「ゆとりの法則」 誰も書かなかったプロジェクト管理の誤解
(トム・デマルコ著、伊豆原弓訳、日経BP社発行、2006年05月30日、1版7刷、229ページ、2,200円+税)
金子 雄二 ((有)フローラワールド):11月号
この本と著者のデマルコ氏は、IT業界ではよく知られている。今更、ここで紹介するまでもないのだが、改めてこの本を読み直す機会があり、別な角度からその内容を確認して感服した。そこで意を決し紹介することにした。実は、筆者は今年2月からPMAJでのSIG(Specific Interest Group、特定テーマ研究会)活動の一つであるPS(Partner Satisfaction)研究会に参加している。そこでプロジェクトマネジメント(PM)をPSの観点から勉強し直している。その過程で改めて、この本を再読した。PSとは、プロジェクトに参加するメンバーの満足を意味し、個人のパフォーマンスがプロジェクト成功に大きく影響を与える観点から人的資源の能力発揮の方策を研究している。従来のPMBOKやP2M等での開発プロセス思考とは違った角度から個人、チーム、組織をモチベーション面からPMにアプローチしている。PSの話ではなかった、本題に戻る。今回はデマルコ氏の本が主題である。著者の経歴や著書から、PSに近い観点でプロジェクトを論じているので、どうしてもSIGの件には触れて置きたかった。そして著者の「構造化分析とシステム仕様」(1986年11月発行)は、コンピュータソフトウェア開発のバイブルとも言われていて、データフローダイアグラムの発案をしたものである。この本は、プロジェクト運営の技術とシステム設計における構造化手法を纏めたものである。1994年に新装版として日経BP社から発売されている。
その後、「デッドライン―ソフト開発を成功に導く101の法則」(1999年3月)、「ピープルウェア(第2版)―ヤル気こそプロジェクト成功の鍵」(2001年11月)、そして2001年11月に今回紹介の本を書いている。もう6年前のことである。著者は、2004年に来日している。その時、「ゆとりの法則―アジャイルな組織のシークレット」と題する講演をしている。その中でマネジメントスキルの根本的な考え方やそのあり方を語った。当時の記録によると、マネジメントスキルで最も重要な要素は、トレーニング等で伝達出来る代物でなない。その伝達不可能なものがマネジメントスキルの本質であると言っている。その本質の中に、感謝する気持ちや、人を誉めてその能力を伸ばそうとする態度等々、人が生まれ持った性質がある。だからトレーニングでは十分補完出来ない。その本質が「心のゆとり」であると説いている。最近流行っているアジャイルについて一言触れると、開発手法の一つで、開発対象を多数の小さな機能に分割し、その機能単位に開発する。 そして小さな反復(計画・設計・テスト・文書化等)を繰り返して、機能を追加開発する手法である。著者は、その手法のことではなく「軽快な、機敏な」という本来の意味で使ったと思われる。
ゆとりの法則(1) ―― 効率化と「ゆとり」の関係 ――
著者は、この本で効率のあり方とゆとりの関係を克明に書いている。副題の「誰も書かなかった管理の誤解」とある通り、従来からの効率化を主体とした管理のあり方に問題提起をしている。先ず「効率化することによって、何がよくなるのか」との問いに、幾つかの一般的な回答が思い浮かぶ。「単純労働から解放される」「自動化による効率化で、人手による間違いが減少する」「作業時間が効率化されるので短時間で作業が終わる」「効率化されて余った時間で他の作業が出来る」「効率化して作業が早くなった分、他社との競争力が高まる」等々である。所が、管理者(経営幹部)は、効率化して余った時間で更に多くの仕事をさせようと画策する。だから作業を効率化すればするほど、仕事は益々忙しくなる。さもなければ、効率化して仕事をある程度増やしても余裕がある場合は、状況を見て人を削減しようとする。その結果も一人あたりの作業密度は上がり、忙しさは更にひどくなる。それでは何故管理者は、効率化を求めるのであろうか。「顧客の欲求に答えるため」「会社の利益向上のため」「自分たちの出世のため」等々が考えられる。これ等にも一理はあるが、その反面大きなものを失っていないだろうかと著者は訴えている。効率化を求めすぎて「単純作業は自動化されたので、残った作業は難しい作業だけなので、事前準備が十分に必要である」、所が「次の作業に十分な準備期間が取れない」「休憩時間も満足に取れないので、次の作業への切り替えが出来ない」等で全体として本当に効率化されたのか疑問が残る。
