「あなたは自分の生活に豊かさを感じていますか?」
オンライン編集長 渡辺 貢成:8月号
−失われた10年と変わらない価値観−
失われた10年と言われてきましたが、現実には15年くらいたっています。まだ、何も問題が解決していませんが、少し景気がよくなったことで皆さん忘れてしまいました。経営者は戦略をよく口にしますが、グローバル化への対応には、国民的にベースとし固めておかなければならない諸問題があります。例えば「少子化問題」、「2007年問題」などです。「少子化問題」解決の一つに女性が容易に育児ができる職場環境つくりの問題があります。それに関連するのが組織の協力体制です。しかし。現実には充分に産休も取れないようです。これでは少子化を食い止めることはできません。どうも日本人はわかっていることも実行せず、先送という戦術をとります。その理由は構想計画が得意でないからのように感じます。この先送りの中で是非変えていただきたいテーマを提案します。「豊かさの実感」というテーマです。今月はこの問題に取り組んで見ました。
皆さんへの質問から入ります。
- ・ 日本は確かに豊かになりました。皆さんは豊かだと感じていますか?
- ・ 自分の生活の何が豊かになったと感じていますか?
- ・ 日本自身が豊かになりましたが、皆さんの生活でどこか、10年前と変わったところはありますか。それは何でしょうか?
私は高度成長時代の生き残りですから、日本は昔に比べて非常に豊かになったと実感しています。収入も増えました。持ち家もあります。しかし、それでも「豊かさの実感」という感じがしません。
私は次のように感じています。
日本人は会社で一生懸命に働きました。そのおかげで実際豊かになりました。日本人は豊かになるために一生懸命働きましたが、「豊かになったら何をしたいか」ということを真剣に考えてこなかったのではないでしょうか。
働くことは、最初、食べていくことの「手段」でした。次は「豊かになること」でした。その場合も働くことは豊かになることの「手段」でした。しかし、日本人の価値観は子供のときから「有名校に入り、有名大会社に入り、出世すること」でした。日本では今でも画一的に勝ち組、負け組みと称して安易な価値判断で人々を分類しています。この価値判断のために私たちの豊かさとは「隣を見回して、隣より一歩進むこと」を個人の評価基準としてきました。
私はこの評価基準が日本人をして「モノを考えない習慣をつけてきた」気がします。日本が実質的に豊かになりながら、「豊かになった実感」が持てないのは、常に隣と比較ばかりしているからではないでしょうか。
そこで提案があります。個人が「自分が求める豊かさとは何か」真剣に考えても罰が当たることはないと思います。人の評価ばかり気にしない自分なりの豊かさという価値観を持ったとき、私たちは本当の意味で「豊かな人生をエンジョイ」できるのではないでしょうか。これには大金を必要としないかもしれません。
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