PMRコーナー
「PMR資格を取って何が変わったか?」
富士電機システムズ(株) 本郷 保夫:2月号
◆私が体験したプロジェクト管理
私は昭和52年から平成5年までの16年間、自動外観検査装置(刻印文字、キーボードなどの外観検査装置)、パターン認識応用装置(メロンなどの果物の等級階級の仕分け装置、社員食堂でのトレーに載せた食品の精算装置)、印刷文書用日本語OCR(印刷文書中の文章の入力装置)などの研究開発に従事してきました。そして、平成6年から現在までの14年間、社内の研究開発に関する技術企画の仕事に従事しています。
研究開発者として製品の開発を行っていた時代には、「開発仕様書(FQCD)」と「工程表(バーチャート)」で研究開発プロジェクトの管理を行いました。当時は開発費用と開発工数(マンパワー)の見積もりは、経験と勘に頼っており、開発工程キープのために開発費用も工数も相当のマージンを含んだ計画となっていました。開発工数は平均的なスキルの技術者を想定して見積もっていたので、スキルの高い技術者は仕事が早く終わり、逆にスキルの低い技術者は見積もり以上の時間を掛けないと仕事が終わらずに残業が必要となり、スキルの高い技術者より収入が多くなるということになり、矛盾を感じていました。
◆P2Mとの出会いとPMSの受験
研究開発実行部門から技術企画スタッフ部門に移ってから、プロジェクト管理は研究開発の実行部隊がするものと考えていましたが、研究開発では工程の遅れや性能の未達成などいろいろな問題が起きており、実行部門だけではうまく解決できていないこともありました。そこで、私は研究開発プロジェクトを成功させるにはスタッフ部門としてどうすれば良いのかを考えるべきであると思うようになりました。まずは研究開発実行部隊がプロジェクト管理をしっかりやれるように、研究開発のテーマリーダをプロジェクトマネージャとして必要な知識とスキルとを身につけさせるように教育すべきであると考えました。そのためにプロジェクト管理として何を学べばよいかを調べるようになり、米国のPMBOKに対して、日本のP2Mがあることを知りました。
日本が発信するPM体系ということで、私自身がまずP2Mを習得して社内に広げようと考えました。社内の有志を集めて、PMSセミナーを受講したメンバーを講師にして社内講座を作り、みんなで勉強して第一回のPMS試験を受験しました。PMSに合格したもののP2Mは奥が深く、P2Mを仕事に活用できるほどに理解できたという感じがしませんでした。P2Mの理解度はそれぞれの技術者で違いますが、合格して少しでも各人の担当する研究開発のプロジェクト管理をレベルアップすれば、研究開発の問題を少なくできるであろうと信じて、育成した2〜3名の社内講師を中心に現在までPMS社内講座を開催し、毎回受験者を送り出しています。
◆PMRの受験
PMS講座を開設した後、P2Mの真髄とは何かと、もっとP2Mを勉強しないと本当にP2Mを社内に浸透させることができないのではないかと思い、PMR資格試験がスタートするという話を聞いて、すぐにPMSに合格してPMRに興味をもっている人を集めて、PMRを受験することとしました。
PMRを受験して分かったことは、プロジェクトマネージャとプログラムマネージャとのなすべきことの違いとPMOの役割の重要性でした。私の担当する技術企画部門の役割は研究開発プロジェクトのPMO機能であると考えるようになり、また、私に必要なスキル能力はプログラムマネージャであると得心することができました。技術企画部門に移って14年目にして自分の仕事が何かを理解できるようになったのは、P2Mとの出会いがあったからであり、P2Mの普及活動に感謝しています。
◆研究開発はプログラム
研究開発は基礎研究、応用研究、製品化研究に分類することができますが、研究開発プロジェクトの成功率は基礎研究のように先端的な研究であるほど低いものであり、1000に3つぐらいしか成功しないとも言われています。企業で実施する研究開発は製品化研究が多く、成功率を上げるために、目標とする開発仕様を実現可能なものにすることもありますが、それでは他社との競争で勝てるものではなく、本末転倒と言わざるを得ません。他社を凌駕する新製品を開発するには、新製品開発をプログラムと見て、いくつかのプロジェクトに分解して、成功するようなシナリオを考えていくこととプロジェクトの進み具合で実施すべきプロジェクトの計画をダイナミックに変更していくことが必要であります。私のこれからの仕事は社内の研究開発を成功させるためにプログラムマネージメントを行うことであり、さらにP2Mの活用のために研鑽をしていきたいと考えています。
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