「職場はなぜ壊れるのか」 ―― 産業医が見た人間関係の病理 ――
(荒井千暁著、ちくま新書発行、2007年06月05日、第6刷、222ページ、700円+税)
金子 雄二 ((有)フローラワールド):2月号
今回紹介の本は、職場の人間関係を専門医師(産業医)がどう見ているかをまとめたものである。人間関係といえばチームワークに大きく関係し、チームワークはプロジェクトマネジメント(PM)に不可欠な要素である。従って、今回は、ヒューマンウェアの観点からPMを見てみたい。そういえば最近、この手の本を読む機会が多くなった。昨年の11月号で「ゆとりの法則」(トム・デマルコ著、日経BP社発行)を紹介する時にも書いたが、昨年2月からPMAJでのSIG(Specific Interest Group、特定テーマ研究会)のPS(Partner Satisfaction)研究会に所属して勉強しているからかもしれない。PMの遂行過程でPS(プロジェクトに参加するメンバーの満足度)は重要な位置付けにあると認識している。昨年、警察庁が発表した「平成18年度の自殺者の概要資料」によると1年間で32千人の人が自らの命を絶っている。この数は交通事故死の5倍の数値で、ここ数年間横ばい状態である。更に、過労や勤務問題(職場の人間関係によるストレス等)によると思われる自殺者は、増加傾向にあるという。厚労省も過労や仕事のストレスで自殺し労災認定された数値は、前年比で57%増、精神障害で労災認定された人が205人と前年比61%も増えている。
その中でも4割の人が、30代であると報告している。然らば、何故に30代に精神障害の半分近くの人が集中しているのかは、専門家の判断を必要とするが、大方の見方は勤務問題に絡んでいるといわれている。特に、現在のIT産業での精神障害で休職している比率は、平均で2%との報告もある。問題は、その数値が減少することなくここ数年横ばい状態にある点だ。これを企業規模(従業員数)別に見るとハッキリした傾向が分かるはずだが、中小企業には休職規定が無いところも多いので、数値上の把握が困難である。多少その傾向を伺うことが出来るのは、事業所規模別の総労働時間の対比データ(独立行政法人、労働政策研究機構の資料)から、事業規模が小さい程総労働時は長くなっている。10年間レベルでその傾向は変わっていない。むしろ大規模事業所の方が多少増加傾向にあるが、中小事業所(5〜99人)では、これ以上時間増加出来ない位、働いていると考えられる。ここで、精神障害(主にうつ病)と労働時間の対比をしたかったのは、先のレポートから「全体の自殺者数、勤務問題による自殺が増えているのは、働く時間に関係があるかもしれない」と書いている点と、「慢性疲労症候群」の研究が、1991年から厚労省を中心に研究が開始された点に注目しているためである。この本では、この勤務問題=過労=自殺の点には少し言及しているが、題名にある「職場がなぜ壊れるのか」の延長線上にこうした問題がある。PMに携わる人間として、この本を通じてその辺の問題点と解決の糸口を探ってみたい。
考えられる原因(その1) ―― 新しい潮流(現代社会の縦の糸) ――
著者は、現在一部上場企業の健康管理部長であると同時に、統括産業医(専門は呼吸器病学、アレルギー学の専門)である。更に、自殺問題弁護士医師研究会等で就労と健康を考える労働衛生・産業医学分野で活躍されている。だから先に触れた問題点の本質を見抜かれている。この本では、10年位前のバブル崩壊以降、企業内外で叫ばれた「能力主義、実績主義、目標管理主義」のシステムが導入されてから、会社(特に管理層)と社員の関係が大きく変化したと見ている。これは従来からの人事管理システムの柱であった年功序列型に代わって、新たに導入されたものである。バブル期以前から、この新しいシステムは取り入れられていたが、バブル崩壊で社内の合理化を迫られた企業は、人事システムを切り替えるチャンスとばかり新たな成果主義のシステムに飛びついた。折りしも、金融システムのビックバンである、銀行・証券・損保等の規制緩和がなされた。その結果、国内企業のみならず外国企業も含んだ企業合併や企業統合が図られ、人事システムも併せて年俸報酬や成果主義に切り替わり、給与体系と評価方法等が変わってきたと書いている。