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PMRコーナー 「プロマネさんの悩みと醍醐味」

岡本 敦:8月号

◆ マーフィーの法則?
 プロジェクトを進めていると何かしら大きな問題が発生して自分(プロマネ)の邪魔をする。 しかもなぜか自分のプロジェクトには予想外の問題が特に多く起こる − マーフィーの法則ではないにせよ 恐らくプロマネさんの誰しもが共通して感じている悩みだと思います。 計画通りで問題の発生しないプロジェクトなどこの世にはあり得ないことは十分頭ではわかっているのですが。
 私がアフリカのとある国で石油関連施設の建設工事を担当したときも、小説が数冊書けるくらいに、いろいろなことが起こってくれました。 累積債務を抱えていた同国が、いきなりリスケ(債務繰延べ)を発表しプロジェクトの融資スキームが根本から覆ったのが最初の洗礼。 利害関係者には客先現地人に加え客先側コンサルにプライド高き英国人、下請け業者には海千山千のレバノン人、インド人、さらにはイラク人やパレスチナ出身者まで加わり毎日が一触即発状態の連続。 現場の周囲では銃による事件が日常茶飯事。 異常気象の大雨のため土木工事は遅々として進まず、日本人スタッフは疲労や心労に加え、マラリアや原因不明の病気で倒れる人が後を絶たない・・・・ でもこのあたりまでは ある程度「想定の範囲内」で通常のリスクマネジメントの守備範囲に入るでしょう。 通常のPM手法に限界を感じたのは、更に下記のような外的リスク要因に襲われたときでした。
  • 大統領選挙が近づくにつれ選挙活動や政治抗議行動の一部が暴動に発展。 (われわれは万が一の際の避難経路・手段方法を確保するとともに陸路で隣国に逃げ込む際の入国ビザも用意。)
  • 選挙の結果、それまでの長期安定政権が一夜にして崩壊。 その日を境に 昨日の正義は今日の悪に。
  • 客先は国営企業であったため 会長・社長をはじめ主要ポストは総入れ替えに。 そのとばっちりを受けてそれまでも遅延気味であった客先からの支払いが とうとうストップ。
  • 我々の宿舎の近くにあったイスラエル系ホテルが自爆テロを受けて全壊、死傷者多数発生。
  • 時同じくして、我々の現地事務所から100mほどしか離れていない場所から、離陸直後のイスラエル機に向けテロリストがミサイル2発発射。
    (全くの余談ですが、NHKの情報収集力は素晴らしい。 現地で上記の同時多発テロが発生した僅か数時間後に どこでどう調べたのか私の携帯にNHKのパリ支局から電話が入り、当時のミサイル攻撃の状況を詳細に教えて欲しいとのこと。 その電話インタビューの様子は日本のテレビニュースに流れたそうですが、その中でアナウンサーが「実に生々しい報告でしたね。」とコメントしていた・・・・・ ゴメンナサイ、実は私自身は発射の瞬間をこの眼で見たわけではなく、目撃したというローカルスタッフたちの話を総合しただけなのです。 サービス精神旺盛な彼らのこと、決してウソは言ってないと思いますが、多少脚色が・・・・・。)

◆ プロマネの醍醐味
 プロジェクトの実施過程で当初の目標値を見直すことは良くありますが、これだけの問題が次々と起こると この建設工事を単なるプロジェクトとして扱うにはもはや課題や外部環境が複雑すぎます。 むしろ課題の一つ一つをプロジェクトとして認識し、それらへの対応結果が全体として最適化するようにマネジメントすることが必要になってきます。 ここではP2Mで言うプログラムマネジメントの考え方が当てはまると思います。 前述の工事の場合には、その設備が同国のみならず近隣諸国にもエネルギーを供給するゲートウェイであり経済へのインパクトが多大であったため、使命としては一刻も早く設備を完成させ運用に供することにありました。 その使命のもとでコストや工程を含めた目標も見直していくわけですが、その際に必要不可欠なことは、すべての利害関係者が満足とまではいかないまでも少なくとも納得のできる結果に導くバランス感覚と交渉能力だと思います。 現場と温度差のありすぎる日本の本社に指示を仰いだところでロクな回答が返ってくるはずがありません。 前線で「大将」を張っているプロマネの手綱さばき、それは大変ではありますがプロマネの醍醐味とも言えるでしょう。

◆ PMRのススメ
 私事で恐縮ですが、私が欧米流の最先端のPM手法に最初に接したのは1980年代前半の中東における石油関連施設の建設現場においてでした。 パートナーを組んでいた米国系エンジニアリング会社の洗練された手法に砂漠の真ん中で感銘を受けたのを今でも覚えています。 その後インドで大赤字のプロジェクトを目の当たりにし、体系化されたPM手法・知識・スキルの必要性を痛感。 日本でPMPの受験が可能になったのを機にPMP資格を取得。 ところが、早速PMBOKを実務で活用しようと意気込んではみたものの、何か違和感というか、どうも自分の理想とするものとは違う。 その頃に携わっていたのが国内プロジェクトであったのも要因のひとつかもしれません。 たとえ紙切れ一枚だけであっても明確な契約書・仕様書があるケースはまだましな方で、多くの場合 最終的な姿や責任の所在を曖昧にしたまま「なんとなく」プロジェクトを進めていく日本流土壌の中では 所詮PMBOKは活かしきれないのか、そう考えた時期もありました。
 そんな中で日本発のP2Mの存在を知りました。 同時に、社会全体が高度化・複雑化・不確実化しており、顧客は要求したい最終の姿を自らが定義しないのではなく、したくても容易に定義できなくなっている、それがPMBOKに感じていた違和感の背景にあることに気づきました。 一方、P2Mでは曖昧で不確実性が高く複雑な問題を正面から捉え、多くの課題を複数のプロジェクトとして認識し最適解を追求するプログラムマネジメントにより 社会などの外的変化に適応した真の価値創造を主眼としています。   早速PMS/PMRの両資格に挑戦したわけですが、アマノジャクな私は組織に縛られるのがいやで 会社へはあえて知らせないままでの受験でした。 特にPMRの方は、受験料が個人負担には重いものでしたし、長丁場の日程のやりくりも苦労の連続でしたが、選考過程の内容は試験というよりはP2Mの体系的知識習得の場、ケーススタディーによる実践模擬経験の場として極めて有意義なものであり、それだけでも「元が取れた」と思うに十分なものでした。
   この選考過程で学んだ重要なものの中に、曖昧で複雑なプログラムを「可視化」するためのプロファイリングマネジメントがあります。 現実の「ありのままの姿」と将来の「あるべき姿」を明確に描き、「ありのままの姿」から「あるべき姿」に到達する過程で越えるべき課題を認識した上で到達する道筋を想定し、使命を実現可能なシナリオ形式で展開するわけですが、一流の講師陣(試験官)によって一見すると単純そうに見えるこの手法の奥深さを徹底的に認識させられます。 こういった知識体系・手法の応用範囲は、建設プロジェクトやITソリューションなどのビジネスに限定されるわけではなく、社内の業務改革や経営革新にも適用できますし、私はP2Mの概念は広く政治・行政の場にこそ活用されるべきだと思います。 今後さまざまな分野の多くの方がPMRの世界に参加されることを願ってやみません。

【筆者略歴】
 1983年に某総合エンジニアリング会社に入社以来国内外の主としてエネルギー・化学・環境分野のプロジェクトに従事。 1960年生まれの47歳。 京都大学機械工学科卒、米国シラキュース大学化学工学科修了。 PMR。
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