図書紹介
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「リクルートのDNA」 ―― 起業家精神とは何か ――
(江副浩正著、角川書店発行、2007年03月10日、初版、215ページ、686円+税)

金子 雄二 ((有)フローラワールド):6月号

この本は、いろいろな意味で示唆に富んでいる。リクルートといえば、リクルート事件(1988年6月、リクルートコスモスの未公開株が川崎市助役に譲渡されているとの新聞報道で、一連の「リクルート事件」が始まった。東京地検特捜部は、4ルート(労働省・文部省・政界・NTT)の収賄側8人と贈賄側4人の計12人を起訴。その後、2003年3月、リクルート創業者の江副氏に下された東京地裁判決をもって、事件の幕が下ろれた。)を思い出すが、既に20年近い歳月が流れている。この事件のことだけでなく、そこまでに至る企業と個人のいろいろな歴史的意味が包含されている。これを光の部分で見ると、40年前(1960年リクルート前身の大学新聞広告社創業)のベンチャー企業の発展史であり、個人の視点で捉えると経営者の挑戦と躍進の足跡である。一方、影の部分では、スキャンダル事件として共に創業者が逮捕されたライブドア社の例とダブル部分がある。しかし、リクルートとライブドアを単純比較できないが、内容的にはかなりの差があるように思える。その例として、当時ベンチャーであったリクルートは、求人広告業の業界を代表する企業に成長している。更に、当時そこで働いていた人々が、現在でも各方面で活躍している。それを裏付けるように、この本の帯の宣伝文に「本書にはベンチャーの全てがある」(大前研一氏)と絶賛している。この本は、リクルートの企業として果した社会的意義(ベンチャー企業のチャレンジ)と人材輩出企業といわれた人材育成(起業家精神)について書いている。

ここで改めて注目すべきことは、あのリクルート事件の混乱の中で前後数年、全く社員の退職率が不変だったという記録があるという。当時、社内で「再生活動連携の輪」のごときものが、あちこちで出来て社員の連帯感が高まったと書いている(生嶋誠士郎・元リクルート常務の著者「暗い奴は暗く生きろ」から)。そして、顧客から「おたくの会社、商品が悪いわけではないから」と励まされたことも大きなバネになったのだろう。その結果、事件発生年度は、史上最高の収益を上げている。現在のリクルートの収支(ホームページに最近5年間の記録が掲載されている)を見て更に驚いた。2006年度の売上(4,436億円)、営業利益(1,298億円)、利益率29.3%である。5年前との対比で、売上1.6倍、営業利益1.4倍であり、利益率も30%と変わらぬ成長を遂げている。更に、もう一つ驚くべきことは、事件当時1兆8千億円あった有利子負債を、毎年1千億円の返済をして負債は実質ゼロの無借金経営となっている。この間に、経営権がダイエー傘下になった等の紆余曲折はあったが、先のリクルート事件があったとは想像も出来ない飛躍(奇跡?)である。従って、この本からこれらの原点である起業家精神やそのDNAを探ることが大いに期待できる。

リクルート発展の原点    ―― 新規事業分野への果敢なるチャレンジ ――
リクルートのビジネスモデルは、単純である。しかし、これをビジネスの本業として企業化して今日の地位まで築き上げたのは、リクルート(イコール基盤を築いた著者)である。著者は、この本の中で「誰もしていないことをする主義」として簡単に書いている。しかしリクルートの事業展開を調べてみると、単純なビジネスモデルをあらゆる業態や年代階層までに徹底的に広げている。スタート時点は、学生を対象にあらゆる業態の会社の就職情報を媒体(主に雑誌)にして学生に無料で配布した。勿論、企業からは掲載料としての代金を貰って商売としていた。その後、その情報は進学(進学ブック)、住宅(ハウジング情報)、教育(ケイコとナマブ)、旅行(エイビーロード)、生活(生活情報やリゾート情報)等々を幅広く特定業態に的を絞って、ドンドン広げている。そして年代層にあった形でニーズを絞りターゲットを明確にして情報誌化した。それも地域を徐々に広げて全国展開を図って発展させている。全国展開といえば、リクルートは東京でスタートした会社である。だから地方では殆んど知られていなかったが、全国的に有名になったのは、皮肉にもあの事件後であると著者は書いている。あの事件とも多少繋がりがあるが、リクルートは新規事業の展開の中にコンピュータとネットワークの技術発展に着目して、採用情報や住宅情報のオンライン処理を手掛けていた(1983年以降)。こうした果敢なる事業チャレンジは、全てが全て上手くいったものばかりではない。コンピュータのタイムシェアリング事業(回線を使った時間貸し)や電話事業への進出は、時期尚早等で結果として成功しなかったが、「より良い明日を早く招こう」とした経営の失敗であると著者は反省している。

