PMプロの知恵コーナー
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「エンタテイメント論」(2)

川勝 良昭 Yoshiaki Kawakatsu [プロフィール] :5月号

エンタテイメント論

第1部 エンタテイメント論の概要
3 エンタテイメントと旅館経営

●温泉街の活性化
筆者は、現在、新潟県参与をしている。その前の職務は、岐阜県理事であった。その理事に就任して間もなく、岐阜県の下呂温泉街の地元有力者達から「温泉街の活性化」と題する講演を頼まれた。約10数年前のことである。

何故、筆者が頼まれたか。その理由は、筆者が岐阜県理事であったことよりも、筆者のそれまでの職務経歴を彼等が知ったためであった。そのため筆者の職務経歴を紹介せねばならない。その上で筆者の「温泉街の活性化」の方策の一部を披露したい。

筆者は、根っからの役人ではない。大学を卒業して新日本製鉄(株)の前身である富士製鉄(株)に入社した。本社勤務を最初に、東海製鉄(現在の名古屋製鉄所)、君津製鉄所、本社、ニューヨーク事務所、本社をそれぞれ歴任した。その間、予算・決算・資金の経理業務、機械装置、部品、資材の調達業務、日本最大の経理コンピューター・システムの開発、ニューヨーク事務所での資金調達業務と海外子会社経営、製鉄技術の海外向け販売業務などを遂行した。そしてエンジニアリング事業部門で日本初の「MCAユニバーサル・スタジオ・ツアー・ジャパン(USJ)」の開発に取り組んだ。

●新日鉄USJプロジェクトとセガ・ジョイポリス・プロジェクト
米国MCA社は、千葉県君津市にある新日本製鉄の社有地を同プロジェクトの候補地とすべきと主張した。その理由は、東京圏の膨大な顧客市場を狙えること、東京湾横断道路の完成によって君津市に集客することが容易になること等であった。

筆者は、USJの建設候補地を大阪府堺市にある新日本製鉄・堺製鉄所に隣接する埋立地とすべきと主張した。その理由は、第2ディズニー・ランド(現在のディズニー・シー)が完成するとUSJの顧客を吸い取られること、東京湾横断道路が完成しても高額な通行料払ってまでUSJに来るかどうか分からない等であった。

両者の意見が分かれたが、最終的にはMCA社は、筆者の意見を受け入れた。当時、大阪市佐々木助役が立ち上げた現在のMCAユニバーサル・スタジオ・ツアーは、同埋立地からさほど遠くない大阪市此花区に存在する。MCA社が此花区を選定した理由は、その時の結論によるものである。

しかし新日鉄の同プロジェクトは、現在も公表出来ないある事情から取り止めになった。その実現に心骨を注いだ筆者及び筆者の部下達は、無念で眠れぬ日々を送った。

失望と落胆の日々を送った筆者は、幸運にも(株)セガからある要請を受けた。それは、筆者がMCA社から得た同テーマパークの企画〜建設〜運営のノウハウと数年の研究成果をセガで活かして、セガの新しい事業を立ち上げて欲しいというものであった。

新日鉄を辞職し、セガに転籍した筆者は、ゲームをコンセプトとする世界初のセガ屋内型ゲーム・テーマパークの開発にとり組んだ。そして横浜、四日市、千葉、福岡、東京お台場、新宿、京都、新潟など全国の主要都市に「ジョイポリス」を企画し、建設する一方、ジョイポリス多店舗展開モデルを構築させた。なおジョイポリスの名前は、約4千の候補名の中から選び、当時の中山セガ社長の了解を得て付けたものである。

●講演の概要
さて「温泉街の活性化」の講演に戻ろう。その講演内容の中で聴衆の反響が大きかった幾つかの内容を紹介したい。

1)温泉を最強の観光資源と思うな
下呂温泉は、日本中にその名を知られた温泉街である。しかし筆者が講演を行った10数年前、既に観光客の大幅な減少に悩んでいた。現在は、その時より更に深刻な状況になっている。

筆者の講演の最初に「温泉を最強の観光資源と思うな」と発言したため聴衆はどよめいた。誤解される様な発言を敢えて行った。しかも湯の温度、量、質、効能、湯船、風呂場とその周囲環境など温泉の内容を決定付ける様々な要素を一切無視した発言に怒りをあらわにする聴衆もいた。しかし筆者の講演の終盤頃には、多くの聴衆は、筆者に賛意の表情を示した。

