PMプロの知恵コーナー
先号   次号

「エンタテイメント論」(5)

川勝 良昭 Yoshiaki Kawakatsu [プロフィール] :8月号

エンタテイメント論

6 日本と海外の観光事業
●日本の伝統的観光事業
日本の多くの伝統的観光地に於いて、今も盛況を極め、往年の賑わいを維持しているところは極めて少ない。何故なのか。その答えは極めて明確である。地球規模の国際観光事業競争に日本が負けたためである。

筆者を含め、多くの日本人は、相当以前から「国内旅行」をするか、「海外旅行」をするか、常に目的、日時、費用などを天秤に掛けてその選択をしている。一方伝統的観光事業の代表である温泉街経営者の殆どは、その国際競争の存在を認識しなかったか、認識していても現状維持に甘んじたか、とにかく国際競争に打ち勝つための決断と行動を取らなかった。

日本には、筆者が参画した「MCAユニバーサル・映画スタジオ」、「スペース・ワールド」、「ゼガ・ジョイポリス」の他に、「ディズニーランド」、「ディズニーシー」のテーマパークが存在する。それらの集客装置が毎年集める客数は膨大である。一方日本人が海外に観光旅行する数もこれまた膨大である。これらを合計した数は、日本のテーマパークなどの集客数を除いた国内の旅行者数を凌駕する。日本の伝統的観光地が疲弊した原因は、この一事をもってしても十分に説明がつく。

●国際競争の存在と現状維持の危険性への認識不足
日本の伝統的観光事業経営者は、危機感は十分以上に持っている。しかし彼等が観光事業に関する国際競争の場に晒されていることへの認識が不十分である。また彼等は、世界に対抗出来る観光客誘引力を獲得するため、既存観光事業を更に発展させたり、全く新しい種類の観光事業を創造したりする必要性を本当に認識している様には思えない。

どこの観光事業経営者も、相変わらず、温泉の効用、郷土の特産物の良さ、郷土の味などを訴えている。そのこと自体の必要性を否定するものではない。

しかし自分たちが幾ら郷土の良さを訴えても、その良さは、常夏のハワイのダイヤモンド・ヘッド、紺碧の空、そして素晴らしい海岸、米国ヨセミテ国立公園の生い茂った森林、美しい山々、見事に整備された森林浴空間と宿泊施設などと、「効果と費用」の観点から常に比較されていることを、ハッキリと認識すべきなのである。

筆者は、声を大にして訴えたいことがある。それは、日本も、世界も、恐るべき早さで、信じられない様な変化と変貌が起こっていることである。その変化は、目に見えるものと、目に見えないものがある。恐ろしいのは、本人は気付かない、目に見えない変化である。急激な激変の時代にあって、今日は明日に、明日は明後日に繋がるという「現状肯定」、「現状維持」の考えは、最も危険な考えであるということだ。

「伝統を守っている」、「郷里の良さを守っている」と考え、行動していても周囲が本人の知らない内に変化し、周りから取りのこされることである。その場合は、その伝統や郷里の良さすら守れなくなってしまう。

●日本の「原風景」の消失
日本の伝統的観光地は、残念、無念ではあるが、冒頭の通り、国際競争の場に晒され、敗北をきしているのである。勿論、何事にも例外はある。筆者の故郷である京都は、世界的な観光事業国際競争力を持っている。

しかし京都の主要な観光箇所の関係者が一丸となって更なる国際競争力の強化に取り組んでいるとはとても思えない。現状維持が精一杯で、何も新しい挑戦をしないと、京都といえども将来、国際競争力を失うだろう。
京都・嵐山・渡月橋
京都・嵐山・渡月橋
(筆者は、子供の頃、渡月橋の付近で泳いで遊んだ。現在、観光優先で遊泳禁止)

筆者が子供の頃に良く遊んだ京都の太秦(広隆寺)、嵐山(渡月橋)、嵯峨野(保津峡)の原風景は、有名スポット箇所のみを残して、とっくの昔、失われた。安っぽい土産物屋、ミニ乱開発の住宅が混在する通俗的で醜い空間に変質してしまった。

筆者が卒業した太秦小学校は、広隆寺の近くにある。また愛宕山を仰ぎながら毎日通った蜂ケ岡中学校は、古き良き京都の原風景の中に存在した。

筆者は、同中学校に通学する道すがら、片岡千恵蔵(かたおか ちえぞう)、嵐 寛壽郎(あらし かんじゅうろう。アラカン)などの憧れの俳優にしばしば出くわした。彼等は、一様に「オハヨウ。勉強しろよ」と気軽に声を掛けた。その気軽さと交流から、筆者を含めて中学生の我々は、時々、時代劇のエキストラにかり出された。

筆者は、「鞍馬天狗」の映画の中のガキ大将役として主役の子をいじめる役を時々やらされた。よい小遣い稼ぎになった。格好良く、素晴らしい身なりをして、チヤホヤされ、いい気になっている主役の子と演技をする時、妬み半分、生意気な態度に頭にきたことが半分で、筆者は、迫真・迫力満点のリアルな演技を行った。

というと聞こえは良いが、何のことはない、本気でその子役とケンカし、手加減せず、思いっきりその子役をひっぱたいて、泣くまで徹底した。それを見て監督も、鞍馬天狗のアラカンも、ビックリ仰天。二人とも怒って、筆者をひどく叱った。

しかし本物のガキ大将だった筆者は、ひるむことなく、「何で怒るんだい。演技ってこうするんだよ」と言い返し、黙らせたことを覚えている。

余談であるが、この話を聞いて「その監督がもし俺だったら川勝さんを主役に抜擢したよ」と筆者が推進した「MCAユニバーサル・映画ランド・プロジェクト」の開発で親しくなった黒澤 明監督が大笑いしながら筆者に語った。

京都に残された数少ない貴重な原風景
京都に残された数少ない貴重な原風景
(筆者の子供の頃に存在した古都・京都のイメージは殆ど崩壊された)

当時の時代劇の撮影は、すべて太秦、嵐山などの原風景の中で自由に、地元の協力を得ながら日常的に行われていた。現在、最長寿TV番組の「水戸黄門」の撮影は、大変な思いで行われている。それは、日本の良き古き原風景が日本中で失われたため「ロケ地探し」に苦労しているということである。
つづく

ページトップに戻る