今月のひとこと
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「見えない(インタンジブルな)ものを評価できない社会で何が起こるか」(3)
−マネジメントを理解していない社会−

オンライン編集長 渡辺 貢成:12月号

本「今月のひと言」は11月号に載せる予定でしたが、赤福、その他食の安全に関する種々の問題が出たこと、マスコミの一方的な報道があり、生産量拡大に伴う起こりうる種々の問題として真剣に取り組む姿勢ではなく、読者好みの批判に徹した報道が本質的な問題解決に程遠いので「もったいない」の実践事例を書いてしまいました。今月は10月号の続きを書きます。

前々回の内容
 日本では大金を使って取った立派な資格者を活用するどころか、資格者が役に立たないという企業がなぜか多いようです。外資は資格者を厚遇するのに、日本の企業は評価しないのは何故か、という観点で見解を述べました。欧米の企業は世界に通用するスタンダードを採用しており、資格者はそのスタンダードを勉強して資格を取っているから、即戦力として採用される。グルーバル競争をしていない日本の各企業は、自社しか使えないスタンダードを何故か後生大事に守っており、そのため古くからいる人間しか即戦力にならない状態です。では、これら企業はグローバル化時代に、どのやり方でグローバルの海に乗り出すのか、これが問題ですねと説明しました。

今回は「マネジメントとは何か」を掘り下げます。
 日本人は勉強家ですから、米国から出版される新しい「XXXマネジメント」をよく勉強しており、マネジメントの大切さと、その実施の必要性をよく理解しています。しかし、この簡単な言葉を定義してくださいというと、ほとんどの人がすぐ答えられません。実はこの定義できないところにインタンジブルな(見えない)ものの難しさがあります。従ってインタンジブルなものを理解するには定義から出発する必要があるようです。

 実はインタンジブルなものは米国でも決して強くないのです。「What management is?」という本が2003年に出版されています。著者はハーバード・ビジネス・レビュー誌の戦略エディターとして活躍したジョン・マグレッタ氏です。この本の序章で「20世紀で一番重要な革新は何だっただろうか?」と問いかけ、答えとして自動車、航空機、テレビ、コンピュータ、ネットワーク等がわれわれの暮らしを変貌させた、と言うことができる。だが、それ以外の革新がなかったら、これほど急速に、かつ広範に根付くことはなかったろう。その革新とは、「組織を動かす思考と、その実践の累積であるマネジメントの原則」であると指摘しています。技術の発達も新製品が世に出るのも、個人の力だけでは達成することができません。うまく機能する組織をつくりあげ、種々の技術、専門知識等を使って組織を運用し、成果をあげるマネジメント能力によって革新が達成されたからです。マネジメントの原則は20世紀に徐々に花開き、今成熟期に達したばかりです。その証拠は1960年に5,000人だったMBAが2000年には10万人に膨れ上がり、マネジメントはまだ進化しています。

 ここで皆さん方は気がつかれたと思いますが、「変化のスピードの速い社会では、知識、技術、ツールもその変化が速く、組織もその変化に応じて機能する組織をつくり、その組織を運営し成果を出すマネジメントは高度な創造的な能力が要求されます」。

 ここで日本の現状に戻ってみましょう。日本の強みである製造業は、技術力、製品開発力で世界的にみて群を抜いた存在です。しかし、各社が同じ戦略で競争し、価格競争に明け暮れ、開発費すら回収できない現状があります。なぜ、そうなるのでしょうか。マネジメントに対する評価基準を日本企業は定めないで仕事をしているからです。評価基準とは「マネジメントを可視化し、何をすればよいか、それをどのように評価するか」ということを決めることです。
 仕事をすることは、マネジメントサイクルでいいますと、計画、実施、検証、是正となります。ここで計画とは「あるべき姿」を決めるわけですが、何を基準に「あるべき姿」を描くかが問題になります。国内向けの仕事のやり方をするのか、グローバルを対象に仕事をするのか、評価基準が違ってきます。グローバルを対象に仕事をするなら「あるべき姿」が国内と変わります。グローバルを対象に考えるならMBAは必要な資格となります。MBAを必要としない発想は従来の習慣を踏襲することで食べていけるという発想のマネジメントを意味します。
 二番目が個人や組織に対する評価基準です。先端的な業務やグローバル対応の仕事は「ハイリスク・ハイリターン」の仕事になります。しかし日本では個人に対し「ハイリスク・ローリターン」の評価基準が採用されています。一方国内向けの安全な仕事は「ローリスク・ミドルリターン」が採用されており、失敗しなければ出世する仕組みが継続されています。この評価基準を採用していれば、企業がイノベーションを主張しても危険を犯す人はいなくなります。そこで日本企業の戦略は無難に走りますから、戦略は他社と同じになりがちです。でも経営者は戦略を実施したと思い込んでいます。

 マネジメントに対する日本と米国の相違は能力の差ではなく、個人や組織に対する評価基準の差です。日本は役所はじめ多くの組織で評価基準を可視化しない手法で、責任者が責任をとらない組織体質を長年かけて構築し、省の組織が生き延びる戦略(省益と言います)はありますが、統一された国家戦略がみえません。しかし、日本では実行して失敗すると全員が厳しく批判しますが、何もしなかったことに対する非難は全くありません。この評価基準を国も企業も継続すれば、評価基準の明確なアジア諸国の後塵を浴びることは時間の問題です。

 次回は「契約の概念」にします
以上
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