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PMRコーナー 「ビッグプロジェクトにおける要員育成の悩み」

柴田 文二(PMR一期生):2月号

◆ 最初の驚き!
 私が、官庁系のビッグプロジェクトに参画した時の出来事です。最初の驚きは、新しく部下となった入社後数年経っているメンバが「お客様と直接話をしたことがないのですが、このままで良いのでしょうか?」と訴えてきました、かたや、主任クラスのメンバが「パートナー会社との調整をしたことがないので、教えて下さい!」と相談に来ました・・・。唖然としました。

 私は、それまで、民需系を中心とした比較的小さなプロジェクトを担当して来たため、お客様対応、社内他部門との調整、パートナー会社との折衝、要員調整等、様々なステークホルダーと日常茶飯事の如く応対し、システムのライフサイクルとも言える、提案活動、システム開発、稼動後のお客様フォロー等、あらゆる場面を経験してきました。ところが、官庁系のビッグプロジェクトに参入した途端、小規模プロジェクトでは考えられないような事態、いわゆる、「歯車の一部」状態に陥っているメンバが点在している実情を改めて認識しました。

◆ 要員育成の課題
 一般的に金融系のような大規模プロジェクトは、アーキテクチャが複雑で、全体構造・全体機能・全体操作性をデザインする必要があり、非常に難しい課題が存在します。また、ステークホルダーも多義に渡り高度な対応が必要となるため、プロジェクトマネージャとして参画するには、それなりの経験と資質が重要なポイントとなります。しかしながら、このようなプロジェクト状況下で、若手要員を育成し、対応出来るプロジェクトマネージャとなるまでに育てあげるには、多くの難関に遭遇し、悩みの種となっています。

 小規模プロジェクトは、プロジェクトの開始から終了迄が比較的短期間であり、多義に渡る役割を経験せざるを得ない場面が多いことから、自ずと視野が広くなる傾向にあります。複雑性という観点での物足りなさはありますが、標準的なプロジェクトモデルである、スキームモデル、システムプロジェクトモデル、サービスモデルの各種ケースが経験出来ます。
 大規模プロジェクトでは、担当する業務の深さと、多義に渡る横連携の機能が複雑にからみ合い混沌とした状態であることから、内容を把握し精通するまで年数が掛かります。なおかつ、ある程度ノウハウが習得出来た時点でローテーションをしようとすると、現在の担当業務に支障をきたす恐れがあることから、リスクを避けるため現状体制を維持しようと意思決定をしているのが実情です。また、大規模であるが故に、パーツの一部として参画するケースが多く、プロジェクト全体を把握出来る場面が少ない状況にあります。この悪循環に陥ってしまった場合、複合的な見方が出来なくなり、本人の視野が狭くなってしまいます。
 これらの事象が起こるのは、今日の社会インフラにおける各プロジェクトの重要性にあると言えます。昔は、ある程度の失敗を考慮に入れて余裕のある育成を試みていたのですが、近年は、失敗が許されない環境下にあり、失敗は価値損失に直結する傾向にあると考えます。
 この様な状況を打破する一つの方策として、プロジェクトの発足時点で要員育成のためのローテーション計画を組込むことにあると考えますが、実際には、難しい課題に遭遇することが予測されます。プロジェクマネージャーとして采配を振るう場合は、ローテーションリスクと戦う勇気が必要であり、避けて通れない課題であると考えます。この問題は、いまだに、良い解決手段を見い出せずにいます・・・!。

◆ 現在のプロジェクトの状況
 現在担当しているプロジェクトは、今後、新たな展開を要する局面に来ています。私の所属する会社の関わり方が大きく変革する場面であり、位置づけ・役割の方向性を間違えると、弊社がフェードアウトされる可能性がある状況下にあります。
 この状況を打破するためには、様々な課題を解決していく必要があり、解決のための基本的な考え方や行動の基本は、P2Mの知識、PMRの資格取得の実践経験、過去の各種プロジェクト経験などであり、その源泉をなすと判断しています。また、自らは、プロファイリング、シナリオ策定等、様々な場面で、コンピテンシーを高めつつ、高度なプロジェクトマネジメント力が発揮出来るよう努力し、周囲の方々に対しては、「高い視点」でリードできる姿勢と資質、「広い視野」を可能にする知識体系の習得が出来るP2Mの素晴らしさを広めていきたいと考えます。

◆ 私の幸運さ!
 私自身、入社当時に民需系の小規模プロジェクトを担当したことにより、お客様のニーズ確認(ヒアリング、分析、提案)、受注後のプロジェクトの立上(体制確立、標準化、各種ルール決め)、システムの構築(設計、開発、検証、納入、サービスの開始)、運用のフォロー(状況確認)を経験することが出来たのは幸運でもありました。
 約20年間、民需系の様々なお客様と接した経験は、今日の私の財産ともなっています。
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