今月のひとこと
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「隣の芝生もいいが、うちの芝生を豊かにしようよ」

オンライン編集長 渡辺 貢成:1月号

 皆さん新年おめでとうございます。昨年は色々な意味で日本が過去のしがらみから離脱し始めたのではないかという気がします。政治に関する論評を控えますが、「国家の品格」という本に多くの国民が反応したことがその一例です。

   戦後の60年間は「米国という芝生」をお手本とし、日本人は努力し豊かになりました。しかし、多くの人は豊かさの実感がありません。これが現実です。

ここで問題を出します。皆さんで解決してください。
設問1: 日本は世界的にみて、有数の豊かな国になりました。客観的には豊かな国なのですが、豊かさの実感がないのはなぜでしょうか。
回答: これは皆さんの回答ではなく、筆者の回答です。
豊かさの基準を持っていない。周囲との比較をもって基準としているから、豊かな気分にならない。これを改めないと永遠に豊かな人生を送れないと思います。

 欧米人は何か実行するとき、基準を先につくります。そしてこの基準に従って行動します。成果物の品質はこれこれの基準に従うと決めます。人事評価も基準を先に決めて、この基準に従って、個人は行動し、裁定者は基準に従って評価します。日本の人事評価基準はあいまいです。絶対基準でなく相対基準です。従って個人は基準を守るのではなく、他人より頑張るという基準が優先し、残業が多くなるという不幸の中で生活しています。(ただし日本企業の評価で優れている点は長期的に比較的公平だという点です)。ここで言いたいことは「相対基準は人を豊かにしない」ということです。

 では、日本企業を眺めましょう。この基準つくりが下手で、欧米の基準を借りてきました。しかし企業が輸入したクライテリアは製品・部品等の各種基準です。残念ながら戦略は輸入できないため日本企業は何を基準に行動していたのでしょうか。そうです。「同業他社に負けるな」が基準です。これは絶対基準でなく相対基準です。
 では、個人の職に対する基準は会社人間から、プロフェッショナルという概念に変わりつつありますが、個人の生活に対する基準は何でしょうか。米国人より給料が少なくとも誰も文句を言いません。「隣の芝生ではなく、かなたの芝生」だからです。しかし、相手が日本人であると評価の基準は未だに「隣の芝生との差」のようです。会社でも同僚とわずかなボーナスや給料の差で目くじらを立てます。差をつけられないために無駄な残業をしているのかもしれません。これでは日本人は死ぬまで豊かな気分で生活できないことになります。
 最近はプロフェッショナル化への動きが感じられます。プロフェッショナルとは自分の価値観が社会に評価される人々です。これは「自分の芝生を豊かにする」職業観ですね。

 では現実の家庭を眺めて見ましょう。家庭の最大の課題は子供の教育です。私の見るところ、この状況が幾つかの貧しさを生んでいます。第一が家庭の教育費貧乏です。教育費のために母親がアルバイトしています。第二の貧しさは「生活の価値観が一つしかない」ことです。家庭の価値観は以前と同じく「勉強して、いい学校に入り、いい会社に入り、豊かな生活ができる」ことです。第三の貧しさは親のこの価値観の押し付けで、子供は常にプレッシャーを受けて、心の豊かさを失っています。自分本位の人間という心の貧しい人間(品格のない人間)を育てています。これも「隣の芝生より良くなる」という価値観です。多様化された社会は多様な価値観があってしかるべきですが、社会全体がこの価値観から抜け出していない気がします。

 昔はいざ知らず最近の東大出身は答えのない問題に出会うと意外と役に立たないね、という声が聞こえてきます。社会がシビヤーになると知識習得型より、問題解決型に人材像が変化します。このように評価が多様化されると、人々は「隣の芝生より自分の芝生」を大事にするようになります。

 最近のテレビで「外人から見て日本のここがクールだ」という内容の番組があります。面白いことに米国好みの日本人の権威が否定した日本文化がどうやらクールなようです。米国文化も立派ですが、日本には彼らが頑張っても届かない2,000年の文化があります。日本の文化を世界中に美しく発信することで「日本の品格」を世界が認めることになります。文明の広がりは争いの種となりますが、文化の広がりは尊敬の種を植えることになると、賢者が言っていました。多様化された社会では、多様化した価値を社会が認めることで、社会全体を豊かにすることができます。これが文化というものではないでしょうか。
 日本人のセンスで高級品思考の商品・サービスを売り物にすると、少子高齢化はますます豊かな社会になるという予感がします。

 新年にあたり私たちは難しく考えず、本年から「隣の芝生より、自分の芝生を個性豊かにつくること」で、従来にない豊かな生活を築くことをしませんか。
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