ダブリンの風(63) 「北京オリンピック」
高根 宏士:9月号
このコラムを書いている現在、北京オリンピックの閉会式が放映されている。今回は中国政府の思い入れの強さから大変豪華なオリンピックであった。開会式も凄かったが、閉会式もいつ終わるかわからないほどの催しが続いている。金メダル獲得数が、はじめて米国、ソ連以外に移ったことでも歴史の転換を感じさせる。いよいよ中国の時代だということを世界に発揚している。中国の思惑は成功した。日本は単に東アジアの1島国に過ぎない存在になったようである。しかも中国や韓国の政府にとっては必要な時にスケープゴートにして虐めの対象にできるという存在でしかないようである。
ところで今回のオリンピックでの日本はどうだったであろうか。選手は結構頑張ったのではないだろうか。前半では北島選手の100m、200m平泳ぎでのアテネに続いての連続金、後半では何といっても女子ソフトボールでの優勝が感動を巻き起こした。上野選手というスーパースターの下、全員一丸となっての勝利であろう。勝った瞬間の解説者(アテネの時の監督)の絶叫がそれを象徴しているように感じた。またフェンシング男子フルーレでの銀は史上初であるし、陸上400mリレーの銅も男子トラック競技では史上初である。「素晴らしい」の一言に尽きる。体操男子の銀も立派だった。あのレベルの高い技が要求される中でよくやったとしか言いようがない。特に若い内野選手は個人総合でも銀という大きな成果を残した。
期待していたほどの成績を残せなかったので先ず挙げられるのは野球であろう。星野監督以下、金メダル以外はないといいながら銅も取れなかった。自分で自分を追い込んでそのプレッシャに押しつぶされたように見える。緊張感ばかりが目立ち、ソフトボールのような迫力と執念が見えなかった。打力の不振も采配のミスもそこから出ていたように思える。韓国の執念とバイタリティに敬意を表したい。
しかし総じて日本の選手は皆頑張ったと思う。それぞれが代表というプレッシャの中で何とか成果を挙げたいという気持は伝わった。それは野球も同じである。星野監督も選手と同じ心境で頑張った。勝敗は時の運である。皆さんに本当にお疲れ様と言ってあげたいと思う。
しかし今回のオリンピックで一つだけ許せないことがある。それはマラソンである。女子は野口選手が棄権。土佐選手が途中棄権であり完走したのは一人だけという、体たらくである。男子も似たようなものである。一人が棄権、一人が完走はしたが、最下位である。ただし棄権した選手や成績が悪かった選手が許せないのではない。彼らは多分成績を残したいという一念から練習をしすぎたのではないかと推定される。そのために肉離れや外反母趾になったのは運が悪かった。選手には同情しても「許せない」などという失礼なことはいえない。
問題は日本陸連である。彼らを選抜したのは陸連のはずである。選抜したら後は選手の責任だというならば陸連など要らない。選抜した後、彼らをモニタリングまたはウオッチしていなかった。もししていたら選手の体調はわかったはずである。そして日本としての成績を挙げるためにはそこから補欠選手の起用があったはずである。女子も男子も補欠選手は出場しなかった。何のために補欠を作ったのか。今回のようなアクシデントのために補欠を選抜していたのではないか。陸連の役員は何をしていたのか。このように何もしていないくせに、選手よりも多くの役員が遊びがてら北京に行っている。今回のオリンピック予算はアテネの1.5倍と聞いている。しかしこの陸連のようなところにばら撒いては無駄である。成績が悪い場合、役員の出張旅費は自費にしたらどうであろうか。
ところでこのようなことはシステム開発やその他プロジェクトが走っている組織にはないであろうか。筆者の経験では陸連を笑えない組織が多いのではなかろうか。例えば同時に走っているプロジェクトの幾つかがプロジェクト崩れになっている組織である。その場合ほとんどがプロジェクトリーダやマネジャーが悪いということで一件落着になっていることが多い。しかしそれらのプロジェクトの70%以上は母体組織の長がきちんと見ていれば救える。
以前にある工場でプロジェクト崩れが頻発し、組織が麻痺してしまったことがある。本社の常務からこの事態を改善できなければ工場を潰すといわれた。そこでPMO的組織を作った。当時はPMOなどという英語はなかったので日本語の名称だったが。そして工場全体のプロジェクト横通し管理するようにした。途端にプロジェクト崩れがなくなったのである。対策は簡単である。横通し管理部門が工場全体のプロジェクトステータスを1ヶ月毎に公表したのである。公表の方法は交通信号である。順調なプロジェクトは青、要注意のプロジェクトは黄、危険なプロジェクトは赤で表示した。このステータスが公表された日の午後、工場を見回ると各システム部の部長は必ずレッドマークのついたプロジェクト対策の会議を開いていた。前年度まではそのようなプロジェクトではリーダやマネジャーが悩んでいるだけで、母体部門長は崩れてしまってから怒鳴り散らしていた。対策された後は崩れる前に母体部門長が一緒に対策を考え、部全体の力を活用するようになった。この例から
プロジェクト崩れは、プロジェクトマネジャーの選定を誤り、なおかつ選定の任にあった母体部門長がボヤッとしているときに発生する
という法則(仮説/経験則)が導かれる。
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