図書紹介
先号   次号

『企業の正義』
(中條高徳著、ワニブック出版、2006年07月01日発行、初版、263ページ、1,400円+税)

金子 雄二 ((有)フローラワールド):9月号

この本を購入したのが一ヶ月前である。以前から企業の倫理観や社会貢献の考えがどこから生まれるのか関心があった。しかし、この本を読んでいる内にここで紹介するのは相応しくないのではないかと感じてきた。歴史観は、時の政府や時代と共に大きく変わるものである。だから考え方が異なる政府や体制が樹立されると、過去の歴史観が否定されたり変更されたりするのが通例である。身近な例で、第二次世界大戦で破れた日本の歴史観が、61年経った現在でも論議を呼んでいる。アジアにおける外交問題や自民党の総裁選挙にも大きな影響を与えている。終戦後開催された極東国際軍事裁判(俗に、東京裁判とも言われている)や現在の憲法問題、靖国問題、教育問題等々、論議の原点はこの歴史観から発している。ここで一方的に著者の考え方だけを紹介するのは相応しくないと思っている。しかしプロジェクトマネジメント(PM)に携わる者は、公平に色々な方の意見を聞くことも必要なので敢えてご紹介する。その後の判断は読まれた方にお任せしたい。戦争やテロ行為は絶対にあってはならない。だが世界のどこかで戦闘行為やテロの脅威にさらされているのも現実である。国を護るのはその国の責任であると同時に、個人を護るのは個人の責任である。そのことを考え、この本から日本や企業の正義について考えてみたかった。

毎年、5月の憲法記念日に日本国憲法の成立過程やあり方、8月の広島・長崎の原爆記念日に原爆禁止と恒久平和、終戦記念日に戦争と平和について記念式典の報道と併せて色々な論議がされる。大変結構なことである。戦後61年、半世紀の歴史が流れた。先日の新聞に、今年の春に急逝した黒木和雄監督の「TOMORROW 明日」(88年)のことが書かれてあった。『「1945年8月8日 長崎」と、この字幕が現れる。9日という「明日」に起きることを知るべくもない市井の人たちの営みが描かれてゆく。(中略)そして、午前11時2分、原爆が炸裂する。残酷きわまりない「明日」までの時を、切々と描いた秀作だ。(中略)「明日」が、人々の営みと命を絶つということでは、激しい地上戦があった沖縄や、米軍の空襲を受け街や人、さらには、日本に侵略された国の人々の「明日」をも連想させる。ヒロシマとナガサキは、どちらも、人類が人類に与えた惨禍を長く記憶するために欠かせない存在だ』(8月8日、天声人語)。歴史を風化させないで、後世に伝承していく意味で大切なことである。こうした地道な積み重ねが、これからの人に日本の在り方を教えていく。

日本人が失ったもの     ―― 近世の歴史観 ――
最近になって新聞を賑わした事件を見ても、ライブドアや村上ファンド事件、耐震強度偽装事件、シンドラー社エレベーター事件、パロマ社ガスコンロ事件等々企業モラルを全く失ったもの。川崎マンションの子供転落死事件、秋田の小1児母親殺人事件等の子供を殺害するといった事件も後を絶たない。朝日新聞の縮刷版に今年1月からの児童虐待事件を纏めたものがある。それによると半年間で10件もある。著者は「犯罪大国日本」と書いている。この背景に1945年の連合国(実質アメリカ)の占領政策(戦後の民主主義教育)があったという。この点は戦後教育のあり方に関し色々な論議があるのでこれ以上は触れない。いずれにても、公共性に関するモラルが低下していることは確かである。参考までに、筆者が調べた先の縮刷版に、子供を事件・事故から守る活動が全国で展開されていて、これは半年間で62件もある。安全は地域を含めた自分たちが守る時代になっている。

