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『ブルー・オーシャン戦略 (Blue Ocean Strategy)』
  ―― 戦争のない世界を創造する ――
(W・チャン・キム&レネ・モボルニュ著、有賀裕子訳、ランダムハウス講談社、
2005年12月07日発行、7刷、294ページ、1,900円+税)

金子 雄二 ((有)フローラワールド):7月号

 この本が発売された昨年6月、書店で何度か手にしたが買わずにいた。今年の2月にPMAJジャーナル編集部主催のパネルディスカッション(各業界におけるP2Mの適用事例とPMAJ今後の展望)が開催された。これはジャーナル発行のための企画でパネラーと編集部だけが出席したごく限られたものであった。詳細は、既に2006年25号として発行されているので参考にされたい。このパネラーとして出席された清水基夫先生(名古屋工業大学副学長)が、この本をもとにテーマの話しをされた。傍でお話しを聞きながら、矢張り本を買って読んで置けば良かったと反省した。その一方で、これだけ価値ある本ならこの場で取り上げるべきであるとも考えた。しかし、先生も一部この本の内容に触れていることもあり、重複と実力差を考え悩みに悩んだ結果敢えて取り上げることにした。理由は幾つかあるが、先ず内容が優れている点にある。この本の冒頭でも紹介されているが、ここで取り上げられた内容は15年以上の研究と100年以上にもなる「ハーバード・ビジネス・レビュー」誌の論文を土台に書かれている。豊富な事例に裏打ちされた内容は、非常に実践的でプロジェクト・マネジメント(PM)にも活用できるものが数多くある。

 次に取り上がられた事例の中で、ニューヨーク市警察(NYPD)のビル・ブラットン市警本部長のことが書かれてある。ブルー・オーシャン戦略の見事な実践編であるが、結論から言うとこの事例は、不可能を可能にしたリーダーシップ論(ここでは、ティピング・ポイント・リーダーシップとして紹介)である。筆者が30年前にニューヨーク駐在(主にマンハッタン)の頃は、映画「ウエストサイド物語」の内容の如く、やくざとチンピラがはびこる怖い物騒な街であった。所が、10年前に訪れたニューヨークは昔のイメージと全く異なり、明るく安全な街に変わっていた。それも警察官の増員や監視施設等の増強もぜず、税金を掛けず「智恵と組織と人」で実行された点に更に驚き感動した。それに比べて、行革を大声で叫んでも一向に改善されないどこかの国とは大違いである。余分なお金を掛けずに住民の安全と安心を確保した。この本に書かれた考え方や手法は、PMでも可能なことが豊富にある。そこで清水先生の書かれた論文の重複を配慮して紹介してみたい。

ブルー・オーシャン戦略とは  ―― バリューイノベーション(常識の打破) ――
 ブルー・オーシャン戦略とは、前人未踏の市場を生み出す新戦略を意味している。レッド・オーシャン(血みどろな既存市場)に対して、新鮮な未開拓市場をブルー・オーシャンと称している。世の中の多くの企業は、既存市場に対して既存製品(当然サービス含まれる)を投入して、同業他社の価格や機能・性能等の販売競争をしている。この構図は、長期期間に亘っての企業存続を脅かすもので、早急にその場からの脱出を考えなければならない。あらゆる企業が、新規商品の企画や研究や新製品の開発に時間とお金を掛けているのは、正にレッド・オーシャンからの脱出を狙っているためだ。だがそう簡単に新商品や新サービスが生まれる訳ではない。この本では、戦略立案のツールとして戦略キャンパス(戦略策定の分析ツールで市場の競争要因と価値要素をグラフ化したもの)を紹介している。カップラーメン、ソニーのウォークマン、マイクロソフトのWindows、携帯電話、デジカメ等々。これらを良くみると全くの新規技術製品もあり、過去の製品の機能改良もある。その発想の原点は、便利さや手軽さや低価格化等の過去の製品に関する常識の打破にある。本書では、新しい需要を掘り起こす、価値を高めコストを押し下げる、差別化と低コストを共に追求することに全ての企業活動を推進し、競争を無意味なものにすると書いている。こうして実践された戦略が、その業種やその企業の独自のブルー・オーシャンとなるのだが、そのプロセスには原則があり、その原則の展開を詳細に紹介している。

