでは、ターゲット(目標)、パフォーマンス(効率)、プルーフ(立証、結果)の3つに整理してみた。9つ全ての項目に興味のある方は、是非この本を隈なく読んでいただきたい。先ず、会社リーダーのターゲットは何であろうか。それは「会社を成功に導くこと」ではなかろうか。この本では、「会社のビジョンを継続的に伝え、社員がそれに賛同できる仕組みがあるかどうかである」と書いている。この中には、会社ビジョンが明確にあり、それを伝える組織的対応が出来ていることを意味している。だがこの本は、リーダーシップを論じているので会社ビジョンづくりには触れていない。むしろ「会社を成功させる目的」に力点を置いている。だから会社リーダーの目標(方向性も含めて)が明確化されていて、社員がその目的意識を共有していれば、大きな力となって「成功に近づく」ことになる。この点はごく常識的なことで、今更ここで論じるべきことではない。そこで息子は、この常識的なことが出来ていない現状の根源的なことから紐解いて、リーダーのあるべき姿を述べている。その考え方のベースは、禅の世界にあるという。「自分の意志を貫くこと(目的を達成する)は、エゴの束縛である。だからそのエゴを超えた目的でなければ、本当の成功には近づけない」のだそうだ。このエゴを超えた目的が、成功のキーのようである。

エゴだけを考えるなら、自分のこと会社だけのことになる。それを超える目的となると大きな社会的なものか、普遍的なものになるのだが具体的には、どんなものなのであろうか。この本では、アメリカのある団体(シェア・アワ・ストレングス)の理事が「世界中の飢餓を救おう」と宣言して、それを実現し25年経った現在でも変わらない活動が紹介されている。これは世界一流のシェフが、一番得意な豪華料理を作り資金調達パーティを開催する。その資金を飢餓と闘う実績ある組織に寄付するというものである。この成功事例から、非営利団体の崇高な理念と営利企業のビジネスが新たな「エゴを超えた目的」を達成した。他に、ニューヨーク市警察署の署長のことを紹介している。証人保護プログラム(法廷の証言者を保護する制度)の実行過程で、警察官と犯罪者の癒着を立ち切る意味で大幅な人事異動を断行して、警察本来の証人保護に全力を上げ断固実行した例を挙げている。警察としては、当然犯罪から市民を守る立場上やらなければならないことなのだが、過去の悪しき慣わしにメスを入れる勇気がなかった。この署長のやったことは、まさに過去のエゴを超えた目的の実行である。次に、目的を伝える仕組みの一つである「コミュニケーション」の重要性について書いている。会社の目指す目的が世の中の動きに合致しているか、ズレが生じていないか積極的にコミュニケーションすべきである。もしその目的に外れていたら直ちに「計画的廃棄」をする勇気が必要である。自然や社会や人生は変化することが普通である。その時、目的を諦めることも最高の起爆剤になることも説いている。

リーダーのパフォーマンス   ―― 集中と実行 ――
リーダーは、時として多くの仕事を多くの人とやらなければならない。その時、リーダーは何を基準に判断し実行しているのであろうか。その問題「Performance=効率、実行」についての原則的なことから紐解いている。限られたリソース(人・資金・時間等)の中で顧客のニーズに答えていかなければ、企業競争に勝ち残れないのが、会社(リーダー)の宿命的な立場である。そこでこの親子が語り合ったことは、息子の話す禅僧「趙州(ジョウシュウ)」のことであった。それによると、多くの修行僧が自分のすべきことに打ち込んでいた。しかし、新米修行僧である自分が何をすべきか分からず不安な気持ちで修行を続けていた。ある時、超州和尚に教えを請うと「粥は食べたか」と聞かれた。そこで「はい」と答えると、「それでは椀を洗いなさい」と答えたという。この何気ない会話から新米僧は、自分のすべきことが判りかけたと書いている。まさに禅問答であるが、この本によると「自分の仕事とは、その一瞬一瞬に求められたことをすることで、存在するのは現在のこの瞬間だけである」と解説している。この息子の話を受けて、父親は「リーダーのあるべき姿」を読み取っている。現代のスピードある社会で、限られた時間内で多くの仕事をこなすには、同時平行的なマルチタースク処理を普通に求められている。しかしこの処理方式で顧客本位の、独自で創造的な仕事が可能なのかと疑問を呈し、息子の意見に賛同している。

