「日本を再生する人材活用のPM」 (1)
オンライン編集長 渡辺 貢成:6月号
先月は「資格者を活用できる仕組みつくり」を書きました。欧米で資格者が活躍しているのに何故日本では資格を取っても役に立たないと企業人は感じるのか。資格者が悪いのか、日本企業の組織が資格者を使える機能を持っていないのかという話をしました。結論はグローバルで活躍するには資格者が活躍できる組織機能を持つことの必要性の話しをしました。今月は人材活用のPMという話を2回に分けてお話しします。
アジア諸国の台頭が目覚しく感じられます。マスコミは「これでは日本が駄目になることを強調し、ここが悪い、そこが悪いと指摘しています」。日本には全く良いところがないと錯覚してしまいます。考えてみると、高度成長期の最中でも同じ論調が見られました。高度成長期には「日本は駄目だけれど、米国ではこんなことをしているよ」という啓蒙的な提案があったように記憶しています。「論調は常に駄目になるから出発しています。「円高になると日本は駄目になる、円安になるとこれもだめになる」です。それに対し一般の日本人はなるほど、なるほど」と同意しましたが、現実は駄目をばねに円高になると奇跡的にコストダウンを徹底化させこれを乗り越えてきました。そして日本の奇跡的高度成長を達成されました。
日本は高度成長が達成されると、ゴルフ会員権や株の値が上がり、サラリーマンも手持ちの会員権のお陰で気分だけにわか金持ちになりました。会員権を売れば退職金より多額の金となったからです。ではマスコミの論調はどうだったか。「もう米国から学ぶものがなくなった」に変わりました。しかし。高度成長ができた大きな原因も、論理的な解説も全くありませんでした。高度成長期は欧米の使節団が日本に大勢やってきました。経団連も日本の高度成長の要因を的確に説明できませんでした。欧州使節団は帰国後「日本は高度成長の理由を説明できなかったが、高度成長を達成した異質な国です」というコメントがあり、日本異質論が世界的な評価となりました。日本の成長を正しく評価したのは米国です。「米国が日本に負けたのは製品の品質に対する考え方が誤っていた。日本に勝つには製品の品質で勝つ必要があるが、製品の品質だけでは日本に勝てない。ではどうするべきか。日本企業の弱いところは経営者のマネジメント能力だ。我々は経営の質で勝負しよう」ということになり、「経営の品質向上」のためのマルコム・ボルトリッジ賞を設定し、経営に磨きをかけてきたわけです。
米国は「テーラーの科学的管理法」を全面的に取り入れ100年間これを踏襲して来ました。これはドラッカーも高く評価しています。労働者の生産性は産業革命以降100年間労働者の生産性は変わらず、テーラーの科学的管理法が採用された以降の生産性は3〜4%向上するようになりました。当初労働組合はテーラー方式を労働強化とみなし、強い反発を見せましたが、結果は逆で生産性による労働時間の短縮と報酬の増加が得られたことで、高く評価されるようになりました(ドラッカー著「プロフェッショナルの条件」)。T型フォードで有名なフォード自動車は労働者を製造プロセスごとに役割を決め、如何にスピーディーに作業をこなすかの訓練をし、量産式流れ作業を成功させました。このとき社長のフォードは「私が欲しいのは労働者の手と足だ、頭はいらない。彼らは私が考えたことを忠実に実行すればいい」と考えていました。また、テーラーは「現場の人々が思い思いに創意、工夫することは実は効果をもたらさない。最善でもせいぜい平均的な状態にしかならない。私の観察によればむしろ個々の工夫は浅知恵でありマイナスの方が多い。会社全体で見ると経営者かそのスタッフが科学的に考えて生産性を挙げることが遥かに高い」と言っています。
これが米国における労働者に対する基本的な考え方となって今日に至っています。「考える必要のない労働者、考える経営者および経営予備軍」という発想です。米国のエンプロイーという言葉は「上から指示されたことをする労働者の意味で彼らは成果には関係しない」ことを意味します。成果を考えるのは経営者の仕事だよというのが社会的に認知されたものです。従って業績が下がると日本と違って経営者は首になります。
ではこの科学的管理法に対し、一時的にせよ、製造業において日本が何故勝ったのでしょうか。この評価がなされていないことが実は問題なのです。日本は集団主義で勝ったことになっています。これは半分正しい。日本の労働者は頭を使う労働者です。ここが米国との差です。では労働者が頭を使えば勝つのかというと、テーラーのいうように浅知恵鹿的なものがあるともいえます。正しくはこの日本の考える労働者を正しくリードした人物がいるからです。それは来月、お話しします。
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