 このブルー・オーシャン戦略は、綿密な計画と血の出るような不断の企業努力が隠されている。この戦略の実践には策定と実行の6つの原則があり、ここで戦略策定の一部を紹介したい。1番目は、「市場の境界線を引き直す」である。企業が現在占める位置、これからブルー・オーシャンを狙うポジションを明確に線引きすることを意味している。ライバル企業の競争にこだわらず、多くの顧客層や代替え産業や仕入れ企業にも目を向け、機能や感性志向を根本的に見直すのだ。一例としてNTTドコモの「iモード」は、電話に文字と画像のデータ通信を可能にした。トヨタの「レクサス」は、高級車を大衆車並みの価格で実現した。QBハウスは、「理容業界で安価なヘアーカット(1,000円)」を実現して多くの顧客を獲得するブルー・オーシャン戦略を展開した。ここで挙げた事例は日本だけのものだが、本書では6つのパターンを例に書いている。2番目は、「細かい数字は忘れ、森を見る」である。これは企業戦略を全社レベルでビジョン策定すべきであると述べている。この策定には、先の戦略キャンパスの作成を薦めている。そしてその戦略をビジュアル化し数値化して全社に徹底するのである。これはGEのJ・ウェルチが「我が経営」で書いているビジョンのビジュアル化と全社徹底に共通している。戦略策定に共通している点は、過去の常識にこだわならない思考で、且つ顧客思考を貫くバリューイノベーションである。

ブルー・オーシャン戦略の実践   ―― NYPDでの実例(行政改革の見本) ――
 ブルー・オーシャン戦略が策定され、新たなビジネスモデルが出来たら結果を出さなければならない。本書では「組織面のハードルを乗り越える」原則について書いている。この有効な手段として、「ティッピング・ポイント・リーダー・シップ」(Tippinng Point Leadership)を紹介し、先のニューヨーク市警察(NYPD)のビル・ブラットン市警本部長(以下、ブラットン)の例を取り上げている。因みに、ティッピング・ポイントとは、一番重要な要因(効果や影響力を発揮する組織や人等)に現在持っている資源を集中し、効果を最大化することだ。1960年代からニューヨーク市内での犯罪は、30年間増加の一途を辿り警察の力だけでは、収拾できないと誰もが考えていた。1994年、そこにブラットンが任命された。限られた予算とモラルの低い警察官を相手に幾つかの戦略を策定・実施していく。その一つに「危険な地下鉄」(当時、「動く下水道」と揶揄されていた)の改善がある。当時、地下鉄のダイヤ上の運行車両に警察官2名が乗車して市民の安全を守っていた。しかし、暗くて、落書きだらけで酔っ払いや無頼漢が横行して犯罪の温床とされた地下鉄は、特に夜間帯に於ける市民の足としての機能を失っていた。そこでブラットンは、過去の地下鉄犯罪のデータを分析して、犯罪発生の特定路線や駅に偏りがあることに着目した。その結果、犯罪発生の低い路線や駅に配備の警察官を重点地区に集中させ、犯罪勢力を圧倒した。こうして以前と同じ数の警察官で、犯罪件数を目覚ましく減少させたのだ。これがブルー・オーシャン戦略の経営資源を有効活用して、大きな成果をあげた事例である。

