PMプロの知恵コーナー
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ダブリンの風(42) 「プロジェクト計画のイメージ」
―歴史小説と時代小説―

高根 宏士:9月号

 子供の頃過去の時代を舞台とした小説は全て歴史小説と思っていた。ただし講談本は物語であり、小説とは考えていなかったが。現代小説と歴史小説のように区分していたと記憶している。未来を題材としたものはSFとして別にあった。過去を舞台とした小説に二つの種類があるとは恥ずかしながら、最近理解した。時代小説と歴史小説である。時代小説は作者の思いを表現するために、過去の時代を舞台としながら歴史的事実には制約されない。そこには自由奔放な世界がある。代表的な作家に山本周五郎や藤沢周平がいる。山本周五郎の長い坂」には一人の男のあるべき成長の姿がある。サラリーマンの生き方を江戸時代の侍の姿で描いているようである。藤沢周平の「橋ものがたり」には女郎や博徒のような社会の底辺にありながら、人間の気持を大事に持ち続ける人々を温かく包む雰囲気が漂っている。象徴的な背景として橋の向こに見える夕日がある。夕日は美しいが、消え行くはかなさがある。作者の思いを表現するために江戸時代、橋、夕日が必要であった。
 歴史小説には大きな制約がある。歴史的事実を曲げてはいけない。歴史的事実はそれを踏まえなければならない。秀吉が信長の部下になったこと、明智光秀が信長を殺したこと、家康が今川へ人質に送られたことは史実であり、これらを曲げては歴史小説にならない。曲げてしまったら安直なフィクションでしかない。歴史小説で作者の腕の振るいどころは断片的史実を踏まえて、史実として記録されていない部分を自らの想像で補い、大きな全体像を確立するところにある。例えば司馬遼太郎の「坂の上の雲」は正岡子規や秋山兄弟を中心とし、児玉源太郎の壮大な戦略、日本海海戦をクライマックスとした明治時代を描いている。そこに国としての大きな夢のある明治の青春を燦燦と描いている。
 宮城谷昌光の「天空の舟」は、文字のない時代における商(殷)の初代宰相伊尹の生涯を描いたものである。ほんの少しの史実の断片を繋ぎ合わせて大きな人物像を構築している。歴史小説では同じ題材を扱いながら、作者の視点、思い、考えの違いにより、伝わってくるものは全く異なってくる。その点で宮城谷昌光が描く人物は、高潔で品格が高い。しかも魅力に富む。伊尹しかり、晏子、楽毅また同じである。
 これらの歴史小説において断片的な史実を繋ぐイマジネーションこそ、命である。宮城谷昌光が「史記」では簡単に述べられている晏子を生き生きとした人物に描ききっているのはまさにこのイマジネーションの力である。

   プロジェクト計画

 この歴史小説におけるイマジネーションと似ているものにプロジェクト計画がある。プロジェクト計画において断片的史実に相当するものはプロジェクトの制約条件であり、前提条件である。この制約条件、前提条件を踏まえてプロジェクト成功させるストーリを作るのがプロジェクト計画である。同じ制約条件、前提条件でもストーリを作る人が違えば、異なったプロジェクト計画になる。その意味でプロジェクトを請負う人は歴史小説家と同じような想像力が必要である。また歴史小説家と同じような想像する楽しみがある。
 プロジェクト計画が歴史小説と異なるのは、歴史小説が過去を対照としているのに対し、プロジェクト計画は未来を対象としていることである。また歴史小説では史実を変えることができない。しかしプロジェクト計画では制約条件や前提条件は必ずしも絶対ではない。どうしてもストーリを作ることができない場合は条件を変えることも不可能ではない。最も異なるのは歴史小説では小説そのものが最終的成果であるが、プロジェクト計画は最終成果ではない。その計画に基づいてプロジェクトマネジャーやリーダはそのストーリを現実に実現しなければならない。
 プロジェクトマネジャーには歴史小説家と同じ想像する楽しみとそれを自ら実現する喜びの二重奏がある。この二つがないプロジェクトには瑞々しさを失った無味乾燥な世界か、恐怖に満ちた暗闇の世界が訪れるであろう。