PMプロの知恵コーナー
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まい ぷろじぇくと (17) 「イチ・ニッ・サーンのサッカー」

石原 信男:8月号

 PK戦にまで持ち込まれたワールドカップサッカードイツ大会の決勝戦は、フランスに勝ったイタリアの優勝で幕を閉じました。大会途中、日本が一次リーグで敗退した無念さからあの熱気は何だったのかと思っていた矢先に、中田英寿の引退発表が日本のサッカーファンの多くに追い討ちをかけたようです。

  ラグビーファンである私は、ラグビーのルールやプレーのあるべき流れ、そしてプレーヤーの身体的能力やプレーのセンス、これらについて少しは知っていると自認しています。しかしサッカーとなるとまったく何もわかっていない、ゴールしたら1点を獲得するという程度の知識で日本代表チームのいくつかの国際試合をTV観戦してきました。
 そんなサッカーをよく知らない私の目でも、中田英寿のプレーだけが日本チームの中で何か異質のように見えていたことはたしかでした。でもその理由が何かはわからないままに今回のワールドカップ一次リーグの3試合をTV観戦することになったのです。
 初戦のオーストラリア戦は体力と気力の違いかなと思い、次のクロアチア戦は結構いけるけど決め手に欠けるなあとがっかりし、三つ目のブラジル戦ではサッカーの質の違いをイヤというほど見せつけられました。

  そんな折、「石原さん、ブラジル人ってイチ・ニッで動くんですよ。イチ・ニッ・サーンで動く日本人には、バレーボールやサッカーでこんな人たちを相手に勝つのはむずかしいでしょうね」と語ってくれた現地駐在の日本某商社員の言葉を、ふと思いだしました。
 かつてメキシコシティーに滞在の折、ブラジルのリオ・デ・ジャネイロとサンパウロに業務出張しました。メーカである我々は現地の日本商社にお世話になること大で、仕事以外にもいろいろと現地事情をインプットしていただいたものです。「信号で停車中には窓を絶対に開けないで下さい。ピストルがニューっと入ってきますので・・・」、「あれがいま流行りのTバック水着」、「排気ガスの甘ったるい臭いはガソリンにエタノールを混ぜているから」、「インフレは?百パーセント(忘れたが)です」、「あれがこのごろビーチで盛んなバレーボール」、「他の中・南米のイメージとちがってブラジル人はものすごくよく働きますよ」、などなど。上記のイチ・ニッで動くブラジル人の話もこの内の一つだったのです。

  よみがえった古い記憶が先入観となって、それ以降の試合をそんな目で見てしまったのですが、なんと、ブラジルだけではなくヨーロッパ各国のチームのほとんどにイチ・ニッどころか、球際のプレーなどは間髪を容れない動作、これが継続するのには驚きました。
 日本の動きはボールを目がけてプレーヤーが走る、ブラジルやヨーロッパのチームはプレーヤーの動きにボールがついてまわっている、シロウトには感覚的にそんな風に思えたのです。「なんだそりゃ」とサッカーを知っている人からはお叱りをうけるでしょうが、私にはそうしか見えなかったのです。
 ボールを受けた瞬間に、自他両チームのメンバーの位置取り、そこから次に展開させるべきプレーのいくつかの選択肢とそれらの瞬時の得失判断、その脳からの指令にカラダが即座に反応する、そのような一人ひとりのプレーが展開し継続する、そう見えてきたのです。要はイチ・ニッ・サーンとかイチ・ニッの身体的動きの問題ではなく、これがサッカーのマネジメントの違いなのかと思いついたのは準々決勝戦あたりからです。そして、ボールを蹴るではなく、足元からボールが吹き出る、こんなイメージで表現できそうなプレーに日本とのサッカーの差を感じた次第です。
 かつて感じた中田英寿のプレーぶりを思い浮かべてみて、日本チームの中で中田英寿だけがマネジメントレベルのプレーをしており、他がこれに応じられるレベルになかったことから中田の孤立感みたいなものが感じられたのか、と自分なりに納得できました。

 企業経営にしろスポーツにしろ、マネジメントには forecastとかimagination(とくに創造的な) が不可欠です。従来から中田英寿のパス回しは速すぎて他の日本チームメンバーが受けられない、といった批判や解説をマスコミで見聞したことがあります。シロウトの私などは「自分勝手な奴ゃなあ」と彼を批判的に見たことも以前にはありました。
 でも、今回のワールドカップを通じてわかったことは、中田英寿に準ずる程度のゲームマネジメントのコンピテンシーが日本チームのメンバー全員に備わっていたならば、ひょっとして一次リーグは突破できていたかも。例えば、今の状況展開からすれば中田の次のプレーはおそらくこうであろう、それを生かすためにふさわしいオレのベストの位置取りは、チャージにくるであろう相手との位置関係は、などといったforecastやimaginationを伴うプレーがチームメンバー全員に定着していたなら、全員がプレーの起点になり得るとともにボールをキープする確度も増したのではないかと思ったりしています。言いすぎかも知れませんが、ゲームマネジメントの本当のプロフェッショナルであったのは中田英寿ただ一人、あえて私はそう言いたいのです。

 本当のプロフェッショナルは自分で選択肢を案出し自分でより良い選択をおこなえるワザを持ちます。マネジメントとは、その時々の状況と特異性に応じた選択肢をできるだけ多くの案出し、いま選択することの将来結果までを可及的に見通して各選択肢間の利害得失を比較検討し、その上でより良い選択をおこなうという「創造的選択肢」をベースとしたところに本質的な意義があります。
 クルマの運転にたとえるならば、運転経験を重ねて自ら体系づけた論理と実践を踏まえ、周辺状況に適合した好ましい運転に必要な操作のあり方を瞬時にできるだけ多く想起し、車種の特異性に応じた最適の選択をしてこれを動作に結び付ける、これがマネジメントであり、それをためらわずに思考・行動で体現できる人がプロフェッショナルです。

  ここでまたまた私の悪いクセが頭をもたげてきました。サッカーゲームを一つのプロジェクトとしてとらえたとき、そのマネジメントや人材育成のあり方について本物のプロフェッショナルである中田英寿だったらどんなコメントをするかといった興味です。
 サッカーがとても盛んなある国のサッカー協会が世界標準をめざしてまとめた「サッカーの基礎知識」といった教科書があったとしましょう。中田英寿がこれを見て、知識としてはよくまとまっているようだ、この知識を全部おぼえたらサッカーの試合に勝てるような有資格プレーヤーが育つ、がんばればワールドカップに出ても勝てそう、と言うか、用語とルールの知識は不可欠、これを基にとにもかくにも実戦、対外試合や国際レベルの試合を数多く経験することでプロフェッショナルが生まれ育つ、その積み重ねを通じてゲームマネジメントの本質を体得すべき、と言うか、私にとっては興味のあるところです。

  でも少し冷静になって考えれば、今回のドイツ大会前までにワールドカップでブラジルは87戦、ドイツは85戦、イタリアは70戦を経験してきているのだから、今大会をふくめてやっと10戦の日本を云々してもはじまらないようですね。個人とかチームの領域を超えた国としてのサッカー成熟度みたいなもの、そんなレベルでのテーマになるのでしょうか。プロジェクトもサッカーも、マネジメントの成熟には実践を通じてのみ身につく良い意味での経験(状況判断)・勘(経験に基づく複数選択肢案出)・度胸(瞬時の選択決定)、つまりコンピテンシーが欠かせないということを再確認したW杯ドイツ大会でした。

 次回も身近な まい ぷろじぇくと について考えます。ご期待ください。