 次は士気の低下した警察官(企業の場合は当然、従業員)をいかにティッピング・ポイントへ導き、戦略を実現したのであろうか。先ず影響力の大きい警察署長にアプローチをして徹底的に戦略を説き、戦略実践の一員として仲間に引きずり込んだ。次に彼らを戦略実践の中心人物として、警察署内外で目立つ存在に仕立て、お互いに競い合う環境を整えた。これを「金魚蜂のマネジメント(Fishbowl Management)と称している。この呼称には、誰がいつ見ても分かる透明性と公平性が維持されるブラットンのマネジメント方針が貫かれている。そして目標の細分化を図った。NYPDの課題は「全ての地区、分署、街区で安全を確保する」ことである。即ち、全ての警察署配下の警察官の責任範囲を明確化した。それを金魚蜂のマネジメントを通じてフィードバックさせた。こうした仕組みが、徐々に現場の警察官の士気を回復させていった。そして不可能を可能にしたブルー・オーシャン戦略は、最終的には現場の警察官一人ひとりが自分の責務を果たす地道な行動によって実現された。これは大きな影響力を持つ人たちを動かすティッピング・ポイントが効率的である実例である。ここで述べられたことは一見常識的に見えるが、大きな制約の中で現状を打破し結果を出した事例で、アメリカ映画を見ているような見事な展開である。

ブルー・オーシャン戦略の継続 ― バリューイノベーションの再構築(模倣の防止) ―
 ブルー・オーシャン戦略はバリューイノベーションであると書いている。これは従来から言われてきた「価値とコストはトレードオフの関係にある」という競争戦略論の常識へのチャレンジである。ここで言うバリューイノベーションは、コストを押し下げながら、顧客にとっての価値を高めることである。即ち、ブルー・オーシャン戦略では価値を高めるために企業にとって未知の要素を取り入れる。その要素が優れた価値であるなら、顧客はその価値に引き寄せられて購買を続ける。その結果、売り上げが伸びて規模の経済性が働き一層コストが低減化する。こうして開拓された新たなブルー・オーシャン戦略は、目覚しい業績を上げるのだが、いつまでも続くとは限らない。その戦略もいつの時点かに模倣する企業が必ずと言っていいほど現れる。これも熾烈な市場競争の一つである。模倣は、パテント等で法律的には保護されているとはいえ万全ではない。模倣の出来ない他に追随を許さないブルー・オーシャン戦略を開拓しても、その戦略に安住することなく次なる戦略の立案・策定が必要である。これは何も新規商品の開発だけに限らない。あくなきコスト削減も有効な手段である。トヨタ自動車のカンバンシステム等の現場における生産イノベーションは、他に追随を許さない全社挙げてのブルー・オーシャン戦略の実践である。バリューイノベーション実践中でも、次なる再構築を考えていかなければならない。

 前回、グーグル社の検索エンジンのことを書いた。これもインターネット業界のデータ検索のブルー・オーシャン戦略の開拓事例にあたる。グーグル社の技術開発は、他社が模倣されない技術力とブラックボックス化とシステム化によって自衛している。しかし、既存のインターネット界の巨人であるマイクロソフトは、検索エンジンの独占化を警戒して、類似の製品化を急いでいる。同時に、メガシステム用のデータ検索システムである「オラクル社」も同様な動きを見せている。この企業側のバリューイノベーションの再構築は、利用者である顧客側にとって有利な方向に働くケースもある。価値とコストがトレードオフされることなく、安くて便利はものが提供されれば、それ超したことはない。その競争に勝った(ブルー・オーシャン戦略に成功した)企業は、顧客共々Win−Winの関係を構築することが出来る。こうしたバリューイノベーションの再構築によって維持されたブルー・オーシャンは、一方でレッド・オーシャンも並存している。新しい価値創造のプロセスは、我々が日夜奮闘しているPMにおいても同じことが起きている。身近な例では、PMBOKやP2Mでも同様なことがいえる。冒頭紹介した清水先生の論文「ブルー・オーシャン戦略と価値創造のプロセス」の中の「P2Mにおける価値創造」で、「P2Mのプログラム・マネジメントでは、価値創造のための代替え策等の検討過程で、プロジェクトの価値評価がなされ、バリューイノベーションが図れる」と指摘している。詳しくはジャーナルをご覧頂きたいが、PMの世界でも日夜バリューイノベーションは進化し続けている。
(以上)