先号  次号

投  稿

加畑 長昭

プロマネの色眼鏡 −さもさも、さもない−


 時々山歩きを一緒する酒友のWさんと"うなぎ"の話をしていた折、Wさんが良く行く金沢文庫のうなぎ屋が美味いということで、そこへ行く話しがまとまった。八月の盛夏の一日、北鎌倉から金沢文庫まで三時間半ほどのハイキングでたっぷり汗をかき、十分にお腹かがすいた一時半を少し過ぎた頃に店に入った。

大通りに面した店は間口三間、二階建ての地付きの店である。この街道は金沢八景に至る旧道で、金沢八幡への大通りでもあり、古くは間口三間の色々な店が続いていたようである。今でも畳屋や左官の、将に古色蒼然とした看板がかかった間口三間の平屋の古い店舗が残っており、往時を忍ばせている。うなぎ屋はその後建替えたのであろう、一階の通りに面した部分がうなぎ屋で二階は住宅となっている。店の入り口の上に掲げられた看板は、昔よくあった乳白色のプラスティック板に、やはりプラスティック板から切り出された"うなぎ専門店"の文字が貼られたもので、それも年月を経て色褪せている。またどうって無いガラスの引き戸の入り口に掛けられた暖簾は、陽に晒されて"うなぎや"の文字もかすれて見える。丁度忙しさが一段落した時であり、うなぎ屋の在り処を示す香ばしい蒲焼の匂いも感じられなかったので、気がつかなければ通り過ごしてしまいそうな「うなぎ屋らしさもない」店構えであった。入り口を入ると、すぐ左手に調理場と、焼き台がある。調理場の前にはカウンターがあり、また向かいには二卓のテーブルがある。奥は10畳ほどの上がり座敷になっており、そこには大小の座卓が四卓、15,6人も入れば一杯である。一つの空間に、調理場、カウンター、上がり座敷という、少し前の時代には何処にでもあった、昔風のオヤジさんの顔が見える、懐かしい店の造であった。もう30年もここに店を開いているという。30年前のその頃、私は此処金沢文庫に一年近く住んでいたが、その時には気がつかなかった、そんな「さもないうなぎ屋」であった。
我々が店に入った時は、昼時の混雑が一段落した後で、店の中で白い割烹着姿の50代後半の主人とおぼしき男性が小学校低学年の男の子の相手をしていた。調理場には恐らく息子であろう三十代半ばの料理人が入っており、ベテランの主人と息子(二代目若主人)の二人のうなぎ職人がやっているのだろう。また配膳などサービスに若い女性(二代目の奥さんと思われる)と女将さんが甲斐甲斐しく動き回っていた。家族皆なで店を切り盛りしている様子が伺えた。また子供にとっても、身近に父親とおじいちゃんの働く後ろ姿を見ることが出来、恐らく何の躊躇いも無く三代目に成長していくのだろう。それが良く解る店の雰囲気であった。
うなぎは浜名湖から取り寄せている。仕込みは、昼の分は午前中に夕方の分は昼食時が済んでからと、一日二度行っていると言う。八月のシーズン中は「うなぎ重(並1700円、2100上、特上2500円)」のみである。ランチサービスなどで、割安なうなぎを食べる機会のあるサラリーマンにとっては、このような場所で、値段は安いとはいえないが、特段高すぎるという事も無いだろう。九月に入ると、「うな丼」(1050円)一日限定20食が、ランチサービスとして出てくるので、それを目当てに来るサラリーマンや、我々のようなサラリーマンOBも多いという。
うな重を待っている間ビールとおつまみに"うなぎの肝の佃煮"を注文した。注文してから調理してくれるので少々時間がかかったが、熱々のうなぎの肝の佃煮はぷりぷりとして柔らかく、ほんのり苦味があり絶品であった。うなぎの肝の佃煮は好物で、缶詰の物も時折味わうが、全く別物の旨さであった。特にビールには良く合う。その日の捌いたうなぎの状況により肝の個数が変わるので、品切れになることも多いという。勿論お吸い物は肝吸いであるから、佃煮に回る量を考えると、タイミングが良かったわけだ。二代目が焼き上げてくれたうなぎは、香りが食欲を誘う。蒸し加減も素晴らしくふっくらとして柔らかかったし、余り甘くないたれもうなぎの味わいを殺すこと無く、一口食べて"口福"となり、並みのうな重でも十分満足感を味わった。隣の席で老婦人が、奥さん(娘さん)とゆっくり鰻を楽しんでいたし、後から一人で入ってきた男性は、うな重を注文するとともにお土産まで頼んでいた。そんな様子を見るにつけ、おなじみの客も多いようで、店の主人の人柄と、店のうなぎの旨さが証明されているような気がした。

