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加畑 長昭

プロマネの色眼鏡(2):トラ軍団のライオン


 それは象徴的な光景であった。試合後のヒーローインタビューの時、矢野捕手や赤星外野手がベンチから身を乗り出し、笑顔で拍手しヒーローを讃えるシーンが眼に入った。
 ペナントレースも大詰めを迎えマジックは点ったが、二位ドラゴンズとの三連戦、初戦は大敗、二回戦はエース井川での敗戦。ドラゴンズの逆転リーグ優勝は極めて難しい状況であったが、息を吹き返させる気力を与えた連敗後の9月21日の第三戦であった。それまでの嫌なムードを一気に吹き払うように、2回裏に四番レフト金本選手の38号弾丸ホームランがライト観覧席に突き刺さった。その一発がチームに勇気を与え、その後良い形で加点し、先発37歳のベテラン下柳投手が6回まで無得点に抑え、7回以降おなじみになったJFK、ジェフ・ウイリアムス、藤川、久保田が気迫で抑え完封リレー勝利を収めた。下柳はハーラーダービートップの13勝。ヒーローは、当然金本選手、下柳投手であった。いつもヒーローインタビューを固辞している下柳は今シーズン二度目のお立ち台であり、シャイな下柳を金本がサポートするようなインタビューで、珍しいコンビのやり取りにスタンドは大喜び、爆笑、拍手喝さいの連続であった。その時ベンチでも矢野や赤星が一緒に笑いながら拍手している光景が映し出された訳である。(翌日の新聞によると、ベンチにはまだかなりの選手が残っており、インタビュー後の二人を拍手で迎えたという。)戦いが済んだヒーローインタビューの時は、他の選手はさっさとロッカールーム引き上げ、このようにベンチに残り、一緒になってヒーローを讃えるのはごく稀なことである。全員で勝利を喜びヒーローを讃える、そこにはっきりと戦う"集団"に変身したタイガースを見た。9月29日巨人戦、再び金本が先制タイムリーを放ち、下柳が6回まで零封、JFKが後続を断ち、ウイニングボールは金本のグローブに納まった。そして岡田監督が宙に舞った。

 私は、セ・パ二リーグに分裂した後のタイガースで、藤村富雄が孤軍奮闘していた昭和27年(1952年、小学6年生)の頃からのタイガースフアンである。情報の少ないその頃は、毎月貸し本屋から借りてきた"ベースボールマガジン"、"野球界"のグラビアを飽きもせず見ていたことを想いだす。今は横浜に住んでいるので、年に何回か横浜スタジアムに足を運び、タイガースの戦いぶりを楽しんでいる。最近では平成15年の18年ぶりの優勝があるとはいえ、駄目トラと言われ続け、張子のトラと揶揄された低迷と屈辱の時を半世紀にわたり見てきた。それでも個性のある選手が時々夢を見させてくれたから、愛想を尽かしながらも悪女の深情けのようにタイガースフアンであり続けた。20年前、1985年に日本一となった時の優勝記念テレホンカードは私のお宝である。

