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まい ぷろじぇくと (13) 功名心の行き過ぎ

石原 信男:4月号

 ピンチのあとにはチャンスが、禍転じて福となす、身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ、せいてはことを仕損じる等、仕事にまた人生にアクティブに取り組んでおられる人の中には、かかる意味深い言葉があてはまる場面に出会った経験をお持ちのかたも多いかと思います。かくいう私もその一人ですが、最近とかく話題となったニセ電子メール事件の顛末がきっかけで、自分が経験したプロジェクトの失敗例の中から幸いにも好結果に帰着したある一例を回顧し、読者迷惑は重々承知の上で自己満足にひたってみることにしました。

 工程の都合から仕上がり順に出荷していた装置の最終ロットを製作工場で作動テストをしたところ、台盤と本体の摺動部分に焼きつきの可能性がわずかに残ることに気づきました。原因は台盤摺動面のライニングをコスト低減策の一環でブロンズからランク落ちの材料に替えたことでした。当時世界的に銅の価格が異常高騰しておりコスト面で従来どおりのブロンズの採用はむずかしかったからです。作動テストを数回繰り返したところでは、ある特殊な成分を添加した潤滑剤(市販品)を使用すれば焼きつきの可能性はかなり減るものの、100%大丈夫という確信は得られませんでした。どうするかの判断を下す立場にあったのは私でした。まさに「あなたならどうする」の研究課題に直面したわけです。

 私の結論は「ライニング部材を本来のブロンズに戻して張り替える」でした。その理由は次の通りです。@当該装置は自動車用鋼材の熱間圧延ラインの主要な構成装置で1日3交代の連続操業、ゆえにA装置本体の摺動の不備による操業停滞時間の生産機会損失は大きく、客先に多大の損害をおよぼすことになりかねない。契約上はかかる損害を納入者が補償する必要はないものの納入者としての信用に大きくかかわる。操業を踏まえた装置デザインを標榜する当方としてはB対象となる摺動面は熱間圧延特有のスケールと水に常時さらされることはわかりきっており、製作納入者の責務としてこれに十分に耐えるデザインでなくてはならない、

 このように決めたからには一刻も早く行動に移すのが上策です。客先のプロジェクトマネジャーに私からすべて本音で事情を説明しました。既納分の装置を持ち帰って未納分と併せてライニングの張替えを行い再納入する、これに関連して当方に発生するコストは当然当方の負担、しかも客先の建設工事スケジュールに遅延が生じないよう万全の手をつくす、という内容です。客先のプロジェクトマネジャーからは非難めいた詮索など一切なく「あなたに任せましょう」との即答をいただいたときは、阿吽の呼吸とはこのようなものかを仕事を通じて初めて実感した次第です。
 社内的には、原因と責任のすべては私の属する設計部門にあり製造部門の問題ではないことを明示することで、手直し工事への協力と早急な着手を求めました。往々にして責任のなすりあいから社内調整がうまくいかずに無為の時間が経過する例が見られることから、端的に責任の所在を明確にしたのです。製造部門にしてみれば自部門の責任ではない手直し工事は工事量(売上)の増加になるわけですから、協力を惜しむはずはありません。

 これ以降の進捗にいささかのトラブルもなく、建設工事はめでたく完了しました。あとで客先のプロジェクトマネジャーからうかがったのですが「あのときから御社への信頼感が大きくなりました。実のところ当社としてはこのプロジェクトはH社かN社にお願いしたかった。しかしいろいろな事情から御社への発注となったが、いまいち信頼しきれるとはいえない中でのプロジェクトのスタートでした」とのことです。
 このかたは建設部長(プロジェクトマネジャー)から取締役を経て一線を引きましたが、私との間にはその後も30年近くにわたりお付き合いが続いています。

 いまあらためて思い起こせば、その当時の私に功名心みたいなものがあったことは否定できません。なんとかコストダウンを図って所定の利益を維持し、できれば上乗せしてイイ格好したい、というイメージです。結果的には手直し工事によって想定外のコストが発生したものの、以後のスムーズなプロジェクト展開もあってか受注プロジェクト全体の採算はかなり良好な結果におさまりました。
 あのとき本音のところを隠蔽して姑息な手段で解決しようとしていたら、当方の申し出に客先は疑念を感じてスムーズに事がはこばず、当方はもとより客先にとっても深傷を負うことは避けられなかったでしょう。
 このような大型投資のプロジェクトは「ダメだったらまた一からやり直そう」はできない相談です。売り手である当方としてもこの失敗を糧にして「失敗に学ぼう」などというゼイタクは許されるものではありません。「失敗を学ばれた」側のお客さんにとっては社運を賭けたビッグプロジェクトです。二度と立ち上がれない最悪の事態に至ることもあり得ます。「失敗に学ぶ」ということのもう一つの側面は「相手の当事者に損害を及ぼさないような対応策を見出してそれを実行する」ということです。相手当事者に多大な迷惑を与えておきながら「学ぶ」だけでは、「学ばれた」側はたまったものではありません。

 「功名」とは手柄を立てて名をあげることですが、人間はだれもが良い成果をあげて周囲から高い評価をうけてその存在感を示したいという心情を、多かれ少なかれ持っているはずです。他人からその存在を認められているからこそ人間は生きていられるそうですが、「功名心」はさらにポジティブに生きるための推進力になり得ます。しかし、功名をとりちがえて単なる「目立ちたがり」に堕すると、とりかえしのつかない結果に陥るおそれがあるので注意が必要です。

 その最近の一例が永田町で起こったN衆議院議員の「ニセ電子メール事件」といえるでしょう。火をつけた当事者の衆議院予算委員会での発言の様子からは、いかにセンセーションを巻き起こしてマスメディアの目を惹き付けるか、といった「目立ちたがり」が感じとれました。しかもライブドア問題に関連して自殺したとされる沖縄での一件を外部からの事件であったかのような先入観で引用しての「メール情報の仲介者の名を明かすと、その人の命にかかわる」といった趣旨の発言は、立場をわきまえない軽率のそしりは免れないように私には思えました。
 メールの真偽に疑問が深まってきてからのN議員と所属する政党の対応はおそまつきわまりないものといえるでしょう。過ちであったとわかったならば、その過ちに至った経緯をすべてクリアにした上でどう償うかを明示して即刻謝るべきだったのです。そして何らの思惑も潜めることなく徹頭徹尾謝ること、これに尽きます。それこそ「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」といったところです。

 プロジェクトにおいても、また日常生活の場においても、ポジティブな自分でありたいという思考・行動のあり方は好ましいマネジメントや豊かな人生につながります。しかし、今回のニセ電子メール事件は、立場や場所を見失った単なる目立ちたがり屋の軽挙妄動といえるでしょう。そしてすべての直接の当事者が大きく傷ついてしまいました。わずかに自民党だけがこのニセ電子メール事件を盾に4点疑惑セットの追求を避ける結果になりましたが、国民にしてみれば4点疑惑セットがどこかに霧散してしまったことは大きなマイナスといえます。このマイナスがいかに大きいかということを民主党はしっかりと自覚して、国民に対してなんらかの償いをおこなってしかるべきでしょう。「失敗から学ぶ」だけに終わらせてほしくはありません。

 次回も身近な まい ぷろじぇくと について考えます。ご期待ください。