図書紹介
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「IT産業崩壊の危機」 ―― 模索する再生への道のり ――
(田中克己著、日経BP社発行、2007年12月03日、初版1刷、245ページ、1,800円+税)

金子 雄二 ((有)フローラワールド):3月号

「日本のIT産業が崩壊の危機に瀕している」とはじまるこの本は、現状を知らない方々にはショッキングな話である。著者は、30年以上もIT産業の動向をウオッチングし続けて、現在日経BP社の主任編集委員をされている。過去には「日経コンピュータ」や「日経システムプロバイダ(現日経ソリューションビジネス)」等の編集長も経験し、この道専門のジャーナリストである。その人が書いた今回紹介の本は、センセーショナルなことだけでなく、キチントその対処策も書かれている。現在、こんなにインターネットが普及しコンピュータが一般化しているのに、何故それを支えているIT産業が崩壊の危機にあるのかと訝しく思われている方もいるであろう。然しながら、プロジェクトマネジメント(PM)に携わる人間としても、身近にこの問題を考え、何とかしなければならない危機感がある。この本から、改めてこの現状を再認識すると同時に、ここに書かれた幾つかの方策を学んでみたい。筆者がこの業界に関係した1960年代中頃では、コンピュータは未だ限られた企業でしか使われていなかった。それから50年足らずで、家庭に数台のコンピュータ、携帯電話は、一人1台の割で普及している。IT産業は、日本のみならず世界の国々のインフラストクチャーとしての基幹産業となっている。それが日本だけ危機に直面しているとは、容易ならざる状況である。自分のため、現場のPMの参考にもと思いこの本を取り上げた。

昨年PMAJのIT-SIGが他団体と協賛し「PSシンポ」を開催した。そのテーマは「会社の元気はプロジェクトの元気から」である。プロジェクト、パフォーマンス、モチベーション等をキーワードとした基調講演や事例発表やパネルディスカッションを行なった。その中で「技術者の組織行動」(自閉的行動と協働のギャップ)と題する特別講演を松尾谷徹氏(PS研究会代表)がされた。氏の発表では、ITの職場(ここではシステム設計やプログラミング作業等で、PMもこの中に入る)での現状の問題点を取り上げた。バブル期に建築現場で「3K」(危険、汚い、暗い)が話題となった。現在では、IT現場で新たな「3K」がある。それは「キツイ」「帰れない」「気が休まらない」である(この本にも書かれてある)。その結果プロジェクトチームは機能せず開発要員は一様に3Kに悩み、疲弊・対立・無視の構造となっている。これを解決するには、専門性を高めたチームワークでプロジェクトを実行することを提唱し、実行されている「チームビルヂング方式」を話された。この新しい3Kを、或るIT関係者に話したら、それはいい方で、末端の開発要員は「5K」だと言われた。3Kに加え「給料が安い」「休暇が取れない」があるのが現状とのことだ。この辺の問題が、この本の底流に流れているようで、この点もシッカリとフォローしてみたい。

崩壊の危機     ―― IT産業の現状 ――
著者は、「この危機の転換点は2004年だった」と書いている。それは日本の大手IT産業が守りから攻めに転じ、各社方針の舵を大きく切った年であることを指摘している。富士通は「ソフト・サービスからITプラットフォーム(ハードウェア)に集中することが再生の要」とした。その後、再生プランと不採算プロジェクトの撲滅で功を奏し売上・利益の回復の兆しは見えてきた。しかし富士通単体の利益は、連結との対比で20分の1であり、まだまだ課題は山積している。今後「ITソリューションからビジネスソリューションの会社に変貌して付加価値を高める」と社長は宣言している。一方日立は、ハードウェア事業(特に、IBMから買収したハードディスク)の不振が原因し、現在も打開されないままで、その再生が当面の課題となっていた。ハードの売上は横ばいながら、赤字幅に歯止めが掛かり減少傾向にある。その部分をソフト・サービス部門の売上でカバーしているが、未だ課題は解決していない。NECも携帯電話と半導体事業で大きな損失を出し、期待のモバイル関連ソフトも利益に貢献出来ずに不振を招いたと書いている。ここ数年売上は、殆んど横ばいで変わっていないが、利益は改善され上向き傾向にある。今後、シンクライアントPC(セキュリテイソフト対応で安価なパソコン)の販売とコンサルテーションからなる企業ソリューションを狙ったサービス事業へシフトし、NECの技術と製品を広げる作戦である。