 さて、シーズン初めの大方の予想に反して、タイガースは二年ぶりにリーグ優勝を果たした。豪腕に物を言わせて選手を集めた二年前とは異なり、シーツ以外の主力の補強がなかったこの優勝の背景に何があったかを考えてみた。
 総論としては、岡田監督が、戦う集団としてハイ・パフォーマンスなチームに変身させた事といえよう。「球団創設70年の優勝」という目標を掲げ、各選手の役割を明らかにし、やる気を起こさせ、新しいチームを創り上げた、というのは表層的なものであろう。それを岡田監督はどのようにして成し遂げたかということである。攻守では、新しい攻撃のラインアップを、打線の組み換えとその効果を最大限に発揮させるための守備のコンバートにより実現させた。また投手陣に関しては、新たに先発と中継ぎ、抑えへの機能転換を行った。コンバート、機能転換は、選手の適材を見抜き適所に配置した結果であるが、選手に危機感、緊張感を抱かせると共に、チームにおける自分の役割とその期待されるところを自覚し、コンバート前の選手との競争を生む。それは監督、コーチとの信頼関係が無ければ当初の成果は期待できない。結果として、"最多打点"、"最多盗塁"、"最多勝利投手"、"最優秀中継ぎ"の4人のタイトルホルダーが誕生したほか、打撃陣の"打点2位"、"ホームラン2位"、"打率3位"、"得点1位"という成績、そして投手陣に関しては、"防御率はトップテンに3人"、"セーブポイント2位"という、 "選手一人一人のパフォーマンスが最高に発揮されるチーム"に変身、優勝という果実になったわけである。また新戦力を、結論を急がず気長に使い続け、実戦を通してレベルアップを図ったことも成果に繋がった。コンバートや新戦力起用に於ける信念を持った頑固さ、それは責任を取るということと表裏一体であるがリーダーとして評価される一つであろう。ライバル名門チームの安易な補強や、投手陣のめまぐるしい役割変更による崩壊現象、ホームランバッターを並べたラインナップの不発現象と比べると、選手個人の能力に大きな差は無いものの、チームの勝敗という総合力に歴然とした差が現れたのは当然である。
 具体的に検証して見る。昨年は中継ぎ、抑えであった安藤を新たに先発に起用し、先発であった久保をストッパーへ回した。先発陣は井川、下柳、福原、安藤の4本柱が年間通してローテーションを守り、5、6回までにリードした得点を、JFKでがっちり勝ち取るという、いわゆる勝利の方程式が見事に組み上がった。141試合を戦い、84勝をあげ優勝を決めた時点で、JFKに継投された試合は71勝3敗2分けという驚くべき戦績である。特に、日本記録となる80試合に登板した中継ぎ藤川の新鉄腕は際立っている。切迫した状況で登板し、150キロの切れのある速球で三振に斬って後続を絶つ。相手は追撃の気合が削がれ、これが分岐点となり勝利に繋がった試合は枚挙できない。先発にコンバートされた安藤は安定したピッチングで10勝をあげた。また節目の試合で登板した下柳は、後のJFKにつなぐ責任回数5、6回まで粘り強く丁寧に全力投球し、15勝を上げて最多勝利投手となった。注目したいのは、橋本、桟原、江草の"裏"中継ぎトリオである。同点や、リードされている試合で登板するから、徒労に終わることも多いが、力投し7試合を勝利に導いている。この勝ち数がゲーム差となっているともいえよう。打撃陣は、足を生かして赤星を二番からトップバッターへ、今岡を守備の負担を少ない三塁へコンバート、ポイントゲッターとして五番を任せた。その結果赤星が三年連続60盗塁というセ・リーグ新記録で5度目の盗塁王となり、今岡が歴代3位となる打点王に輝いた。チーム全体としては、打率はリーグ3位、ホームランは4位と少ないが、つなぐ野球に撤した成果として総得点ではダントツの1位で、投手陣も機能転換が功を奏し防御率1位である。レギュラーの活躍とともに、控えの選手も常時臨戦の心構えで、捕手の野口はベンチで片時もミットとボールを手放さない。外野の守備のスペシャリスト中村も、少ない出番のチャンスを生かすのに必死で、常に戦いという心の持ちようが、ペナントの行方を決する9月7日のゲーム差2と迫られたドラゴンズ戦、延長11回の決勝ホームランを生む伏線となったのだろう。新戦力を気長に使い続けた結果、鳥谷はショートに定着し、岡田が二軍で育てた関本もしばしば印象に残る一打を放った。三年目の杉山はシーズン後半頭角を現し、先発の5本目の柱として9勝を上げ貴重な戦力となった。

 しかし何といっても優勝の最大の功績は四番レフト金本選手の存在であろう。ハイ・パフォーマンスな戦う集団に変身したとはいえ、それを動かす何か見えざる力が求められる。金本は周りを巻き込み、目標へ向かわせる原動力となった。6年にわたり896試合フルイニング出場という金字塔は、その強靭な体力と強靭な精神力、責任感に依るが、そこには鍛錬という努力が積み重なっている。毎試合終了後、ベンチ裏で当日の試合で納得のいかなかった点の反省、修正と明日の対戦相手を想定してバットの素振りをしている。それをもう14年間続けているという。「自分ほど素振りをしている選手は居ない」とインタビューに答えていたが、そのような途方もない努力をしていたことを最近知った。その後ろ姿がチームを引っ張っているのだろう。
 金本は打点およびホームラン2位、打率3位。三冠王には一歩およばなかったが、現状に満足せず常に努力する姿勢が、打率、打点、ホームラン数において自己記録をすべて塗り替え進化し続けている。更に得点王であり、塁打数、長打率、四球も1位である。長打率、四球は投手に無言の威圧感を与え、投手が萎縮した結果といえよう。後ろに今岡がいるから、ここは彼に任せても良いと思うときは、チャンスを広げることを優先させじっくり見て四球を選ぶ。不要不急なときには無駄な動きをせず、しかしここぞという時には一振りで、そう獲物を狙うライオンの如く一撃で仕留める。バッターボックスに立つた金本の、微動だにせず投手と対峙するさま、その時の鋭い眼光と横顔は正しくライオンを髣髴とさせる。トラ軍団の中のライオンか!!!今シーズンはそれにふさわしい活躍を見せてくれた。間違いなくトラ軍団を率いる新しいリーダーだろう。ヒーローインタビューの時、仲間から送られた拍手は、リーダーに対する尊敬と感謝の表れでもあろう。そして、優勝を決めた試合の、金本のグラブに納まったウイニングボールは、"トラ軍団のライオン"への勝利の女神様からのご褒美ではなかろうかとも思えた。

 タイガースフアンとして、正夢と勇気を与えてくれたことに感謝の拍手を送りたい。
(2005.10.21日本シリーズを前にして)