この点に関して著者は、間違った管理の2法則があると指摘している。第1法則は「うまくいかないことがあったら、もっとやれ」である。管理能力のないリーダーは、作業者の状況を全く無視して精神論で一生懸命やらないからだとプレッシャーを掛ける。一方管理者が効率化の状況をある程度理解すると、更にひどい第2法則というのがある。それは「自分自身がユーティリティー・プレーヤーになれ」と管理者自ら管理を投げ出して作業に没頭する。これではPMが上手くいく筈がない。効率化した結果、自分で自分の首を絞めている。著者は、これらの原因が効率化だけを求めた結果、最も大切な人間としての「ゆとり」を失っているからだという。この「ゆとり」を取り戻すことによって、「組織が敏速になる」「人的資本である重要な人材を維持できる」「未来に投資できる」「リスク回避でなく、賢明なリスクの選択が出来る」と書いている。このことを証明するために、9分割ゲームを例に紹介している。9分割ゲームとは、正方形の中に1から8まで数字の小さな正方形のコマがあり、その一つが空いている。その空きを利用して順次コマを動かして横降順や縦昇順に並べ替えるゲームである。このゲームで空いている所に、新たな数字のコマを入れると全て数字で埋め尽くされる。その結果、正方形には数字が全て詰め込まれるが、自由に動かす余裕が無くなってしまう。即ち、正方形には一つ多くの数字が入れられたが、余裕度(ゆとり)が全く無くなってしまった。これは余裕を犠牲にして、自由を失ったことになる。人、組織には、効率化だけでなくある程度の「ゆとり」がないと動けないのである。
ゆとりの法則(2) ―― リーダーシップとチーム力 ――
ここで著者は、「ゆとり」にはある程度の自由度が必要であるといっているが、これは具体的には組織的変化による成長を意味している。だから人や組織に「ゆとり」がないと、変化と成長が出来ない。従って、「ゆとり」が如何に重要であるかを強調している。その「ゆとり」を生み出す理由として、「不要なものを省いてプロセスを軽くして、変化に対応する」「不要なものを見極めるために、作業の優先順位を重視する」「人的資源に投資するポリシーを貫く」「変化するために、効率を落とすこともある」等々が考えられる。ポイントは、これを判断して実行するのが、リーダーの役目である点だ。この点に関して著者は「リーダーシップとは、与えられた課題に他の人たちを参加させる能力である。リーダーとして意味のある行動をとれば、人は長期的な利益を高めるために、短期的な痛み(余分なコストや労力、満足の先送り等)はある程度受け入れてくれる」とリーダーシップの基本的な考え方を示している。具体的な要素として、@方向性を明示する。A短期的には痛みが伴うことを率直に認める。Bフォローアップすることと書いている。この本ではBを三回繰り返し書いているので如何にフォローアップが大切かを強調している。これら要素の基本は、リーダーとそのグループを構成するメンバーとの信頼関係と、リスクに対する対応の仕方にある。ここでは信頼関係の構築とチーム力を「ゆとり」の観点で書いている。
一般論として「信頼を得るには、信頼にたることを示す」とある。だが、この信頼にたる行動を示すには、リスクを避けることはできない。従って、リスクの責任をとる覚悟をもって方向性を示すことである。この方向性には、現在から将来に向けての変化を予見したものである。変化を含んだ方向性を示すには、古い保守的な会社幹部を説得し、方針を確認してからの行動となる。組織を変化させるには、変化のタイミングを捉えそれを納得させる能力も必要である。変化を見るタイミングは、マーケットや組織上の悪い問題に対して勇気を持って上昇傾向への方向性を示す。この方向性には、リーダーとしてのビジョンが不可欠である。このビジョンが変化のエネルギーとなる。