ここまで書いてくると、何がIT産業の危機かと言いたくなる。著者は、ソフトウェア要員の数と質の問題が内在されていると指摘している。要員数の不足は、中国やインドの優秀で安い労働力で何とか凌げるかもしれない。しかし日本人のソフト技術力は、確実に低下している。技術力は急には上達しない。あるレベルまで積み上げた結果として高度な力を付ける。それが全く欠けている危機がある。次に、先の技術力に併せて企業経営力がないので、国際競争に勝てない。従って、欧米はもとより、韓国、中国、インドと互角に競えない危機がある。更に、先に揚げた3つの会社は、日本代表のIT企業である。その会社が、ここ10年以上もこんな状態にある。これではインターネット時代の国際競争に生き残っていける見通しが乏しい危機である。実は、もっと根深いところにも危機が迫っている。特に、ソフト開発会社のビジネスモデルも崩壊しているという。具体的には、受託ソフト開発では、大きな収益を得られなくなっている。その理由を2点挙げている。一つは、発注構造上の問題として、ユーザー企業が子会社化したシステム開発会社を通じて、大手ITベンダーやサービス会社に発注し、それを下請け会社に一部委託する構造が一般化している。この多重化は開発単価を下へ行くほど切り下げられて、採算ギリギリのところまで追い詰められていているので、利益確保は難しい。更に、Webシステムのように短期間での開発の場合、優秀なSEや開発要員がいないと納期に間に合わず、直ぐ開発遅延を来たす。結果、受託開発で黒字化するのは、非常に難しい状況にある。なら単価の安いオフショア開発にするとコア技術が自社に残らなというジリ貧状態にあるのがITサービス会社の現状である。

崩壊の原因   ―― 崩壊危機の原因から打開策の模索 ――
現在危機的状況にある日本のITサービス産業に対して著者は、どうしてこうなったかの原因を探って、その対処策を書いている。その原因の一つは、1990年代以降のオープン・システム化やインターネット化に対応できなかったことを挙げている。バブル崩壊以降、借金返済に追いまくられ仮想化技術等の新しいハードやソフトの開発・研究を怠った結果であると指摘している。更に、先に書いたIT産業の構造的問題もあるとしている。ITサービス市場は、富士通、日立、NECの3社と日本IBM、NTTデータの5社で、7割近いシェアを占めている。残り3割を数千社のソフト会社やITサービス会社が競っている構造である。従ってこれらの企業が大手5社の系列化、下請け化している。この系列化、下請け化でITサービス会社が自主的に経営力や技術力が高められれば問題ないが、殆んど大手の方針や方向性に従っている。その結果、各企業の独自性を発揮することなく停滞している。もう一つの原因として、ユーザー企業のシステム部門またはIT部門が弱体化してしまったので、企業の前向きなIT投資(システム将来計画等)が成されないまま現在に至っている。それとは別に、企業によっては、CIO(最高情報責任者)を配置している所もある。しかし、彼等は「コスト削減」を最優先課題としているのが現実である。本来CIOは、「経営戦略に基づいてIT戦略を立案し情報システ計画を立案のではなく、業務プロセスの改革イコール経営改革をする」べきである。目先の改革だけをするから、無駄なシステム投資となる。

