PMプロの知恵コーナー
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ダブリンの風(41) 「組織の力」

高根 宏士:8月号

 低迷する巨人

 原巨人が交流試合から後低迷している。最下位にならないのが不思議である。巨人は川上監督で9連覇した後それほど特出するほどの成績を挙げていない。確かに人気はあるし、常に話題の中心になっている。しかしそれほど際立った成績を挙げていない。このような事態に対して、ある新聞の論評ではプロパーの選手を育てずに金で成績を買おうとした安易なやり方にあったと書いていた。二軍で同じ釜の飯を食ったとか、先輩、後輩が一緒に苦労して、汗を相続し、チームが団結し、そこから若い力がどんどん出てくるような風土が「高給取りが自分の仕事をしてさっさと帰る」巨人にはない。9連覇した当時の巨人は長島、王以下巨人で育てられた選手が中心であった。しかしそれ以降は他チームの4番を金に飽かせて、集めまくった。だからチームワークがあると思われるような場面をほとんど見ない。

 ソーシャルパワー

 ソーシャルパワーとは直訳すれば、社会資本である。この中には各個人が自分の利益だけでなく、自分を取り巻く環境も含めて、全体をよくしようとする意識がどれだけその組織にあるかを示す指標がある。
 ソーシャルキャピタルの小さい組織は、一見活性化しているように見えたり、瞬間的には力がありそうに見えても、各人が個人的利益ばかりを追求しているため、中長期的には全体の力は落ちてくることになる。巨人は昔と比べてまさにこのソーシャルキャピタルが亡くなってきているのではないだろうか。
 現代の日本社会もこのキャピタルは落ち続けている。現在は過去の資本を食いつぶしているのではないだろうか。力のあるマネジャーは部下を育成するよりも自分の成果を上げることに意識が向き、担当者は利己的になり、個人の成果(それも数字として見える)だけを追い求める。技術者ならば個人としてプレゼンテーションできる技術を習得できるかどうかだけに関心を持ち、チームとして成果を出すことに無関心である。
 この要因の一つに浅い能力主義がある。各個人の瞬間的、表面的、そして数字として見えるところだけを評価し、組織全体としての、トータルとしての成果(時間的面も含めて)から判断できない評価者が多いためである。もう一つの要因は一面的なコスト意識から来る外注である。中国への外注にはこのようなものが多い。ただコストが安いということだけで、外注することはその組織のソーシャルキャピタルを減らし、技術の空洞化、現場に根ざしたスキル、力の喪失を意味する。昔は、この現象は一企業の問題であったが、これからは日本全体の問題になりそうな気がする。問題は既に相当進行しているのかもしれない。

 組織の力

  日本はこれまで無意識のうちにソーシャルキャピタルを蓄積できるような環境を作っていた。これが個人としては力が足りなくても世界と伍していける組織の力になった。それをグローバル化の名の下で、破壊してきた。
 我々はソーシャルキャピタルを蓄積することにもっと意を用いるべきであろう。これを忘れて短期的、経済的利益のみを追求していると、知らないうちに組織の力はなくなってしまうであろう。それはちょうど癌細胞に栄養を与えて、本体が衰弱していくようなものである。