ドラッカーは、これを組織の「文化」だといい、建設的変化を築くための土台となっている。著者もビジョンのない企業は、意味の無い自己定義の現状維持であるとし、ビジョンを持って変化に対応する必要性を強調する。このリーダーがリーダーシップを考える時間が必要であり、これが組織の「ゆとり」である。日常の管理業務に忙殺されていては、リーダーシップどころではない。このリーダーシップを生む源は組織の学習(チーム力)の中で培われるという。このチーム力を向上させるには、普段から品質至上主義(品質が会社全体の利益となる。開発者が最高を目指す。目先の小さなことに騙されない)が貫かれている。それとグループの満足感(小さな達成感を積み上げる。メンバーの連帯感がある)が共有できる社内環境と、その仕組み(ゆとり)を醸成するリーダーの強い意思と努力が必要であると指摘している。
ゆとりの法則(3) ―― リスクと危機管理 ――
チーム力についての補足だが、学習する組織はチーム力が向上する反面、学習しない組織は当然チーム力ではなく、個人技に頼らざるを得ない。著者は、この学習しない組織を改革するポイントが「変化」であるという。その変化を促進させるには、@組織から内部競争を排除して、管理者同士が協力、協調、共有出来るようにする。A新しい技術には、練習する機会を与えて訓練の段階に時間を掛けるべきであると書いている。実行するにはそれなりの困難が伴うが、この困難への克服過程でリーダーシップやチーム力が培われる。先のリーダーシップには、メンバーとの信頼関係の構築とリスク対応が必要であると書いた。この本でリスクとは、当然起こりうるものであるが、全てにおいて発生するものでもない。だからリスクの対応で時間とコストを考慮して、多少の「ゆとり」を持たせる必要がある。問題はその「ゆとり」の範囲をどの位持たせるかにある。この問題の本質は、リスク管理の基本的問題だが、そのリスクが発生した場合の影響度をどう見るかがポイントである。全体リスクと部分リスクを見極めて管理しないと収拾がつかない。そのためには、想定されるリスクを洗い出す。新たにリスクを発見するプロセスを継続する。それらリスクの影響度と起こりうる確立を数量化する。そして最後に、リスクが発生したら早く知らせる変化の指標を設置して置き、その対応措置を予め決めて置く必要がある。せめてリスクのチェックリスト位は事前に準備する「ゆとり」がなくては、リーダーは務まらない。
ここでリスクと危機管理の関係について触れておきたい。リスクは、PMに限らずあらゆる生産活動や社会生活に存在する。しかし、何か問題が発生し、初めてリスクとして表面化される。だからリスク管理は問題が発生する前に考えなければならないので、事前に想定・探知することである。それに対して危機管理は、問題が発生した時の対応や対策を考えるものである。所が現実は、リスク管理を十分行っているケースが少ないので、問題の対応だけの危機管理に追われている。問題が発生してからでは、対処が後手に回るので、せめてリスクの発生を少しでも少なくし、起きた場合でも影響を最小限度に留める努力は必要である。この方策をPMリーダー個人に任せるのではなく、会社として組織としてのリスク管理のあるべき姿を明確にして置かなければならない。この本にリスク管理を実施しているか9項目のチェックリストを提示している。その一つに「リスクに関する調査結果が公表されているか。そのリストには結果だけなく、主な原因となるリスクも含まれているか。このリストを全ての人が閲覧できるか。更に、リスク分析として使えるものが掲載されてか」と書いてある。この底流には、リスクを公表しない企業文化があることを問題にしている。変化の激しい現在では、過去の変化の少なかった時代と違い、絶えずリスクをとり続けている。もはやリスクを回避することは不可能に近い。むしろリスクと如何に付き合っていくかを考えるべきである。変化には必ずリスクが伴う。しかし、そのリスクを遠ざけて変化をしなければ成長は望めない。著者は、「ゆとり」が成長を生む必要な自由度であると指摘し、それを判断し実行するのが、組織のリーダーであると纏めている。(以上)
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