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「ITプロジェクトの「早い,安い,うまい」に関する常識」

河合 一夫:9月号

 先月に引き続きに,岩波現代文庫から出版されている「共通感覚論」(著者:中村雄二郎,以降[中村]とする)を参考にプロジェクトと常識について考えてみる.今回は,ITプロジェクトにおける「早い,安い,うまい」と常識について考える.先月号でも述べたが,本小文の目的は,普段私たちが,深く意識をしていない『常識という知』を再考することで,プロジェクトマネジメントの本質に近づき,プロジェクトマネジメントの革新へのヒントを得ることにある.
 常識には2面性がある.1つは,“専門的な知識にくらべてありふれた知識,曖昧さを含んだ日常的な知識”であり,もう1つは“専門的知識よりも広く豊かな知識や,学問的知よりも洞察力にとんだ知としての常識”である.前者は“惰性化した社会通念としての常識”とも言われる.後者は,“豊かな知恵”とも言われる.また,常識には,その批判力がある.まっとうな社会的判断力がある.先月でも例としてあげたが,ITプロジェクトの常識の例として,『品質と納期とスコープはトレードオフの関係にある』と考えられている.これは,日常的な知識,惰性化した社会通念であり,ひとたびこの言葉がでると,納期を延ばすか,要員を増やすか(人をかき集める),品質を落とす(手抜きをする)というトレードオフの行動に出てしまう.また,ITプロジェクトの失敗の原因として,要求分析の甘さや計画段階での見積りの甘さや仕様変更の管理の失敗をあげる.これらは,惰性化したITプロジェクトの常識と化してはいないだろうか.
 少し前より,さかんに『見える化』という言葉を耳にする.見えないよりは見えた方がよいに決まっている.しかし,このこともTプロジェクトは見えないという常識(社会通念)のもとで安直に語られているものではないか.ITプロジェクトは見えないので,見えるようにしようという安直な発想に陥っていないだろうか.だから,『カンバン』といった製造業のメタファーを持ち込むことで見えるようにしようという発想にとらわれていないだろうか.視えたその先に何があるのか,そのことこそ議論すべきことではないだろうか.“学問的知よりも洞察力にとんだ知としての常識”でITプロジェクトを運営することが,新3K(きつい,厳しい,帰れない)といわれるIT業界の負の面への解決につながるのではないかと筆者は考える.
 「早い,安い,うまい」で有名な某企業がある.確かに,早いし,安いし,うまい.ITプロジェクトで,「短納期,低コスト,高品質」を実現するにはどうすれば良いのか.ここに一つのヒントがある.「初めて学ぶソフトウェアメトリクス」(著者:ローレンス・H・パトナム,ウエア・マイヤーズ,訳:山浦恒央,以降[パトナム]とする)では,「早く,安く,良く」の3つを同時に満足するための唯一の方法として,生産性を上げることだと述べている.以下に,[パトナム]に記述されている「早く,安く,良い」の3つの関係を述べた表を示す.
生産性と要望との関係([パトナム] 表4-1を参照)
要望 開発期間 工数 信頼度 大きさ 生産性
早い
良い
安い

この表は,早く開発するには,開発期間を短縮する必要性,規模を小さくする必要性があることを示している.一方,高品質なものや低コストでものを作る場合には開発期間を長くとる必要があることも示している.
 生産性を上げることを「日常的な常識」で考えると,人月あたりのコード行数や機能量を増すことであると考えてしまう.普通は,「一人あたりの生産量」を基本として考えているからである.実際には組織としての生産性を考えることが必要となる.生産性に代表されるTプロジェクトの通念化した常識に基づいてプロジェクトの計画を立ててしまうと,要員が不足しそうになれば,人をかき集める,納期が迫れば深夜におよぶ残業も厭わないという状況になる.そのような考えによるプロジェクトでは,先の3Kにつながってしまうのは必然である.実際には,サイズ,期間,工数の関係は指数項を持った式で表される(Putnamの式やCOCOMOなど)ことや組織としての生産性を常識として知った上でプロジェクトの計画を立てることが必要である.ITプロジェクトを変えるには,まず生産性の考え方から考え直す必要がある.
 1975年に出版されたブルックスの「ソフトウェア開発の神話」には,『豊かな知恵』が数多く記述されている.例えば,“遅れつつあるソフトウェア開発プロジェクトにおいては,人の増員はかえって遅れをひどくするばかりである”といったものである.アセンブリ言語から高級言語を利用するようになり生産性が格段に増加した.半世紀前のことである.温故知新,ITプロジェクトに関わるエンジニア,マネージャは,この半世紀を振り返ってみるべきである.そして今の常識を捨てて考えてみる必要がある.次回は,今話題の「工事進行基準」をITプロジェクトの常識の側面から考えてみたい.
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