P2M研究会
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プロジェクトマネイジメント(PM)における論理と感性について

梅田 厚彦:10月号

先日、カナダのトロント大学に娘さんを留学させた友人と話す機会があった。その時、友人が言うには、娘の専攻が“Arts and System”と言うことで嘆いていた。多分、この友人は、この学科が目指す学問の先見性と先進性を理解出来なかった故に、この嘆きの言葉になったものと想像できる。因みに、この友人はシステム工学を生業としている。不幸なことに、この友人は“娘が父親を完全に超越している”ことに気付いていない。この様な情景は、今や、日本では驚きに値しない位当たり前になっている。
 言うまでもなく、芸術とシステムはある意味で対極にある学問である。芸術は感性を基軸にし、システムは論理を基軸にしている。芸術とシステムの統合は、感性と論理の統合を意味する。既に、トロント大学では感性と論理を統合した学問の追究が始まっている。この背景には、論理の塊であるシステム論だけでは解決出来ない事態が生じていることを想起させる。すなわち、これは複雑問題への解答のために、感性の活用が必要になったことを意味する。
 翻って、このアナロジーでPMの現状を観察すると、論理とシステムの塊である米国産のPMBOKがグローバリゼーションの波に乗って世界を席巻している。PMBOKは、要素分解論に基づくシステム論がその中心にあり、極めて論理的である。しかし、システム的であり論理的であることが、強みでもあるが弱点でもある。論理とシステムは所詮手段であり、目的にはなり得ない。このため、PMBOKの体系では、目的を与えるオーナーの存在がPM外に想定されている。PMを取り仕切るプロジェクトマネジャーは、目的と言う土俵を限定され、その中で戦略を練り、PMBOKが準備した知識と道具を使って、目的達成に力を傾注する。従って、目的と言う土俵が与えられる場合には極めて強力かつ有効である。しかし、土俵を規定するのは、オーナーと言われる“主人=発注者”の意向や要求である。それは、常にオーナーの意を受けた“受動的な体系”になっている。
 しかし、PMの外の世界では、グローバル化により新しい商品や事業の創造が一層求められている。この様な潮流の中で、PMもオーナーからの一声を待っている受動的PMから創造に応えられる能動的PMの構築が求められるのは、自然の流れである。
 この流れの変化を受けて、米国のPMBOK体系の限界を克服する体系として編み出されたのがP2M体系である。P2M体系の本来目指すべき所は、PMBOKの“要素分解論”の限界を“要素統合論”で超克することにある。にもかかわらず、P2Mの現状は、PMBOKの分野に片足を入れながら、もう一方の片足で新たな土台を探している姿を想起させる。もっと、P2Mが得意と称しているプログラムマネイジメントとそれを支えている“統合の分野”に力を集中することが重要と思料する。なぜなら、“統合の分野”は、要素分解の分野とは比べものにならないくらい多元的な複雑系の世界であり、突き詰めていくと“人間の感性の世界”と深く関わる世界と考えるからである。
 もし、P2Mがこの人間の感性の世界を超克した暁には、荒涼とした論理のPMBOK体系に感性豊かなP2M体系を統合できることになれば、“品格のあるPM体系”の出現が可能なのではないかと夢見るのは筆者のみではないと確信しているからである。
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