そこで親父としての仕事をする上で、過去の経験から「五原則」を作り、実行していることを紹介している。一番目は『「優の上」になるまで仕事を放棄しない』(=クオリティにこだわって仕事する)である。ここで「優の上」といっているものは、手を抜かない最高の仕事、現在あるリソース(技量やコスト、納期、品質)の最善のものであるとしている。仕事は量でなく質である。いい品質の仕事は、「信用」という大切な顧客との絆を生み出す。二番目は、『やるべきリストを毎日更新する』とある。社会、顧客との関係、社内の営業、生産状況等々は、日々変化している。従って、やるべきこともその状況に応じて変化させるのは当然である。しかし著者は、今日やるべきことに仕事のエネルギーを集中させるために、毎日を新鮮なものにする意味でリストの更新をしている。このやるべきリストの見直しには、新しい方法や解決策に加えて、「ライバルならどうするか」とリーダーの責任として常に考えていることも紹介している。三番目は『決まった時間にメッセージを確認する』である。これは一日の自分の仕事パターンを決め、集中度を高めるための工夫である。経営者やリーダーは、いつも部下からの報告や問い合わせ等に対して適切な指示が求められる。それも自分のスケジュールに関係なくやってくるので、それに対応する必要がある。だから、メールや予定確認等のメッセージ類は、仕事のはじまる早い段階に事前に処理して置かなければならない。先の趙州和尚が言うように、「集中する時は、一つのことだけに身を入れる」必要性を説いている。他に『仕事を楽しみ、会議を少なくする』等々ある。一般的、限られたリソースの範囲で効率よく仕事するためには「集中」が必要である。特にリーダーが求められているものは、自分や社会に対する価値の集中であると説いている。

リーダーのプルーフ    ―― 信条と信頼 ――
会社のリーダーをリーダーとして世間的に認知される尺度は、会社の業績である。その業績を維持・向上させるために求めるられるものに、経営に関する考えた方(この本では、信条=Principles)がある。この信条に関しては、概念的に会社やリーダーの「誠意と信用」を裏付けるもので、これが発揮されなければ職場では、リーダーはリーダーでないという。この親子の論議で、経営上の収益の伸ばし方の相違点を示した。この違いの原点は信条の相違に起因している。息子の収入を10%チリティーにあてる考え方(株主への配当は最後でいいという点)に反論している。ある会社の創業者の書かれた信条が、「第一の責任は、先ず顧客(医師、看護婦、患者)のため、次いで社員と地域社会のため、そして最後に株主のためである」を例に出しているが、これには大きな前提がある。それは『患者へのサービスが十分なら株主へのサービスも十分になる』という創業者の信念があるからだと強調している。即ち、創業者の率いる会社には、言行一致を実践してきた「信頼」がベースにあるからだと強調している。そしてこの信頼を貫くには、企業としての信条を実行することだと書いている。リーダーがリーダーシップを発揮することは、正しくあることではなく、正しく行なうことである。この点は、会社の体裁を整えるのではなく、普段から正しい行為を続けることである。そしてリーダーは、自らの信条を拠って、部下に説明してその方向に導く責任がある。信条を貫くには、その正しさを貫き通す信念が必要である。

最後に新しいリーダー像について触れている。仕事か家庭かどちらを優先すべきかという問題である。この問題は親子で随分論議されたようである。息子は、確かに利益も大切だが、現在の企業国家アメリカはその時代ではない。「仕事か家庭か」の選択を迫るべきではなく、「どちらも必要である」と主張する。一方、親父は現在の偉大なアメリカがあるのは、家庭より会社や株主があったからである。株主のニーズと利益確保を絶対に忘れてはならない。だから家庭の満足を優先して、株主の満足度を犠牲にする考えはあり得ないと真っ向から反論し、お互いに熱くったことが書かれてある。その後父親は「家庭と仕事のバランスにこだわっていると、深刻なリーダーシップ危機に陥り、インドや中国からのリーダーにとって代わられる」と懸念を述べている。息子は「父親の考えは杞憂である。家庭を犠牲にした結果、将来子供たちの規範や性格に影響を与える方が懸念される」と反論した。『親父の時代以前からも、家庭か仕事かの論議はあった。「どちらか」か「どちらも」かの論議は、これからも続くので結論を急がず両方を受け入れる必要である』と書いている。そしてこの本を書くにあたって親子で山を歩き、お互いに語り合って「その違いを乗り越える」努力を重ねたという。より高い目標をもって展望を求めることは、修行に近いものである。この修行は、リーダーシップを極めるPMの修業でも必要かも知れない。(以上)
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