リクルートの新規事業の展開でもう一つの経営モットーが、「ナンバーワン主義」というのがある。これは同業間競争で常に有利な地位を確保して、他の追随を許さない環境を自ら築きながら新規事業を展開していくやり方である。著者は、「同業間競争で敗れて二位になることは、我々にとっての死である」と書いている。この血の出るような厳しい競走を自ら祖先してチャレンジしている。こう書くと著者は、軍隊の鬼軍曹をイメージするが、社内全体が「戦略より戦闘」いった雰囲気で、社員やアルバイトも含めて差別無く、課長、部長、経営者も一丸となって会社全体でチャレンジしていた様子が伺える。この辺りが、社員育成のDNAとして仕事を通じて育成されていたのかも知れない。幾つかのエピソードが紹介されてあるが、全て顧客のためであることが貫かれている。販路拡大の話しでは、従来の本の流通ルート(トーハンや日販等の問屋経由)では扱ってもらえないので、直接本屋やキヨスク等に置いて貰う方式を確立した。店舗では、他の書籍と違って仕入れが発生しないので現在取扱っている本の5倍の手数料となり、売る方も積極的に協力した。その結果、各方面で人気を集めることとなった。他社との競争では、顧客に早く本を届ける「印刷スピード」も大事な要素である。そこで従来の輪転機印刷から、コンピュータを使った電算写植(Desk Top Pubulishing)を導入して、週刊誌より早い印刷体制を既に確立(1980年)して、同業他社との差別化を生産からサービスに至るまで徹底的に実施した。

リクルートのOBたち    ―― 多士済々の起業家たち ――
この本にリクルートのOB(ここでは卒業生と書いている)の方々が紹介されている。最近のマスコミへの露出度からすると、藤原和博氏(杉並区立和田中学校校長、都内の公立中学校で初の民間出身校長)。他に教育界では、山本貴史氏(東京大学TLO社長、TLO:Technology Licensing Organization技術移転機関)が学内研究成果を民間に移する会社の社長である。しかも東大の教授陣が出資して設立した組織で正式名称は、叶謦[科学技術インキュベーションセンター(Center for Advanced Science and Technology Incubetion, LTD、略称CASTI)である。伊庭野基明氏(慶応大学教授、ニューヨークで産学協同の大学設立を目指している)がいる。女性では福西七重氏(ナナ・コーポレーション・コミュニケーション社長)が80社近い社内報の制作を受託する会社を経営している。坂本しま氏(潟V・マナーズ社長、リクルートでのビジネスマナー教育等の経験を活かして、電話対応、接遇、新入社員の教育等をする会社を設立)や携帯電話がブームなった時、話題となったNTTドコモiモード生みの親ともいわれた松永真理氏(バンダイ取締役、「とらばーゆ」編集長としての手腕を買われての活躍で、その後も政府税調委員をやられていたとある)等々がいる。経済界では、宇野康秀氏(USEN社長、フジテレビからライブドア株を購入した人として話題となった)、安田佳生氏(ワイキューブ社長)、多田弘實氏(上場会社キャリアデザインセンター社長)、樫野孝人氏(IMJ社長)、等々がいる。この本では紹介されていないが、高塚猛氏(元福岡ダイエーホークス社長、ダイエーのホテル再建の実績から球団社長となったが、球団選手の放出等の問題で刑事訴追され辞任した)もリクルートOBの一人である。

