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投  稿


加畑 長昭

プロマネの色眼鏡(3):一歩


 通勤カバンの中に、一枚の将棋の駒"歩"を入れている。きっかけは、第一の職場である四十年近く勤務したエンジニアリング企業を離れ、しばらくリフレッシュした後、縁があって全く異種の業務に携わるようになった。その第二の現役をスタートするに当たり、その"一歩(いっぽ)"の新たな心構えとして、一枚の"歩"を毎日手にするカバンに入れた。今までの職場では、25年以上をプロジェクト・マネージャー及び部門の責任者として、人に支えられながらも企業の一部をリードしてきたが、立場が代わって今度は使われる身となり、一担当の立場で仕事をするのだとの気構えを、"歩"に託した訳でもある。

 一歩(いっぽ)と言うと想いだされるのは、1969年アポロ11号で、始めて月面に印した「人類の偉大な第一歩」である。月面とは将に月とスッポンではあるが、山登りも一歩から始まる。
 私の趣味の一つである山登りは、とにかく第一歩を踏み出さないことには頂上に自分の足跡を刻むことが出来ない。今年の夏崩落を起こした白馬岳(標高2932m)には、昨年登ってきた。登山口の猿倉(標高1230m)から頂上まで、標高差1702m、歩行距離約7km。それを、16kgほどの荷物を担いで、大雪渓を登り詰め、頂上真近の白馬山頂小屋まで7時間、それから頂上まで30分の7時間半、高みを目指してひたすら歩いた。一歩一歩をゆっくり歩く登山では、普通の万歩計では変動のエネルギーが小さいため正確には計測できないが、標高差1700m、距離7kmを登るためには、一歩の平均を30cm弱としても、二万歩以上は歩くであろう。この途方も無い一歩一歩の歩(あゆみ)無しには、頂上に立つという達成感は得られない。また、運が良ければ、360度の大展望、ご来光、雲海など、気まぐれな神様のご褒美もいただける。従ってその一歩に意味が有り、持続しなければ目標を達成することも、神様のご褒美をいただくこともできない。

 将棋の駒"歩(ふ)"に話を戻すが、将棋もまた私の趣味である。日本将棋連盟から益々励みなさいという意味で、段位を允許されている。(本当はお金を払って戴いたと言うのが実情であるが。)だから歩の気持ちも、その重みも少しはわかる。
 歩の気持ちを少々考えてみる。歩は枚数が多いため、また駒の持つ働きも、前に一つしか進めないと言う欠点だらけの駒であるから、価値が低いとされて軽んじられることが多い。また、大きさも、飛車や角のように堂々とした駒に比べると小さく、見るからにその他大勢の駒である。歩の気持ちになると、能力のみならず大きさまで変えるのは差別だと言いそうであるが(マージャンパイやトランプなどは全て同じ大きさ)、絶対に歩で無ければならない場合もある。「金底の歩岩より固し」といわれるように、自陣の(二段目の)金の下の一段目の歩は、最強の駒である相手の"龍"の働きを封じ込める。このときの歩はまさに「一歩千金」である。価値の低いとされる駒でも、パートナーと活躍の場に恵まれると能力以上の力を発揮出来るわけである。また、敵陣である相手の三段目(七段目)に入り込むと出世して「と金」と成り、金と同様の能力を持つことになる。「5三のと金に負けなし」と言われるが、天王山である敵の5三の地点に"と金"が作れれば、その将棋は多くの場合勝勢となる。と金は体を張って拠点を守る。味方に取っては望外の戦力となると金は、志半ばにして取られ捕虜となったとしても歩の価値しかないから、相手にとっては極めて厄介な存在となる。その様に歩の潜在能力を引き出すも出さぬも指し手の力量次第である。「歩の働かせ方で実力を知る。歩が使えるか、使えないかによって指しての上手下手が決まると言っても良い」と名人升田幸三は看破していた。マネージャーの資質を言い表しているようだ。
 将棋において"歩"ほど、多様に使われる駒は無く、そして色々な役割を果たす。「開戦は歩の突き捨てから」と戦いの先兵をおわされたり、「三歩持ったら継ぎ歩とたれ歩」と、二歩を犠牲にして最後の一歩で拠点を築くというように、指し手の都合で勝つための犠牲的・献身的な役割も担わされる。「歩のない将棋は負け将棋」、「一歩千金」などと、歩が無い時は渇望され貴重な戦力ともてはやされるが、軽んじられる場合の方が多いだろう。しかししっかりと役割を果たして無駄死はしない。何とはなく、プロジェクトを支える多くのメンバーの有りさまに似ている。そして指し手に文句を言わないところが男らしい。下手な歩使いを、「ふ、ふ、ふ」と笑い飛ばしているようだ。それ故将棋を指すときは歩に笑われないよう、敬意を払い大切にするよう心がけている。

 さて、"歩"の漢字の起源を考えてみると、「歩」は「止」、「少」の組み合わせである。「止」、「少」も人の足型の象形文字で、左(止)、右(少)の両足が前後して、二つの足でしっかり"あるく"様を表している。そしてまた分解して見ると「少し止る」ということになる。
 ちなみに「走る」の「土」は、「大」の象形文字で、「大きく足を広げて進む」から「走」となる。私にとって"歩"は、これからの生き方はがむしゃらに走らず「少し止りながら歩く」、スローで行きなさいと教えてくれているような気がする。だから"歩"の駒に触るとほっとする。