PMP試験部会
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「好きと愛するとプロジェクトとの関係」

伊藤 健太郎:2月号

国内ではお粗末な年金問題、偽装などのようなモラルハザードも表面にでて、このままではいけないという危機感は生まれていますが、目を外に向けますと、5億人というEUの強大な市場を背景としたスタンダード化戦略(高速道路のETCなど)の動きなど国際的な新しい競争も激しさが増してきています。
このような昨今ですが、今回は、リラックスして気楽に読んでいただければと思います。私たちは、このコップの形が「好き」だと言う事があっても、「愛している」とは普通言わないものです。また、小学1年生が同級生の女子を「愛している」というのは何か不自然で「好き」とか「大好き」という方が自然に感じます。私たちは「好き」と「愛している」という言葉を自然に使い分けているようです。そこで、今回はこの内容をベースにプロジェクトについて考えてみたいと思います。そもそも言葉は、考えていることを全て表現できるものではなく、本来、不完全なものです。いくら言葉を多く話したとしても考えや気持ちを伝える事は容易ではありません。かつて、ニーチェは「言葉は概念に対する音符」といいました。言葉は、音符のように考えを表現したもので、考えそのものではありえません。しかし、言葉は大切なものでもあります。数々の素晴らしい歌を残してきた作詞家の阿久悠さんは「言葉は道具ではなく、心と知性である」と語っていました。作詞家らしく、言葉を大切にしている姿勢が感じられます。ここで、「好き」と「愛している」を取り上げたいと思います。「好き」と「愛している」との違いは何でしょうか? 「好き」の大きなものが「愛している」でしょうか?
「愛している」というのは「好き」という次元を超えたもののように感じます。
「好き」とか「嫌い」とかはすぐにいいますが、「愛している」という言葉はとても慎重に使うものです。「愛している」は、「好き」でも「嫌い」でも包み込む力を秘めた言葉ではないでしょうか。 「愛している」というのは行動を伴う言葉の様に感じます。「好き」とか「嫌い」がその時々の気持ちの瞬間値だとすると、「愛している」は期間が長いものです。ここで、プロジェクト遂行に置き換えて考えてみたいと思います。
プロジェクトを成功させるには、「好き」とか「嫌い」ではなく、「愛している」という気持ちが大切ではないかと最近、感じます。
いろいろ予期しないことや心配なこと、苦しいことがあっても前に進めるのは愛しているからだと思います。逆に、どのようなプロジェクトであっても愛する気持ちがないと、真剣さや向上心は生まれてこないのではと思います。「顧客が悪い」とか「環境が悪い」などプロジェクト遂行での不満の多くは、好きとか嫌いとかと同じ次元ではないかと感じます。人間ですから、不満をいうことは自然です。ただ、プロジェクトを愛しているのであれば、そこで終わらせずに、「このようにしよう」という行動を伴う言葉が続くのではないでしょうか。ただ、会社でのプロジェクトは必ずしも自分で選べるとは限りませんし、自分で自由に選べないことの方が多いと思います。自分で選択していないプロジェクトを愛することを強制するものではありません。ただ、今の自分の置かれた環境の中で、日々の仕事を愛しておこなえることは幸せな事だと思いますし、それにより次の成長段階に行けるのではないかと思います。厳しい状況や大変なことをその時々、クリアーしていきながらそれ自体を楽しみにできれば何よりではないでしょうか。そして、それが自分の居場所を見つけることにもつながります。どのようなプロジェクトであっても、その中に実施する意味を見つけ愛することがプロジェクトだけでなく、自分の成功をもたらす上でも大切ではないかと感じます。
ただ、プロジェクトを愛する意味は与えられるものではなく、自ら見いださなければならないものです。
「プロジェクトマネジメント」を愛している集まりがPMAJのメンバーだと思います。その力が、いろいろ大変であっても、コンフリクトがあっても引力の様に仲間を引き寄せ続けているのではと感じます。私もプロジェクトマネジメントを愛する1人として、PMを進化させ、より社会に貢献していきたいと強く思いますし、皆様と切磋琢磨しながらその時々を楽しみとして過ごせればと思います。
今年も宜しくお願い致します。
以上
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