リクルートやコスモスOBが社長を務める上場会社は、20社近くにのぼると紹介している。それはこの本のテーマである起業家精神が養われる土壌があったのだが、これは後で述べる。ここでどうしても紹介して置きたい起業家がいる。岡田英明氏(クエストプロパティーズ社長、)である。この会社は、従来のビルマネジメント業を海外投資家やレンダーの要求を満たすプロパティマネジメント業の領域に高めた実績で、知る人ぞ知る有名企業である。その岡田氏が面白い話を紹介している。リクルートという会社について「会社で楽しそうに仕事している。そしてやり甲斐があると言っている人が目の前にいて、この人みたいになりたいと思って入ることになった。ほとんどの人がそうだと思うんです」と語っている。会社でなく個人だ。自分を語る言葉を持っている人は魅力的に見える。個人を語れる集合体のように見える組織なので魅力(自然で活力がある)ある会社となる。活性化とは分子(個人)と分子(個人)がぶつかり合って生れるエネルギー(組織)である。それを自然発生的に実践されたものである。もう一つが、「リクルート事件がリクルートを救った」という。リクルート事件はバブル崩壊より少し早かった。だからバブル以前に新規事業案件は全て止めた。それが結果として大きな損失とならずに事態が自然に収束された。これが逆であったら、リクルートは存在していなかったという。実力が運を呼び寄せ、運が実力を呼び寄せることもある。これも起業家たちの企業に対する運だったかも知れない。

リクルートのDNA    ―― 起業家精神を培った土壌 ――
企業のDNAは歴史を積み上げて脈々と受け継がれるが、新興のベンチャー企業のDNAは起業家の精神による。この本では、経営の三原則(社会への貢献、個人の尊重、商業的合理性の追求)を書いてあるが、どこの会社にもあるようでリクルートらしさが全く感じられない。それに比べて、社訓と経営のモットーは起業家精神を培うに十分な言葉であり、参考になる。先ず、社訓は「自ら機会を創りだし、機会によって自ら変えよ」である。先に紹介の岡田氏が先輩を見て感じた「会社の魅力」の原点が沸々と伝わったのかも知れない。著者はこれをIBMの「THINK」のプレートを真似て、プラスチックでプレート化した。リクルートの社員は意欲的で自立心が高いのか、多くの人が社訓プレートを卓上に置いて大事にしたと書いている。問題はその中味と会社としてのフォローアップ体制である。この点に関しては、生き生き働く風土作りの工夫がなされている。著者はそれをリクルートのPC(Profit Center)制と称し、「社員皆経営者主義」(商売の勉強ができる会社)として実行した。その結果、関連会社を含めると社内に600近いPCがあったという。これはPC制が自己増殖したり、細胞分裂したりして増加したものだが、社員がお互いに競争して発展する起業家精神が生れる土壌となった。このPC長(管理者)は、職階に関係なく存在し、四半期毎に表彰される仕組みとなっている。前河野栄子社長もPC長から事業部長、役員を経て社長まで上り詰めた人である。この仕組みは、以前京サラの稲盛和夫氏の「アメーバ経営」にも同じような話しがあったが、歴史的にはリクルートの方が早いようである。

このリクルートの起業家精神を支えた陰の柱は、「少数が精鋭をつくる主義」にチャレンジして得た成果に対して、成果報酬型の給与制度が実行されていたことではなかろうか。この本では「部長より報酬の高いメンバーがいても構わない」としている。現在の年功序列賃金体系が崩れていない30年前の話である。従来の年功序列ではなく、年齢や経験に関係なく成果主義の報酬制度は、実力のある若者にとっては魅力的であり、エネルギーの原点となる。リクリート本社のある新橋ビルは銀座の入口にあるが、終日電気の消えない不夜城とも呼ばれる位、社員は骨身を惜しまず働いたのであろう。このベンチャー企業は、社員の尻を叩くだけなく、福利厚生面にも心を配っている。海外遊学制度(勤続3年以上)、GIB旅行(Gold in Bonus)といった目標達成したら旅行に行けるメリット制度、RING(Ricurut Inovation Group)と称する全国規模のQCサークルもある。特に、IF(遺族年金)制度というのがある。これは1984年にある社員が病気で亡くなった。当時、小学校に通う子供が2人いたので、その子が大学を卒業するまで会社が、年金を支給する制度だという。社員が安心して働ける制度は、社員自身だけでなく、それを支える家族の力となっている。起業家精神は企業と社員が一体なって醸造されていたことを強く感じた。(以上)
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