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『使える弁証法』
(田坂広志著、東洋経済新報社、2005年12月08日発行、初版、197ページ、1,500円+税)

金子 雄二 ((有)フローラワールド):5月号

 この本の著者と副題(へーゲルが分かればIT社会の未来が見える)に惹かれて購入した。著者は多くの本を書いていて、田坂コーナーが設けてある書店もある。企業経営から思想・哲学、人生観に至る幅広いジャンルを書いている。更に、昨年のPMシンポで基調講演をされたのでご存知かと思います。そこでPMAJジャーナル(24号)の著者の講演記事を読み直してみた。題目は「なぜ知識社会では、人間力が求められるのか」である。知識社会即ち、現代社会はどうなっていて、今何が起こっているのか。そのことから求められているものを知る必要があると指摘している。これが結果として「人間力」であると言っているのだが、詳細はジャーナルをご覧頂きたい。実は、その中にへーゲルの弁証法が出てくる。現代社会の発展は、正にヘーゲルの弁証法的状況であるという。物事の進歩は直線的でなく、螺旋階段を上っていくように上昇する。それを上から見ると同じ状況を繰り返しているように見えるが、横から見ると確実に上って進歩しているのだ。歴史的には、未来に向かって進んでいる状況が原点回帰を繰り返しながら進んでいるように見える。歴史は繰り返すといわれているが、実は全く同じ繰り返しをしているのではなく、螺旋的(スパイラル)に上昇している見方が弁証法的である。然らば、何故繰り返すのか、何故進歩するのかは哲学的な研究となるのだが、この部分はプロジェクトマネジメント(PM)の範疇ではない。

 今回、専門外の弁証法なので図書館で関係書籍を10冊ばかり借りてきて読んでみた。結論的には面白そうだが、難しく素人には簡単に理解できない代物であることが分かった。諦めていたが、何気なく本屋で見つけた「弁証法入門」(茅野良男著、講談社現代新書)が一番分かり易かった。何故なら、先の螺旋的進歩と繰り返しの疑問が、多少理解できたからだ。物事には、ある事実(=正)がある。その事実には、反対や矛盾(=反)がある。そのぶつかり合いから、新たな物がうまれる(=合)。そしてこの新たな事実(合が正となり)が次なる反をうみ、合となる繰り返しをする。また弁証法の真髄には、数学のプラスとマイナス、力学の作用と反作用、物理の陽電気と陰電気、化学の原子化合と解離等があるという。「弁証法とは何かという問いには、何が弁証法であったかという答といつも連関している」と書いてあったが、納得できる。肯定と否定、否定の否定、対立の統一。否定を矛盾と読み替えてもいい。野中郁次郎先生は、先の(正・反・合)を(守・破・離)と読み替えて、新しい技術は、スパイラルに上昇していくと書いている。以上から、題名にもある通り弁証法が使えるのならPMにも応用できることを想定してこの本を読んでみた。

弁証法が使える理由(その1)      ―― 弁証法は日常生活の中にある ――
 著者は、この本で弁証法の法則からそれを日常生活や仕事にも大いに使えると書いている。ならば弁証法を知らない人は、日常生活の出来事から逆に弁証法を知り、法則を理解することがこの本から可能な筈である。仮に弁証法が理解できなくても、普段の生活や仕事等の社会生活に法則性があることを知るだけでも勉強になり、それを自分なりに応用することも出来る。特に、「歴史観」や「対話力」が身に付くとも書かれてあるので、ビジネスマンやPMマネジャーにとっては必見である。最初の事象は、「インターネット上のオークション」を挙げている。現在インターネットは、学生から主婦に至るまで多くの人が何らかの形で使って日常生活化している。一方オークションは、日常生活とは関係なく一部の限られた絵画や骨董品等の取引の世界で行われている。生鮮食品や卸売市場での「競り」もその範疇であるが、いずれにしても限られた商取引である。それが時代の最先端であるインターネット上でオークションが復活して、今話題を呼んでいる。このオークションも「逆オークション」という、所謂「指値購入」の方式をインターネット上で行っている。この昔からある「オークション」の復活(リバイバル)がポイントである。この復活が実は、弁証法の原点回帰である。但し、「オークション」そのものの単純な復活ではなく、現状に合った「インターネット上=市場」での活用である。市場は、昔「いちば」といわれたが、現在は市場(しじょう)=ネットコマースと言われるように原点復帰している。これは弁証法の「物事の螺旋的発展」法則である。弁証法的には、新しい技術は旧来の技術や方式と合体して、更に新たな技術として螺旋的(スパイラル)に発展することを意味している。

