PMプロの知恵コーナー
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ダブリンの風(62) 「ジバング」

高根 宏士:8月号

 私は飛行機が苦手である。重いものが空中を飛ぶことについて、科学的、論理的な意味ではなく、単に感覚的、肉体的な実感から危険だと思っている。我々が歩いていて、体の具合が悪くなった場合、先ずは立ち止まる。次にしゃがみ込む。最後はそこで横になってしまう。電車に乗っていて、その電車が故障してしまった場合、ほとんどの電車は止まってしまう。歩いている場合でも電車に乗っている場合でも、自分の命がそこで直ちに奪われることはないと思っている。飛行機に搭乗していて、飛んでいる時に飛行機に故障が生じた時は歩いている時や電車の時と違って、墜落し、命を落とす確率は極めて高い。故障する確率は飛行機のほうが電車よりも小さいとはよく言われる。しかし故障したら手の打ちようがない。この「手の打ちようがない」ことが飛行機に乗ることに心理的拒否反応を起こさせるのである。
 したがって旅行や出張の時によほどのことがなければ飛行機は使わない。海外へ行く時は飛行機にせざるを得ないので緊張するが。周りの人からは笑われるが、博多へ行く時もJRの新幹線がほとんどである。ところでJRには全社共通に適用される「ジバング」というサービスがある。男65歳以上、女60歳以上ならば、会員になれば誰でもこのサービスを受けられる。基本的には1回200km以上利用の場合、運賃や料金が3割引になる。シルバー世代にとって便利なサービスである。このサービスは時間にも金にも余裕のあるシルバー世代のJR利用を推進しようとする意図から出ていることは明白である。シルバー世代で利用している人は多い。私も時々利用している。これによりシルバー世代が飛行機からJR利用へ多少は移っているかもしれない。少なくとも私のような人間は益々電車を利用しようと考えるようになる。
 ところでジバングには大きな制限がある。それは東海道・山陽新幹線を走っている「のぞみ」にはジバングのサービスを適用できないことである。東北新幹線を走っている同じレベルの「はやて」には適用できる。東海道・山陽では「ひかり」と「こだま」の利用になるが、「こだま」は各駅停車なので通常は「ひかり」を使うことになる。「のぞみ」が1時間に8本程度走っているのに対して、「ひかり」は2本ほどであり、しかも博多まで直通の「ひかり」はなく最も長いもので東京からは岡山までである。したがって岡山(または大阪)で乗り換えないとジバングのサービスで博多まではいけない。
 ジバングというせっかくのサービスを創出しながら、どうしてこのような致命的な制限を設けたのであろうか。現象面からだけ推察すると、JRのなかにはジバングを推進しようとするグループとそんなサービスをしても意味はないとするグループの確執があるように見える。「ひかり」はジバング利用者を「のぞみ」から排除しながら、サービスしていますといういいわけのためにお印程度に走らせているように見える。そうでなければのぞみに少し自由度をつければひかりは廃止しても差支えがないと考えられるからである。JR東海はジバングを利用させると売上が減少すると考えているのではないのだろうか。乗客数はサービスに関わらず一定と思っているのではないかと思われる。JR西日本は大阪から博多まで「レールスター」という軽快な「ひかり」を走らせている。JR東日本は「のぞみ」と同じレベルの「はやて」にジバングサービスを適用しているし、ジバングを拡大した「大人の休日」というサービスを提供している。吉永小百合がコマーシャルに出ているのでご存知の方も多いかもしれない。
 これまでのことは私の推定に過ぎないので誤っているかも知れない。しかし現象面から見たときにはサービスに対する考え方が各社、各部門によって違うように見えるということは、関係性マネジメントの顧客関係性から見て、あまりよくないのではなかろうか。窓口や車掌さんの態度は昔から見ると大きく改善されているが、企画や戦略を担当する部門はあまり変わっていないのかもしれない。もちろん各社は独立であるから、考え方、戦略、方針が違うのは当たり前である。しかし全社に共通したサービスで、それぞれの思惑が見え隠れしているのは顧客側から見ると、ばらつきのある分だけ、不満や疑問が残ることになる。顧客関係性に対する感度とプログラムマネジメントにおける最終価値(バリュー)に対する認識を強く持つ必要があるのではなかろうか。

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