この成果主義は、実力ある若手人材の早期発掘・育成・登用を図ることが狙いであった。その背景に、同業他社からの社員引き抜きや逆に引く抜かれ防止があったという。しかし実態は、どうも違っていたようだ。実力ある若手は、先輩達から色々なものを教育され、会社という組織の中で成長し部下を育てていく姿を見ている。即ち、その姿から自分や会社の組織の将来を見ている。これが成果主義で評価される体制になると、先輩も部下の面倒を見るどころか自分の結果(グループの成果も含め)に翻弄される。従って部下の育成もせず、目標だけに目が行って部下の尻を叩いて結果だけを求める構図となってしまった。
現在の若者の転職の多くの理由はキャリア・アップが表向きの理由で、会社が教えてくれないなら、自分で転職するしかない選択のようである。転職にはいい面ばかりではないリスクを伴うから、本心は会社を変わらずにキャリア・アップしたいのが本音であるという。著者は成果主義の落とし穴として、「成果主義型の評価システムは、中間管理者が倒れるという二律背反がある」と指摘している。それは定量化できないものを評価しようとすると、評価体系を新たに考えたり、作ったり等の煩雑な作業が強いられる。それも継続して評価し続けなければならない。更に常識度やモラル等は評価対象とならないので極端な話、不正や内部告発がおこなわれても何ら歯止めが掛からない。事実、目標管理だけを求めると、結果の虚偽申告や目標値の意図的操作を見抜くのも管理者の仕事となる。これは本来同じ組織で仕事をして、結果を共に喜ぶ人間関係を否定するものである。お互いの信頼関係を損なうもので、好ましい状態ではない。ある調査結果では、多くの企業は成果主義を取り入れている(7割)が、問題ありと考えている(9割)。そして機能している(経営側:7割、労働:4割)と評価が割れる。このシステムは職場を壊す組織上の縦の糸となっている可能性が高い。然らばどうすればいいのかについて著者が後段でヒントを書いている。
考えられる原因(その2) ―― 昔からの構図(会社組織内の横の糸) ――
先の成果主義が叫ばれる以前から、セクシャルハラスメント(所謂、セクハラ)は問題視されていた。アメリカに進出した日本企業の管理者が現地社員にセクハラを迫り、多額の訴訟で和解(40数億円の支払い)した事件は、もう10年以上も前の話である。男女雇用機会均等法(1986年制定)が施行されて20年以上経過しているが、それ以前からも現在でもこのセクハラ問題でのトラブルは後を絶たない。この背景にある男性優位の考え方は、日本に限らず世界中にある。それが会社内で陰に陽に仕事の中は入ってくる。この本で紹介されている銀行の副店長と女性社員の問題は、決して珍しい事例ではない。仕事上の地位を悪用して、男女間の問題にすりかえる行為は決して許されることではない。この根底には、上位者が下位者に対して不必要な権力を押しつけるパワーハラスメント(パワハラ)でもある。このパワハラの判定は、第三者からみると非常に難しい問題を含んでいる。所謂、イジメや嫌がらせに発展すると明らかにパワハラとして特定できるが、そうなる以前の当事者間の関係では中々表面化しない。事件化して初めて周りが気ずくケースが多い。この本でとりあげられた教員と学校長、学校長と教育委員会の関係は、縦の命令系統と同じ学校内という横の関係が絡んで単純に命令イコール実行とはいかない複雑な問題に発展することがある。往々にして、人間関係の板ばさみに悩んで「職場問題」=「勤務問題」となって解決の道を急ぐことがある。これはイジメに悩む子どもだけの問題ではなく、大人も同じように悩んだ末の個人の孤独な選択である。パワハラは、人を追い込む力がある。