然らば、どうしたら失われた日本人のモラルを高めることが出来るのであろうか。この点に関して、著者は歴史を学ぶ重要性と、四書五経(論語)を学ぶ教育が、これからの日本を救うと書いている。先ず歴史に関してこの本では、日清戦争(1894年7月から1895年4月)、日露戦争(1904年2月から1905年9月)での日本の勝利から、第二次世界大戦(1939年9月から1945年9月、日本の参戦は1941年12月)の敗戦に至るまでを纏めている。その中に東京裁判と国際法のことが書かれてある。これも理解と解釈が色々あるので詳しいことは専門家に任せることにするが、第三者的な意見を紹介したい。「極東国際軍事裁判(The International Military Tribunal for the Far East)は東京裁判ともいい第2次世界大戦で日本が降伏した後、連合国が戦争犯罪人として指定した日本の指導者などを裁いた裁判である。(中略)1946年5月より審理が開始し、1948年(昭和23年)11月、刑の宣告を含む判決の言い渡しが終了した。判決は、判事による多数判決であった。(中略)オランダ・フランスの判事の少数意見書は、判決に部分的に反対するものだった。インドの判事は、ただ一人、判決に全面的に反対する少数意見書を提出した。死刑の執行は、12月23日に行われた」(フリー百科事典「Wikipedia」)とある。

次に教育であるが、昨今教育基本法の見直し論議がなされている関係もあり、次世代育成の教育は重要課題である。そこで論語の是非もここでは論じない。これも一般常識として四書五経とはどんなものかを理解する程度に留めて置きたい。教育への適用可否に関しては個人の判断に委ねたい。四書五経とは、儒教の原典で「大学、中庸、論語、孟子」を四書といい、「易経、書経、詩経、春秋、礼記」を五経と言っている。朱子学が成立してからは四書が重要な原典となった。その中で論語は、孔子の言行録で朱子によって最重要文献に指定された。孔子の人間像は「上に居て寛ならず、礼をなして敬せず、喪に臨みて哀しまずんば、吾何を以ってこれ観んや」(指導者の寛容さ、敬虔さ、哀悼の気持ちに欠ける者は信頼性に欠ける人間であると戒めている)。こうした考えが出来る指導者を目指したい。

現代の経営者が失ったもの     ―― 企業の倫理観 ――
著者は個人的にホリエモン(堀江貴文、前ライブドア社長)との親交があったので、多くのページを割いて企業活動と逮捕の経緯を書いている。結論的には「金で買えないものはない」といった金銭至上主義は間違いであると指摘している。これは企業としての役割である社会性(公)が欠如して、会社利益(私)だけを求めた結果である。更に「老人の説教を聞いて役に立ったことは一つもない。時間の無駄である」と年輩の人を軽視する悪い癖があったという。著者は、だから歴史を勉強しろと言っているが、後半の部分で論語のことが出てくる。「己れの欲せざる所、人に施すこと勿れ」(自分がされたくないことを、人にはしないこと)これには前段があって、弟子の子貢が「人間が一生持ち続けるべき心掛けはどんなことでしょうか」との問いに、孔子が答えて曰く「それは恕だ。つまり、己れの欲せ・・・」となる。この恕に関して、著者は「恕のこころ」(他人を慮る心)として、この精神が欠けているから拝金主義となり、この考えが企業モラルの原点であるという。

次に著者は、A級戦犯などいない(靖国神社を正しく理解しよう)とまた歴史問題を投げ掛ける。現在では、靖国問題イコールA級戦犯(合祀)である。この靖国問題の是非論も専門家に任せ、事実関係だけを常識として調べてみた。靖国神社は東京都千代田区にある神社である。近代以降の日本が関係した国内外の事変・戦争において朝廷側及び日本政府側で戦役に付し、戦没した軍人・軍属等を、顕彰・崇敬等の目的で祭神として祀る神社である。1869年に創建され、1879年に靖国神社となり、それまで外国との戦争等で国を守る為に亡くなられた方々を祀っている。1978年昭和殉職者としてA級戦犯者を合祀したことが現在の問題点となっている。『A級戦犯とは第二次世界大戦の敗戦国日本を戦勝国が裁いた極東国際軍事裁判において「平和に対する罪」について有罪判決を受けた戦争犯罪人をさす。起訴された被疑者や名乗り出たものを含む場合もある。刑の重さによってアルファベットによってランク付けされたものではない。近年はA項目戦犯という呼称もされている』(フリー百科事典「Wikipedia」)。更に、関心のある方は独自に調べてご判断いただきたい。