さて、そこから少し離れたこの道沿いにもう一軒のうなぎ屋があるという。金沢文庫は、最近マンションが増えたとはいえ決して住人が多いとは言えない土地柄なのに、こんな至近に二軒の鰻屋があるということに興味を覚え、後日そこを訪れた。ここも間口は三間であるが、二階建ての宴会も出来る立派な店構えである。この土地に店を構えて45年にもなる老舗で、歩道からはガラス窓越しに、白焼きの蒸しあげられたうなぎの串がバットに幾重にも重ね置かれているのが見える。これだけ繁盛しているのですよと言っているのかも知れない。また入り口に"うなぎ"と書かれた立派な木製の看板が掲げられているので、見るからうなぎ屋とわかる「さもさもうなぎ屋」である。店内には、うなぎのほかにてんぷら、活魚、酢の物などの季節料理のメニュー板が掛けられている。何故かお勧めに"しめ鯖"まである。また、柱に掛けられた備長炭使用の看板が目立つ。うなぎ料理と関係ないが、屋号の入ったちょうちんや錦絵も飾られており、日本料理屋を演出している様だ。二階では宴会も出来から、調理場は結構大きく、また店舗とドアで仕切られているので、店のほうには香ばしい匂いが余り漂ってこない造りである。うなぎに特化せず、日本料理のオールランドプレーヤーを目指しているというところか。主人はもう70歳を過ぎているだろう。私が入った土曜の一時過ぎには、うなぎの焼き方は若いのに任せ、タバコを吸いながら常連と一頻り話し込んでいた。うなぎは鹿児島産と言う。値段は、うな重「梅(1890円)、竹(2100円)、松(2415円)」と、手ごろな梅は結構高めである。うな重はうなぎ1匹と言うのが私の通念であったが、注文した梅は残念ながら小ぶりなうなぎが3/4匹であった。注意して見ると、うな重竹がうなぎ一匹であったから、うなぎを楽しむなら、次からは"竹"を食べなさいと言うメッセージにも思えた。また"たれ"は少し甘すぎ、折角のうなぎの風味を損じているような気がした。値段とうなぎの大きさを考えると、満足度は小さかった。
さて、「さもさものうなぎ屋」のうなぎ屋は、「さもさも」であるためのそれなりの努力をしているのは伺える。日本料理の中のうなぎ屋としての経営はうまく行っているだろうが、うな重の値段の設定や、うなぎの白焼きを造り置くなど、うなぎの蒲焼の旨さという本当の所への目が、お客への気配りが少し希薄になっているのではなかろうかと思えた。

ふと、我々の回りにも、いかにも「さもさも」が多いのではなかろうかとの思いが沸いた。仕事に於いても、本当はチーム員の力が結集された結果であったり、担当が根気よく説得した成果であったり、長い地道な研究の後の努力の結果であるのに、最後の舞台に突如登場して、「私がまとめた」、「私が説得した」、「私が売り込んだ」、「私がアドバイスした」等と、"さもさも私がやった結果なのです"とアピールする同僚、先輩を見てきた。そして、その様にアピールが上手いものが会社から評価される例が多いのではなかろうか。また、自分自身もその様な見掛けの成果に惑わされ評価を下したことがあるやも知れないと自戒する。
我々は、時としてうわべだけの「さもさも」に目と心を奪われてしまい勝ちであるが、物事の本質・真髄は「さもない」ところにある様に思うし、そこに本質を見つけられるような本当の目を持ちたいものである。(うなぎの場合は本当の舌でしょうが・・・)
また「さもないところ」は、余計なことに惑わされることの無いそれ一筋の場であるから、一人前になる技術の伝承にふさわしい"場"なのだろう。うなぎ職人は、「串打ち三年、裂き八年、焼は一生」と言われているが、このうなぎ屋の場合も、親から子へ、子から三代目の孫へ、"串打ち、裂き、焼"の職人技と"たれ"の味が間違いなくしっかり伝承されていくだろう。そこに古き良き時代の日本の原風景を見る思いがして、心が和んだ。それとともに、雑念に惑わされることのなく、信念を持って自分の道を歩み続けることの出来る職人の世界がうらやましくも思えた。

***************************************
うなぎ専門店"ふくしま":横浜市金沢区寺町1丁目
045-701-0433(京急金沢文庫駅から徒歩5分くらい)