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「夢工学(41)」

川勝 良昭 [プロフィール] :3月号

     

3 自分は、どの性格タイプなのか
(1)Cタイプとは
●人格総評

自分を否定し、他者を肯定するタイプ。

自分を愛さず、他者を愛する。自己評価が低い。自分への不安感が大きく、逆に他者評価が高い。他者に劣等感、引け目を持つ。そのため他者への緊張感や対人恐怖感を持つ場合がある。
また他者の誘導に容易に服従するタイプの人物である。 悲観論者にこのタイプが多くいる。なお破壊工作の誘いに従う可能性が高いため悪夢工学の対象人物である。

●成功時と失敗時の自者と他者への評価
成功した場合、成功の原因は、己の能力と己の努力の成果と思わない。従って成功しても成功の達成感がない。と同時に成功の頂に辿り着く過程で数多くの人々が協力した場合には「彼らの協力があったため成功した」と他者を評価し、感謝する。そして他者の協力を「運がよかった」と思う人物である。

失敗した場合、失敗の原因は、すべて己の能力や努力の不足であると考えるのがこのタイプの人物。しかし他の人々の能力とその努力は不足したからではなく、他の外的な解決できない問題があったため失敗したのだと考えた場合には、運が無かった判断する。従って失敗したにかかわらず他者の協力に感謝の気持ちがある。

●C1タイプとは
C1は、自者を極端に否定し、他者を極端に肯定する。また自者がCタイプであるとの意識がある。

C1は、他者を極端に信頼するので、もしB1からの破壊工作の大義名分と効果などを説明され、破壊工作に参画することを誘われた場合、苦もなく追従者となる。

C1は、破壊工作の意義を認識した場合は、B1の信頼できる部下として行動する。C1は、他者からの命令や要請などの「命令に服従するが、自者を極端に否定するので自らが責任を持ってリーダーとなり、破壊工作を進めることは出来ない。また甲というB1の指揮下でも、乙という他のB1の強い命令や要請があれば、C1は、自分に座標軸がないため、甲になびいたり、乙になびいたりする。その結果、責任回避、責任転換、不作為の行動なども簡単にする人物である。

C1は、Aタイプの命令や要請に従う場合もある。その場合は、C1は、必ずしも夢破壊者になるとは限らない。善意、善良、善行のAタイプのリーダーの指揮下ならば、プロジェクトを正しく推進させ、フォローシップを発揮できる人物である。

しかし自分を極端に否定し、他者を極端に肯定しているので危機に直面してもAタイプのリーダーの指揮に従う。しかし上記の甲のB1や乙のB1の場合と同様に、複数のAタイプの指揮が混入した場合、自分への座標軸がないため、判断に迷う。そのため甲のAタイプに従属したり、ZのAタイプに従属したりする。その結果、裏切ったり、逃げ出してしまう場合がある。結局、危機的状況下では全く戦力にならない。

●C2タイプとは
C2は、自者否定と他者肯定がC1ほど極端でなく、普通である。また自意識がある。

C2は、B1によるマインド・コントロールを受けると、破壊性を完全に身に付ける。またはAタイプのリードにも従う。そのためC2は、必ずしも夢破壊者になるとは限らない。

しかしAタイプの指導を受けるよりB1のコントロールを受ける場合が多い。なぜならB1は自らの野心達成に忠実な子分が一人でも多く必要であるからだ。

なお複数のBタイプやAタイプの指揮を受けると、C1の場合と同じ問題を引き起こす。

●C3タイプとは
C3は、Cタイプであるとの自意識がない。

B1などの破壊工作の指導を受けない場合は、おとなしく非破壊性の持ち主で終始する。しかし危機に直面することをキッカケにしてC3は、リーダー次第でその追従者に豹変する可能性を秘めている。C3は、C1やC2の予備軍に属している人物と言える。

なおAタイプのリードによってプロジェクトを推進し、フォローシップを発揮し、夢実現と夢成功に協力する場合がある。しかし上記の通り、C1やC2のタイプが持つ問題は、C3にも当てはまる。

●自己犠牲に於けるAタイプとCタイプの違い
自分否定で他者肯定の姿勢を持つCタイプは、自己犠牲を伴う他者のための努力を行う場合がある。

自己犠牲を伴う他者のための努力とは、たとえば被災地での生命危機にある人々の救済活動である。一方自分肯定で他者肯定のAタイプも自己犠牲を伴う他者のための努力を行う場合がある。ならば両者の違いは何であろうか。

Cタイプは、自己犠牲をしているという認識が極めて弱い。他者から自己犠牲を強いられてそれを行っているから場合が多いからである。窮地にある他者を救うことは他者の肯定に繋がる。
しかしCタイプは、自分否定者である。そのため自己判断で他者を救済する考えに至らない。

一方Aタイプは、他者の命を救うため自発的に自己犠牲をする。従って自己犠牲を行っていることの認識は極めて強い。しかし苦にならない自己犠牲である。他者肯定の強い意欲がそのことを支えている。

(つづく)