この他に、会社内の派閥による人間関係や、上司や先輩との人間関係がパワハラとなっていることもある。しかし大切なことは、組織内での命令や指示は常にある。だから命令がパワハラとならない上司・部下の普段からの人間関係が重要であり、円滑であることも必要である。この人間関係を良好に維持する横の糸が普段の職場環境である。パワハラが横行する職場環境は、横糸の乱れであり、正常な人間関係とはいえない。先のセクハラもパワハラも会社組織の横糸で、その乱れが問題となって先に触れた「勤務問題」に発展している可能性もある。著者はこの点に関して、先に述べた「成果主義や目標管理主義」が職場の人間関係を損なっているという。銀行の副店長が部下へのセクハラの背景に、普段の仕事評価に対する腹いせでやったとある。上司としてあるまじき行為を平気でやるセクハラの引き金になっている。成果主義は必ずしも悪いシステムではない。問題点は、どう運用・評価して、いい結果を引き出すかである。この成果主義は、本来潜在能力や顕在能力から何が出来るかを重視する「能力主義」と、顕在化された実績から何をやったのかを評価する「実績主義」と、成果や結果から何が出来たのかを評価する「成果主義」であるべきである。現在はこれを纏めて成果主義としているので、組織上の弊害となって職場を壊していると指摘する。出来るものなら一旦止めて、元に戻すのも方法であると書いている。
考えられる解決策 ―― 考えられる原因とその対処(解決策の模索) ――
この文書の冒頭に、30代の若者に精神障害の半分近くの人が集中していることに触れた。これに関して著者は、仕事を任せた上司が結果の責任を負うことなく、結果責任まで押し付けて仕事をさせられているのが、現在の係長や主任たちであると指摘している。だから失敗して責任を取らされマイナス評価を受けたくない気持ちから負担感が増加する。その上賃金までダウンさせられるプレッシャーで疲労感からくる閉塞感が生じる。これがボディーブローとなって心の病に発展する可能性が強い。そこでそのポジションで成果を出すには、上司や同僚のチームワークが不可欠である。だが、管理者は無責任にも部下に任せっぱなしで、責任だけが大きく押し付けているのが現実である。この傾向は、2000年前後から顕著になり、その結果が先の数値として表面化しているのである。これは成果主義という名の元で、組織管理者が自分を失ったモラルの問題である。本来、部下を育てることは、仕事を通じてお互いに失敗を回避して成果をあげ、共感しながら成長していく。管理は、付随的に必要なもので、決して管理が優先されるべきことではない。この点に関して、「日経ビジネス」の特集記事から「マネジメント力が不十分な中間管理職が多く見られた」という意見調査を紹介し、チームリーダとしての管理職像は薄く、成果主義のマネジメントに追い回されていると書いている。この姿は、本来は能力があって秀でた資質を認められて管理者になり、将来を期待されて幹部候補に登用されたも係わらず、成果主義の延長線上で30代のリーダークラスを犠牲にして管理者層が歪み始めていると指摘する。
然らば、どうしたらこの壊れかかった職場を変えることができるのか。その方法として、「緩急自在が可能な職場」が必要であると提言している。能力主義、実績主義、目標管理主義で職場はギスギスして全くの余裕がなくなっている。人間本来の能力を発揮させるには、頑張る必要がある時は力一杯頑張り、次に少し力を緩めて次のエネルギーを溜め込む時間と場所が必要である。「緩急自在な職場」=安全基地として職場が機能すれば、共に安心して働ける。管理者・部下共に相互の状況をみて余裕を持って次なるステップに進んでいけると書いている。この「職場の緩急自在さ」が、目標に向かって活動する原動力となる。更に、「仕事はスキルでなくアートである」とも書いている。このアートは、あることを成し遂げる技術や教養や感性を含んだものである。だから「仕事は専門的なスキル(能力)だけでなく、総合的な仕事を完成させる求心力が必要である」という。このアート=求心力が、知のマグマとなって人を引き寄せ、大きな力と化して仕事やプロジェクトを遂行させる。このアートは、一人ひとりの力がお互いに引き合って大きな渦となり、その渦の中にあって、仕事をする喜びや苦しみを味わいお互いに切磋琢磨し成長する力を生むのである。先の「成果主義」に欠陥があるから一旦止めてしまおうと書いているが、簡単に止められる代物ではない。そこで、能力をどう育成するかを盛り込んだ「能力育成主義」、実績を出すための教育を取り込んだ「教育実績主義」、上層部が割り当てた仕事を部下の裁量で選択して評価する「割当選択成果主義」という方法もあると纏めの提言をしている。(以上)
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