「モラトリアム・セーフティネットとP2M」
岩下 幸功:7月号
若者・子供達の世界ではイジメ・無気力・引きこもりや、凶悪犯罪が多発しています。この原稿を書いている最中にも、「秋葉原の無差別殺人事件」が起きました。今、なにが起きているのでしょうか?
モラトリアム(moratorium)という言葉があります。モラトリアムとは、もともとラテン語の「遅らせる」からきており、猶予、猶予期間などの意味ですが、心理的モラトリアムとは、「アイデンティティ(自我同一性)の確立を先延ばしにすること」をいうようです。アイデンティティの確立とは、「現在の自分が何者であるか、将来何でありたいかを自覚すること、つまり自分を発見すること」だということです。
(日本では、「モラトリアム人間」なる本で話題になり、「社会的責任を負った大人になるのを、踏み留まろうとする青年」「大人になるのを拒む青年心理」などの意味合いで、責任回避というマイナス・イメージを前面に押し出す用語として定着してしったようです。)
従って本来のモラトリアムとは、決して悪い意味ではありません。むしろ子供から大人へと成長していく中で、より自分らしい人生を選ぶために必要な時間として、前向きに捉えるべきです。私自身も大学生の頃、モラトリアムしていた覚えがあり、その時代があったからこそいまの自分(大した自分じゃないですが)があるわけですし、それなりの大人として自覚を持てたのは三十歳過ぎてからだったと思います。彼の孔子も、「吾れ十有五にして学を志し、三十にして立つ」と言っています。解釈はいろいろありますが、十五歳から三十歳くらいまでは、ただひたすら自分の徳性(人格)の修養で充実を図り、かつ学問に主眼をおきながら、社会に役立つ人間になるように準備を尽くせという意味でしょう。これを孔子は2000年も前に言っています。古より「心の成長」にはそれなりの経験や時間が必要であり、この間は「モラトリアム」だということです。
この意味で、現在のように18〜24歳の卒業と同時に、一生の進路を選択する就職制度は、ある意味で心の成長とは整合しない仕組みだと言えます。少なくとも、三十歳くらいまでは敗者復活可能な試行錯誤が許され、自分の真の「アイデンティティ(自我同一性)」を確立していく、モラトリアム期間は必要だと思います。正規な就職は三十歳以上からにした方が良いかも知れません。そうすれば、自分自身を充分見極め、心身共に自己確立された、大人の人材として就職ができますし、簡単に離職することも、職場で心の病に陥ることも少なくなると思います。
問題はこのモラトリアム期間を社会的に担保してくれる仕組み「セーフティネット(safety net)」があるかどうかです。昔は若者を一人前にしていくためには、社会としての共同体が強く関与していました。地域社会の中に様々な仕組みがありました。例えば、祭や青年団の仕組の中で、若者は構成員としての「イロハ」の指導育成を受けていました。その社会的な安全網が現在では存在・機能しなくなっていることが問題だと思います。バーチャルとリアルの認識もあいまいなまま、大人になりきれていない若者達が、ネットの世界で漂流しています。リアル社会とは分断されたままに・・・
自分たちの未来を自分たちでプロデュースする―――これが、いま私たちに求められている力です。社会の未来像が不明瞭になり、目指す方向を見失いがちな現代において、私たち一人ひとりが「ビジョンやミッション」を創造し、それを実現する人材を育成していく必要があると考えます。ここに「モラトリアム・セーフティネット(moratorium safety net)」として、P2M/PMAJが貢献できる余地があるのではないかと期待しています。
凄惨な事件を目の当たりにして、斯様なことを考えた次第です。
以上
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