東京ジョイポリスを東京お台場に作ったことが契機となって、お台場に数々のレジャー施設が作られる様になり、現在の賑わいを形成するに至った。その施設の中に「温泉」がある。この「温泉」は、日本一高い土地代の、そして世界一濃縮されたダウン・タウンのど真ん中にも存在するのである。そして日本国中どこにでも温泉があるということである。

温泉は、日本中どこにでも存在
温泉は、日本中どこにでも存在

筆者の主張したい点は、温泉こそあれば、観光客を呼べる。温泉こそすべてであると考える限り、下呂温泉の抱える構造的問題は、絶対に解決しないということである。温泉は必要条件であっても、十分条件ではないという意識改革が先ず必要であること、そして従来にない「考え方」や「コンセプト」に基づいて、「温泉以外のエンタテイメント」を構築し、具体化し、下呂温泉に一刻も早く持ち込むことを主張した。

2)湯と景色(自然)と食事以外に殆ど何もない温泉旅館
「あいつは、田舎の温泉だ」と揶揄される話をよく聞く。「言(湯)うだけで実行が伴わない」と云う意味である。しかしある意味で現在、日本の多くの温泉街の実態を言い当てた「的を得た表現」でもある。

上記の通り、日本の多くの温泉街では、湯と景色(自然)と食事以外に、これといったアトラクションが温泉旅館から提供されることはない。何度も、何度も、そして何度も湯に入ることが唯一の楽しみとする特別な人は、温泉だけで十分であろう。

如何に素晴らしい景色に感動しても、1時間でも、2時間でも、そして3時間でもその感動を持続できる人は、殆どいないのである。筆者は、「如何に素晴らしい自然に接してもその感動を30分間持続できない」と述べた某観光学・権威者の言葉を今も信じている。筆者が見た「ナイヤガラの滝」も、圧倒的スケールの「グランドキャニオン」も、30分ほど見ていれば飽きてしまった。

日本の多くの温泉旅館では刺身、焼物、煮物、天ぷらなどの美味しいかもしれないが、お決まりの夕食であることが多い。それに感激し、心から味わえる人ならば、その様な温泉で十分であろう。しかし日本の温泉旅館に泊まる多くの客は、その様な現状に本当に満足しているのだろうか。もしその現状に満足している読者は、今月号のエンタテイメント論をスキップして欲しい。

美しく、美味しいが、お決まりの夕食パターン
美しく、美味しいが、お決まりの夕食パターン

3 昔は何故、温泉街が栄えたのか
筆者は、「昔は、何故、下呂温泉があんなにも栄えたのですか? そして何故、今、この様になったのですか? どなたか代表でお答え願えませんか」と聴衆に尋ねた。

しかし聴衆の誰一人として答えなかった。会場は、ざわめきがあったが、静まりかえっていた。筆者も黙って待っていた。しかし誰も何も答えなかった。誰もがお互いに顔を見合わせて誰も答え様としなかった。

しばらくして筆者は、その沈黙を破った。そして「女です」と答えた。聴衆は、どよめき、口々に様々な言葉を隣の席の友人や知人に投げかけていた。

聴衆の一人が挙手をして立ち上がり、「先生、女とは枕芸者ですか?」と恐る恐る質問した。筆者は、「はい、その通りです」と答えた。聴衆は、益々騒がしく喋り、会場は俄に活気ついた。初老の地元の実力者風の人物は、にやりとし、得心した様子で座った。彼こそ筆者の指摘した「温泉を最強の観光資源と思うな」との発言に怒りをあらわにした人物だったのである。しかし筆者は、その質問に「しかし枕芸者だけではありません」と付け加え、以下の説明をしたのである。

江戸時代〜明治時代〜大正時代〜昭和時代と一貫して温泉には「女」がいた。江戸時代以前のことについては筆者は分からないが、いずれにしても「女」を核として、その温泉街の伝統や土着の独特の「音楽」と「踊り」と「もてなし」が存在した。上は、ちゃんとした芸者から、下は、枕芸者まで様々な種類の「女」と独特の「日本的エンタテイメント」を装備して、温泉旅館経営者、従業員、温泉街の同業者達、そして温泉街の住民が都市部から訪れる温泉客を楽しませたのである。下呂温泉は、まさしく「温泉エンタテイメント」のメッカであった。

つづく

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