今月のひとこと
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「見えない(インタンジブルな)ものを評価できない社会で何が起こるか」(2)
−マネジメントを理解していない社会−

オンライン編集長 渡辺 貢成:10月号

前回の内容
 欧米社会で当然とされていることが日本では常識的でないいろいろな問題がある。@企業が資格者を重要視しないという習慣がある。高い金と貴重な時間を使って取得したMBA資格者を資格に見合った仕事をさせないという問題。A見えないことがら例えばマネジメントというものに対する発想が欧米と異なる問題をとりあげた。

今回:なぜ見えないものに弱いのか、皆さん考えたことがありますか。
 私は考えることが自分の商売と思っていますから、トヨタ方式ではないのですが、なぜ、なぜ、なぜと考えます。私の考えをお話します。資格者が活躍するためには、社内のいろいろなところが整備されていないと資格者として力を発揮できません。例えばPMBOKです。PMBOKは近年益々整備されてきました。PMBOKはすべて「インプットA」「ワークプロセスA」「アウトプットA」で整備されています。そこで「ワークプロセスA」を行うには「インプットA」はどのようなもので、何が必要か書かれています。米国企業では「インプットA」は標準化されたテンプレートがあり、部分的に必要な要求事項をテンプレートに入れると「ワークプロセスA」は簡単にパソコン内で処理されます。日本では標準化に対する思想が貧弱ですから、十分に機能せず、手作業で行うことが主流になっています。これでは資格者が力を発揮できる余地に乏しく、資格を持たない経験者のほうが役に立つという図式になっています。この分析がないと資格を取っても役に立たないという現実しか見えてきません。
 欧米では労働組合が企業内にはありません。労働組合員が働けるには、社会で共通に使える標準が必要なのです。そこで標準化は世界的な合意を得ながら進めています。日本では自社にしか通用しない標準を大事に守っています。これは逆に日本以外の国からみて世界に通用する資格者を拒否する制度見られています。これは世界の流れであるグローバル化に大きな障害となっているのですが、日本国内では逆に「資格をとって何の役にも立たない」という苦情をうける始末です。本当は資格者を活用できる土壌つくりを日本企業はしていないことを理解せずに、自分のやり方しか知らない人々が、彼らの経験だけを正当化し、自分たちの遅れにすら気がついていないというのが現実の姿です。

 では、皆さんはグローバル化とは何かと考えたことがありますか。グローバル化であなたは具体的に何をするのかわかりますか。ゼネコンさんは大変な実力の持ち主です。しかし、グローバル化に遅れを取っています。「イヤー、我々も海外に進出しているよ」といいます。では海外の顧客から直接受注していますかときくと、日本企業の海外進出に付随しての進出という。これはグローバル化の意味が違います。海外の顧客のスタンダード、業務の進め方すべてを理解して、なおかつリスクを乗り越える実力がないと進出できません。スタンダードはある程度眼に見えますが、ビジネス習慣は眼に見えません。眼に見えないものを見える形にしないとビジネスはできません。しかし戦後日本は眼に見えないものではなく、見えるものを真似し、見えるものの世界で成功しました。しかし、見えないものを可視化する努力をおこたって来ました。この表現は実は適切ではありません。製造業の成功には単なる真似ではなく、見えない部分が大部分であり、見えない部分を研究して完成したから今日の製造業の成功があるのです。しかし、見えない部分を可視化せず常に暗黙知で処理したために、社内でも先人の成功体験を継承できず、常に手作りの域を出ない状況が多くの部分で見られます。

 では、何が問題なのでしょうか。日本人は今でもそのことを問題視していません。そこが問題です。問題視することで、それが課題となり、課題となることで問題が解決していきます。欧米人の偉いところは、そのことが気になって仕方がないことです。日本で成功した手法の解析は米国の大学で行ってきました。見えないものを米国人が可視化することで、日本人はありがたがってまた採用します。実はこの表現にもうそがあります。製造業でも見えない部分を解決しないとモノができません。それは何でしょうか。代表的な例が設計思想の概念化とマネジメントです。実は日本人も可視化しますが、日本人は日本人の論理を信用していません。同じ論理でも米国という権威が言ったことが重要なのです。米国の論理が間違っていても誰も責任を足らなくていいという論理に基づいて日本社会が長年動かされています。ここが問題ですが、その問題はさておき、欧米人が見えないものを可視化する秘訣は何でしょうか。「あるべき姿」は何か、その評価基準は何かということを明確に示すことによって定量化しています。日本では「言葉の定義」と「評価基準」をつくってコンセンサスを得て、仕事を進めることをしませんから、表面的な言葉だけが先行し、話したことで目的が達せられたと勘違いしています。例えば、「マネジメントとは何か」と質問しても明確に答える人がいません。「グローバル化とは何ですか」と質問しても答えが返ってきません。日本では多くの経営者、評論家、マスコミがグローバル化の必要性を力説します。しかし、定義や評価基準がないので行動しようがないのです。従って、実質的には何もしていないというのが現状ですが、不思議と主張したことで、何もしないで安心しているというのが現状です。現実は韓国、香港、台湾、中国に遅れを取っているという実感を持っていないだけでなく、後ろ向きの方向に走り出しています。

 次回は「マネジメントとは何か」を掘り下げて見ます。
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