こうした悲観的な崩壊の危機的状況に置いて、著者は幾つかの企業の動きから妙案や解決策を探っている。先ず、日本のIT業界の先駆者的役割をいつも果たしている、日本IBMの動向に注目している。最近、「ソフトウェアサービスのプロダクト化」を打ち出している。これは以前から志向している「アウトソーシング事業を成長させる具体策」である。現在、ITサービス産業の危機的状況を見据えた「企業のIT部門の再生化」によって、外部から「経営貢献できるIT部門に変身させるビジネス」をアウトソーシングとして請け負う事業を展開する方向性を示した。まさに現在の企業に求められたものに対する回答である。自社で出来ないならそれを商売とする日本IBMの戦略は、崩壊の危機を救う策かも知れない。更に、IBMをはじめとする欧米のITサービス企業では、「ITのユーティリティ化」の方向に進んでいることを著者は指摘している。即ち、自社でITを「所有せず使用する」ことが、効率化を目指せるという。別な呼称で、ITを使いたい時に使う「オンデマンド・コンピューチング」と言っている。これは電気・ガス・水道・電話のように「ITをユーティリティ」として使う環境を想定している。日本でも最近「SaaS(Softwea as a Service)」と称し、アプリケーションサービスや、システムの保守・運用をアウトソーシング事業にシフト化する企業が出はじめている。これはインターネットで成功している「アマゾン」「イーベイ」「セールスフォースドットコム」等がサービスやソリューションを標準化して低コストで提供する方式が下地となっている。日本のIT産業も少しその方向に動き出しているという。

崩壊から創造へ    ―― 技術者育成とその方策 ――
著者は、日本および欧米の大企業の動きと併せて、日本のIT産業の中小ベンダーでも独自な活動をして、この危機的状況に歯止めを掛けられそうな企業を幾つか紹介している。中小ではないが大塚商会(ITサービス会社の売上ランキング(2006年度)第3位)は、「たのめーる」という企業向け購買システム(注文から自動処理、物流倉庫や与信システムへの連動)をASP(アプリケーション・サービス・プロバイダー)として販売している。中小では、サイボウズ(本社:東京都文京区、1997年設立のインターネット・イントラネットの開発・販売で、年商100億円。サイボウズOfficeというスケジュール管理やメール管理をする独自ソフトを提供)のグループウェア販売からASPサービス事業に転換していることに注目している。それも中小一社では力にならないので、MIJS(Made in Japan Softwear)コンソーシアムを作って日本の中小ソフトベンダーが世界に向けて勝負することを狙っている。当面コンソーシアム各社が連携して国内のASPサービス事業を開始して、東南アジア市場を狙って、日本の高品質ソフトの販売を目指すという。他にソフトブレーン(本社:東京都港区、1992年設立、資本金8億2千万円、東証一部上場、業務支援ソリューション事業)をはじめとする独自活動をしている元気な中小ソフトベンダーを紹介している。これら企業の特長は、従来のソフトパッケージ販売から独自のASPサービス事業へと新たな活路を見出すべく始動している点にあるが、危機感を事業展開の力にしている。

著者はこの崩壊危機の解決策のまとめとして、「新しいIT産業の創出に向けて」を書いている。それは時代の潮流であるWeb2.0の情報活用であり、ユビキタス化への対応等々の新しい技術開発の先取りであるという。Web2.0に関する詳細は、「これから何が起きるのか」(田坂広志著、2007年2月号)や、「ウエブ進化論」(梅田望夫著、2006年6月号)はこのオンラインジャーナルで既に紹介している。この本でもオープン・ソフトの活用や仮想化システム運用の効率化(ITIL=ITインフラストラクチャー・ライブラリィ)等の技術に注目して「情報の伝播と分析が重要」であると書いている。しかし、どんなにいいハードやソフトがあってもそれを使いこなす技術者が十分に育っていないと、この崩壊危機の脱出はない。この点に関して、「人材育成策はソフト産業のためではない」と、これからの日本の発展を考えての直言をしている。最近、大学での情報工学の学生が定員割れしている所もあるという。ソフト技術者の魅力ある職業にする努力が必要である。スキルにあった処遇と専門教育を受けた学生を優先採用する等々の社会も企業もソフト技術者を育成する重要性を再認識する必要がある。冒頭に紹介した現在のIT現場での「3K」や「5K」を早く解消する努力も急がれる。職場でのPS(Parter Satisfaction:働く人の満足度)向上を目指すPMと、技術者育成を図る地道な技術教育は必要不可欠である。人材育成には時間とお金が掛かる。そのことを肝に銘じて経営から現場まで一体となって改革を図る覚悟と努力が迫られている。著者は、この地道な努力が必要であると閉め括っている。(以上)
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