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ダブリンの風(37) 「廃  屋」

高根 宏士:4月号

 近所のセブンイレブンが閉鎖された。後に残ったのは汚い建物の残骸だけであった。そこにはこれまでの御礼と閉店する旨の挨拶はなかった。数字だけが基準である経営方針は、終わってしまったものについては一銭の経費も掛けたくないということか。「顧客のニーズを大事にする」のも経営数値のためであり、それ以上でもそれ以下でもないのであろう。周りにはささくれだった風が吹いていた。

 先日銚子の犬吠崎を歩いた。ここは小学校の頃遊んでいたところである。半世紀以上前である。その頃は、観光客はほとんどいなかった。灯台から君ヶ浜を望んだ風景は白砂青松に豪快な白波が打ち寄せていた。そして瀟洒な旅館と土産物屋が一、二軒ぽつんとあるだけだった。美しく静かな風景であった。千恵子抄の世界がまだ残っていた。
 現在は大きなホテルやレストラン等、よくある観光地になっている。訪れる人も多い。その中に一軒の家が放置されていた。以前は民宿だったかもしれない。五十年前の風景の中に、自然に住む人もいなくなった廃屋がぽつんと取り残されているのは見る人に哀しみの気持を誘い出すかもしれない。自然や人生、時間に対する厳粛な思いを感ずるかもしれない。しかし、けばけばしいホテルやレストラン、土産物店の中に放置された民宿風の建物は汚いだけである。そして廻りが華やかなほど、その場所は薄っぺらで下品なものとなる。そこには自分だけ、現在だけ、瞬間だけに眼を向けている心情が表れている。この建物をきちんと整理し、きれいで調和の取れた場所に再生していれば、現在のホテルやレストランも美しく見えるかもしれない。そうすれば訪れた人もまた来ようと思うかもしれない。観光地としての将来の繁栄に通じる可能性もある。
 最後の閉めをきれいにすることが、その場所の将来の発展、少なくとも美しさをつくることになるのではないだろうか。

 我々の周りでは多くのプロジェクトが生まれている。そして終わっている。その中には成功裏に終了したものもあれば、やっと終了したもの、中には途中で中止になったもの等、様々なプロジェクトがある。我々はそれに慣れ過ぎ、終わってしまったプロジェクトはすぐに忘れてしまい、次のプロジェクトにあたふたと取りかかかる。失敗プロジェクトでは表面的な責任追及だけがされていることが多い。そして恨み、燃え尽き、捨て鉢の雰囲気が蓄積されていく。
 うまくいかないプロジェクトをたたむ時、それを整理し、きちんと将来に残すことが次への飛躍を約束する。これをするのは直接的にはプロジェクトメンバーであるが、それをさせるのは全体風景を管理している経営者やPMO(Project Management Office)である。経営者に全体風景の管理の認識がなく、PMOがラインのプロジェクトの結果を叩くだけで、整理と見通しを立てるための役に立っていないならば、その組織に発展はないであろう。