本論の企業倫理観に戻りたい。経営者が身に付けなければならない思想として、著者は武士道を上げている。この武士道は本として新渡戸稲造がまとめて世界に向けて発表したものである。この本の書かれた背景には、欧米人にはキリスト教があるが、日本にはその規範となるべきものが無い。武士道はその中核となるものとしてまとめた。精神論的には論語の影響を受けている。西欧の「騎士道」(著者が「ノーブレス・オブリージュ」と説明している)を模しているが独自のものである。「義、勇、仁、礼、誠」どれも経営者(リーダー)として欠かせない要素である。これらの考えが基盤となって組織を統率する。だからリーダーとして模範となる考えや行動を、陰日向なく全てに対して示さなければならない。企業規範の原点が武士道か論語かはともかく、確たる精神的支柱となるものが必要である。

企業の正義を考える      ―― 正義感を持った明治の企業家 ――
今まで日本人、経営者の倫理観を述べてきたが、著者は題名にもある通り「企業の正義」を書いている。先にも書いてある通り、現在の日本人、経営者共に「正義」(規範)を失っている。だからその「正義」を問い質す必要があるといっている。その方法として『教育』(特に、家庭での「躾け」は親の義務であり、子供を育て躾けることから始まる)が、日本を救う道であるという。その中で『私は個人的には「教育勅語」の精神が見直されてしかるべきだと考えている。勿論、あれをそのまま復活させろなどというつもりはない』と書いている。この「教育勅語」に関しても色々論議があるので、これ以上は触れない。この文章は、著者(元アサヒビール副社長)の現在の活動(国際青年文化協会会長)から書かれたものと理解して敢えてを引用したもので、筆者が賛同して引用した訳ではない。いずれにしても躾、教育は家庭だけでなく、企業にとっても大事な問題である。著者は「子供の躾同様、しつける者の姿勢も問われる。自分自身がしっかりとした躾をされており、自信を持って躾けが出来る者こそが、企業の経営者に相応しい」、そして明日の日本や企業を支えるのは、若者への躾と教育であると結んでいる。

著者は、現在の日本は「正義を失った」駄目な国に成り下がったが、それを救う道の必要性(躾と教育)を説き、明治から現在に至る、優れた経営者を見習う必要があると書いている。その代表者として、渋沢栄一、岩崎弥太郎、伊庭貞剛、益田孝、山本為三郎を挙げている。渋沢栄一(1840〜1931)は、明治から昭和にかけて近代日本の資本主義を築いた歴史上の人物である。その活動は多く知られているが、中央国立銀行から地方銀行の設立に始まって、多くの企業創設に関わった。その中でも現在の基幹産業の企業として活躍している、王子製紙、太平洋セメント、帝国ホテル、東京ガス、東京海上保険(現、東京海上日動)、日本郵船等々がある。こうしたビジネス関係だけでなく医療分野では、東京慈恵会(現、慈恵大病院)や養育院(東京府立養育院)に関係し、教育分野でも商法講習所(現、一橋大学)、大倉商業学校(現、東京経済大学)、日本女子大学校、東京女学館等の設立にも携わり、その数500以上といわれている。著者は「利益を得ることは社会に貢献すること」(論語と算盤の一致)と、「合本主義」(株式会社の原型)の日本導入があったと紹介している。「世のため人のための社会貢献」の考えは「論語」の精神からきているという。

山本為三郎(1893〜1966)については、知る人ぞ知る方である。アサヒビールの初代社長で、著者の上司であった。ご存知「アサヒスーパードライ」は、当時7割のシェアーを誇る競争相手に打ち勝った。ワンマン社長であった山本氏は、私利私欲に走ることを戒め社会貢献に尽力されたという。アサヒビールコンサートを開催したり、陶芸家浜田庄司を育て日本民芸館を創設するなど文化活動にも力を注いだ。こうした背景には、自ら正義と信じたことは決して曲げずにやり通す強い信念があった。「経済人は利に走るのではなく、天下国家あっての企業であることを一刻も忘れてはならい」と厳しく教え込まれたと結んでいる。企業の正義感は経営者としてのリーダーの心(信念)の表出化である。 (以上)