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プロマネの色眼鏡(4):アインシュタイン

加畑 長昭:1月号

 今年(2005年)はアインシュタインが特殊相対性理論など三つの革命的な論文を発表した1905年から一世紀を経たのを記念する「世界物理年」であった。朝日新聞日曜版にもそれを記念して、“アインシュタインのつぶやき”というコラムが連載され、ある日のコラムに、“てんぷら弁当”のことが紹介されていた。

 『(1922年、アインシュタインが夫人を伴い日本を訪れた際、改造社で昼食を取ることになり、)「徳川時代からの老舗橋善という大衆向きのてんぷらが新橋の名物だから」との説明つきで“てんぷら弁当”を出すと、「うまいうまい、日本の大衆は、こんなに美味しい弁当を毎日食べているのか」といささか驚いた。また添え物のつけ合せに “玉木屋の佃煮”を出したところ、夫人は大層お気に入りで「この昆布の煮たの、ホテルでは食べられないから、小皿のままいただいて行ってもよいか」と言うので、「どうぞどうぞ、お気に召したらドイツまで持っていってください」と、改めてまた玉木屋の折詰めをホテルに届けたのであった。:アインシュタインショックより』

 てんぷら弁当でそうであったから、幕の内弁当や懐石料理が一つの器に盛り込まれた松花堂弁当なら、もっと驚いたのではなかろうか。そこには四季折々の彩りがあり、料理としての美味しさは勿論、日本人の箱庭的な感性の世界があるから、それを見て、味わったアインシュタインは、なんとつぶやいたか想像すると面白い。
 幕の内弁当や松花堂弁当は、一つ一つの小さなおかずにも、そして付け合わせまでにも、料理人の主張、こだわりがあり、それらが店の味として凝縮されている。旬の野菜、海のもの、山の物と各々の素材の個性を生かしながら、全体として美味さ、美しさを創りあげている。それはアートの世界でもあるが、技術としても要素であるおかずが弁当というトータルの料理を創ると言うことで、プロジェクトを連想させる。一つの作品を作り上げる料理人は、個々の素材のよさを生かしながら全体を纏め上げるという意味でまさしくプロジェクトマネージャであり、個々の素材そのものを最高の美味しさに仕上げるというところは、年季を経た技により裏打ちされた職人、専門家でもある。

 アインシュタインと弁当のことを考えていたら、札幌のおでん屋「愛飲酒多飲」を想いだした。
 学生時代の二十代数年を過ごした札幌は、その時代(1966、67年頃)今のような手軽な大規模な居酒屋は無かったが、ビヤホールとか北海道の食材の焼き物を主体とした女将さんが切り盛りしている小さな居酒屋・酒どころは結構多かった。また寒い札幌では熱々のおでんも好まれたのであろうし、北海道はおでんの“ねた”も豊富で有ったので、おでん屋も多かったと記憶する。しかし学生には少し贅沢であったから、そう度々は行けなかった。大衆酒場と称した飲み屋も結構あり、コンペは専らその様なところであった。
 当時からサラリーマンには人気が有り、学生には少し贅沢であった「愛飲酒多飲」は、今もって健在である。大正15年(1926年)創業というから、開店80周年を迎えたわけである。おでんの“たれ”は、カツオと昆布で取っただし、鶏がらと野菜でとったスープ、そして薄口しょうゆと砂糖を煮詰めた返しと、この三種類をブレンドし作られる。これを80年間毎日継ぎ足し継ぎ足ししているという。時間と手塩にかける事により “たれ”は益々深い味わいになっていくのであろう。深い味わいは一日にしては成らない訳であり、それを守るのにも持続的な努力が必要となる。
 おでんの“ねた”は、定番のおでん豆腐、大根、かまぼこ、昆布、玉子などを初めとして、北海道の様々な食材、珍しいところでは“まだち”、たらこ、笹竹などの旬の味覚が勢揃していた。お酒は、今はめっきり少なくなったが、アルミの酒燗容器でお燗され、厚手のガラスのコップ酒であった。また、最後の締めにおでんのたれで食べるラーメンはあっさりしていて、満足感を増加させてくれた。
 それにしても、80年もの長きにわたり支持されて来た理由は、“たれ”、“ねた”以外のところにも有るだろう。それが何であるかを探るのも興味深いが、残念ながら今は札幌を離れており、想像だけになるのでここで論じるのは避けることとする。

 持続的に愛されている「愛飲酒多飲」を思いながら、おでんについて少し考えてみた。おでんの“ねた”は、おでん鍋と言う“場”の中で、急ぐことなくゆっくりコトコト暖められる。それにより“たれ”のうまみが“ねた”に滲みこむ。“ねた”そのものも旨いが、その“場”に入ると、素材の持つ味以上の美味さに変わる。深い味わいの“たれがある場”により“ねた”の潜在的な良さが更に引き出される訳である。
 例えば私の好きな“ねた”に豆腐がある。おでん鍋の中でゆっくり煮含められた豆腐は、豆腐のうまみと“たれ”のうまみが融合している。それだけでも美味いが、それにたまねぎのスライス、削りかつおを載せて食べる熱々の豆腐は、冷奴や湯豆腐とまた別の味わいがあり、一口放り込むと将に口福、幸せが広がる。じっくり味を煮含められた柔らかな大根も、田楽大根やぶり大根などとはまた違った一皿となる。大根の大変身振りは、とても大根役者などとはいえない上手さ、いや美味さである。がんも、巾着なども美味い。無垢の味の白滝、こんにゃくなどは“たれ”によって新しい持ち味となる。素材の良さを生かすも殺すも“たれ”次第である。
 プロジェクトにおいても、プロジェクトメンバーという多種多様な “ねた”を、プロジェクトという“鍋すなわち場”の中で、その素材の持ち味を生かしながら、更によい味を出させるようにすることが重要である。“鍋”の中の“たれ”は、それは企業やチームの文化であり、プロジェクトの文化ということが出来よう。良い“たれ”が無ければ折角の“ねた”も持ち味を出すことが出来ないし、潜在的な良さも引き出されない。良い文化を持たないプロジェクトは、メンバーがやる気の無い生煮え状況みたいなものであるし、人も育たない。またコミュニケーションと言う素材の前処理・仕込みが不十分であれば、素材をただ“つゆ”に放り込んだようなもので、味気ない“ねた”の集まりとなるのではなかろうか。個々の素材の持つ個性を生かしながら、潜在的な能力も引き出し一味違った “ねた”に仕上げる、そして全体として味わい深いプロジェクトチームを作り出す、それはプロジェクトマネージャに求められるものの一つである。それをどのように実現するかはプロジェクトマネージャのヒューマンスキルに依る所であり、努力を要することであるが、プロジェクトマネージャたるもの常に心がけたいものである。

 弁当とおでんを考えていると、プロジェクトマネージャの心は、良い料理人の心に通じるのではなかろうか?との思いが広がった。

 (補足)松花堂弁当は、京都吉兆の主人湯木真一が、昭和8年(1933年)、京都で松花堂昭乗の旧跡での茶会の折に見つけた“田の字型の仕切りがある器”を、色々工夫して茶会の料理の器として利用した事に由来する。したがって、アインシュタインが来日した時には松花堂弁当を味わうことが出来なかったわけである。しかし少し時間をワープし遭遇したならば、恐らくてんぷら弁当よりもっと感激したことであろう。