 次に著者は、「ネット証券のオンライントレーディング」を例に挙げている。株の売買は、現在でも証券会社を通じて行う方法が一般的である。しかし、最近ではインターネット上で個人株主が売買する比率が3割を超えている。この背景には幾つかの理由があるが、証券会社の取引手数料の価格競争があった。そして従来の「対面での情報サービス」を否定して、「サービス価格競争」を行った。その結果、証券会社間の価格破壊による過当競争で商売にならない状況となり、ここでリバウンドが起きて「高付加価値情報サービス」に転じるようになった。即ち、価格競争を「否定」してまた情報サービスに戻ったのだ。もっと身近な例で、ハンバーガーや牛丼の低価格競争は、極限まで到達すると価格競争を否定するかのように品質本位や扱い品目の変更へと移っていく。これは「反転」「リバウンド」の現象である。このことは現在の知識社会でも同じ現象が起きていると著者は書いている。昔は、物造りの現場で「体で覚えろ」「技を盗め」と言葉で表せない「智恵」に価値があった。その後、印刷技術やマスメディアの発達で「言葉で表せる知識」が価値を持つようになった。しかし、現在のインターネット社会では、誰もが知識を共有することが可能となったので、言葉で表せない知識=「智恵」(スキル、センス、ノウハウ等)が求めらる時代に戻った。これは弁証法の「否定の否定による発展」の法則にあてはまると著者は力説する。更にこの考えは、東洋思想のタオイズム(道教)にも通じるところが書いてある。

弁証法が使える理由(その2)      ―― 弁証法は商売で使える ――
 インターネットの発達で「ネット革命」=「流通革命」が起きると騒がれた頃があった。生産者と消費者がインターネットで直接結ばれるので、中間業者が不要になる。更には、ポータルサイトが多数出来て、ネットコマースが主力となって無店舗販売の時代がやって来るといた情報が横行した。現状はどうであろうか。確かに、ネットによる情報提供や先の株の売買に限らずネット販売も多くなった。しかし、中間業者も店舗販売も立派に存続している。当時、ネット革命で、「合理化」「効率化」「コスト削減」が図れるといわれたが、これはネット革命の本質を間違って理解した結果である。ネット革命の本質は「進化」である。具体的には、ネット革命で市場取引が迅速で正確になったので「市場の合理化」だけでなく市場の本質が「企業中心市場」から「顧客中心市場」に進化したのだという。著者はアマゾンの例から、単なるネット上の書籍「販売代理」をおこなっているのではなく、読者に対して「購買代理サービス」を提供していることを説明している。読者のニーズに答えて、在庫と発送時期の確認から商売をするだけでなく中古本の検索、不要本のオークション、関連図書の紹介、書評の閲覧等、様々な「購入者=顧客中心のサービス」の提供をしている。その結果は、中間業者が無くなるどころか益々商売を拡大して顧客を増やしている。これは従来の物量中心の考え方から、顧客ニーズ=中身=質本位に変化していることを意味する。ネット革命の新たなステージとして「ブロードバンド」が普及した。これは常時接続、使い放題の「低料金」サ−ビスの単なる物量中心の考え方が、その結果生まれた音楽や映像を楽しむデジタルコンテンツの蓄積(内容)の質的変化をもたらしている。これらは弁証法の「量から質への転化」の法則に合致していると著者は書いている。

