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PMRコーナー

富士電機システムズ(株) 芦原 哲哉:6月号

芦原哲哉◆ PMOの役割PMBOKからP2Mへ
 私は電機メーカーでPMOの仕事に携っています。入社以来専ら火力発電設備の海外営業部門に所属していた私に転機が訪れたのは、90年代後半のことでした。東南アジアに端を発した経済危機による影響は、海外依存度が高く、折しも大型のTKプロジェクトを幾つか抱えていた弊社にとってかなりの痛手となりました。そこで、それまで空気のような存在であったPMをきっちりやるべしということで、PMOを組織することになり、私がその任についた次第です。
 PMOと言っても、エンジニアリング企業におけるような大々的な組織ではなく、実質的に私一人で社内の啓蒙および支援活動を行う、所謂支援型PMOでした。その後2〜3年でPMの考え方が社内に浸透しましたが、大型案件の減少という環境要因もあって、PMOに期待される役割の低下を感じるようになりました。そこで手掛けたのがPFI案件の推進でした。海外営業出身ということで、契約法務に馴れていたことと、多少なりとも資金調達(円借款・輸出金融等)とそれに伴うプロジェクト事業性評価の知識があったことから、これをPMOの新たな機能として取り上げることになったものです。
 立上げ当初のPMOの使命は、伝統的なPMの手法(目標マネジメント・リスクマネジメント等)を取り入れて、プロジェクト案件を計画通りに仕上げるということでしたので、まずはエンジニアリング振興協会の活動に参加して諸先達の知恵を集めると共に、PMBOKを学習しPMPを取得しました。PMPの取得と前後して発表されたのが、日本発のPMガイドライン「P2M」でした。PMPを取得した勢いで、ガイドラインを読み流す程度でついでにPMSも取れるだろうと高をくくっていたのですが、いざ読み始めると全く違った視点でプロジェクト(プログラムの概念を含む)を捉えていることに気付き、講習会に参加して勉強し何とか一期生で合格しました。そして、これが期せずしてPFIという事業性の高いプロジェクトに取り組む上で多いに役立つことになったのです。
◆ P2Mの活用
 PMO立上げ当初にプロジェクト管理マニュアル「プラント建設編」なるものを発行していたのですが、P2Mを学習して後、P2Mの思想を取り入れて改定を行いました。また、続編として「PFI事業編」を作成するに当たっては、全体構成から詳細内容に至るまでP2Mの匂いの漂うものとしました。マニュアルに限らず、日頃の議論においてもP2M的な発想をベースにする習慣が養われたような気がしています。
◆PMR取得とその後
 仕事柄、より高度なPMを目指すということで、PMRにもいち早く挑戦しました。試験では、できるだけP2Mの発想で回答することを心掛けると同時に、実践力を問われる試験ですので、過去の経験で培ってきた個人の信条を大切にする必要性も感じました。因みに、私自身は「本来の姿(=あるべき姿)を追求すること」「無理筋を押さないこと」を信条としていますので、そういう視点で常に行動しているつもりです。「本来の姿」と異なった対応をすると、その乖離がリスクとなるという認識、「無理筋=間違った対応」が損害を拡大するという認識がそのベースにあります。小手先の手段でその場を凌ぐという安易な対応で失敗するケースが意外に多いのです。「後悔先に立たず、後を絶たず」というところでしょうか。
 幸いにもPFI事業案件二件の落札に成功し、事業を順調に進めさせていただいている状況です。今後はSPCという中小企業を数多く立上げていくことになるため、中小企業経営のノウハウを重ねていきたいと考えています。その活用のベースには常にP2Mがあるということです。