 先のネット革命による株のオンライントレーディングの話があった。インターネットが登場した当初は、多くの証券会社でも「株=お金」をインターネット上で売買することはないと懐疑的に考えていた。実際に顧客側も同様な考えも多かったが、低料金と情報のスピード化等の対応が可能な状況となると、事態が変化してくる。そこでネット専門証券会社も登場し商売を拡張するのだが、市場を席捲すまでには至らない。むしろ店舗を構えて顧客への対面サービスをはじめた。このネットによる株の取引で各証券会社は、ネット対応を拡張しならが街角の店舗を従来どおり営業している。むしろ店舗での顧客対応に力を入れている証券会社もある。これは「ネット対リアル」の対立的関係でなく相互浸透による「融合」である。過去に「金融ビックバン」による規制緩和と自由化で銀行、証券会社の壁がなくなることで相互の対抗が懸念された。結果は、企業合併と統合によって相互に業務進出を図り「相互浸透」により、総合的な金融業に進化しつつある。この現象は、弁証法の「対立物の相互浸透による発展」の法則であると説明している。これは「争っているもの同士は、互いに似てくる」。そして、互いに浸透し合って発展・進化するのだという。しかし、これらには相互を触媒する時代(=時間)や進歩(=技術)があると思われる。

弁証法が使える理由(その3)   ―― 弁証法はPMで使える ――
 今まで弁証法の4つの法則(「物事の螺旋的発展」、「否定の否定による発展」、「量から質への転化による発展」、「対立物の相互浸透による発展」)について事例を交えて説明してきた。実は、これらの法則に基本法則があるという。今まで通り、事例から入ってみる。著者は、企業経営の「利益追求」と「社会貢献」の問題をどう解決するのかを述べている。利益本位で会社経営をした結果、自然破壊や公害や従業員へのしわ寄せとなり社会貢献にはならず問題を抱え込むことになった。だからと言って、社会貢献を優先して利益追求を疎かにする経営者はいない。利益追求をしながら社会貢献にも配慮するのが常識的判断であろう。この二つの項目は、機械的に割り切って判断すると「企業生命力=倫理観」を失った企業とみなされる。これを「矛盾のマネジメント」といっている。この対処方法は、実は弁証法の「矛盾の止揚による発展」の法則によって解決できると説明している。この止揚であるが、本文から引用すると「互いに矛盾し、対立するかに見える二つのものに対して、いずれか一方を否定するのではなく、両者を肯定し、包含し、統合し、超越することによって、より高い次元のものへ昇華していくこと」と書いてある。矢張り先の常識的判断といことになる。「矛盾のマネジメント」の問題の矛盾点を解決するには、一方的にとか機械的にどちらかを否定するのではなく「止揚」するのが最良の方法である。更に著者は、この「止揚」に関して、面白い指摘をしている。互いに対立する二つの矛盾点を両極にして、その両極を往復する「振り子」を振るように全体をバランスさせることだと書いている。

 以上5つの弁証法の法則から、PMへの適用を考えてみた。先ず「物事の螺旋的発展」に関しては、プロジェクトで大いに活用出来る。一般的にプロジェクトは、千変万化で一つとして同じものはないと言われている。確かに、顧客、業務内容、開発メンバー、開発ツール、契約条件等種々あるが、過去に類似開発や同様なメンバーで開発した経験はあるが、全て同じというものは無かった。そこで先の弁証法の法則と照らして考えてみると別な見方が出来る。顧客も開発メンバーもPMリーダーもプロジェクトを実施してきた過程で何らかの進化(進歩と言いたいのだが)をしている。この進化が暗黙知から形式知になっていないので、毎回同じことの繰り返しのように見えて、経験知が組織として、個人として活かされない。そこでプロジェクト終了後に、何らかの文書を残そうとするから面倒な作業となり、結果として何も残らない。暗黙知の可視化(見える化)をプロジェクトの過程で残す方法を図解法やマインドマップ等を活用して、簡単に残すことが必要であろう。もう一つは、「量から質への転化による発展」の活用もPMにとって有効である。ここでのポイントは、時間的な絶対量(相対的時間)を考えて、プロジェクトで時間を掛けなければならないフェーズと量(効率的時間活用)で処理可能なフェーズを全体スケジュール作成時に明記・確認して置く。そして開発メンバーが「量から質への転化」を情報共有して、進捗管理から進化を学習する方法がある。今度機会があったら検討してみたい。  (以上)