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「グローバルPMへの窓」第4回
PM Guru に祭り上げられた凡人のはなし (その2)

GPMF会長  田中 弘:1月号

 ニューデリーでのIPMA世界大会は大変盛況であった。
 大会は、まず併設のGlobal Project Management Forum(GPMF)の第15回世界大会から始まった。大会は25カ国からPM協会幹部を中心に70名の参加を得た。
 筆者がGPMF会長となって初の大会であり、理事会の決議で、これまで実施してきた世界のPM協会の交流・情報交換の場的な大会としては最後となるので、周到な準備を行ったが、無事第1幕を引くことできた。
 大会は、GPMF第1ステージ最後の大会であることに鑑み、95年ニューオリンズでの第1回大会で行った各国協会のPM状況報告を中心とした大会スタイルに回帰して、午前中はアジア太平洋、午後がヨーロッパ・中東・南北アメリカ各国から、与えられたテーマに沿って報告を行った。基調講演は、本大会の主務大臣である、Oscar Fernandes大臣にお引き受け戴いた。同大臣はインドの主要国家プロジェクト600件の進捗監理・評価を行うMinistry of Statistics & Program Implementationのヘッドであるので、「発展途上国のPM取り組みの命題」のタイトルで、インドの国としてのPM振興の必要性を強い口調で語って戴き、参加者に感動を与えた。
 GPMFを巡っては、PM協会の両横綱PMIとIPMAの鍔迫り合いがあり、IPMA大会併設であることから大会出席を渋っていたPMI幹部を一転して強い支持に廻らせるための説得など、筆者は大会開催まで会長として調整に苦労をした。大会席上でもPMIのプレゼンテーションを巡って元IPMA会長の長老やドイツのIPMA副会長などから直截的な批判が出るなど緊迫した雰囲気があった。しかしそこは大人の世界で、これで険悪な雰囲気になることはなく、無事大会を終えた。後で、彼らにはホスト協会会長(IPMA会長)の強い要請でPMIを引っ張り出した、ひとの苦労も知らないでPMIに文句をいうのはフェアーではないと抗議をしておいた(本当はその場で諌めるべきであるが、このような国際大会の場には掻き回し屋が何人かいるので、彼らの出番を防ぐためワンクッション置いた)。
 翌日には、早速世界のPM賢人を集め、理事会素案の今後のモデルに付いてヒアリング会を開催するなど次のステップに向けて動き出している。年明けにはロンドンで、会長代行のKen Hartley氏および英国協会会長であるTom Taylor氏と戦略会議を開催の予定である。

 翌日から始まった第19回を数えたIPMA世界大会はIPMA創立40周年記念であり、しかも初めてIPMAの本拠ヨーロッパを離れてアジアで開催された世界PM史上記念すべき大会であった。大会の主賓は閣僚No.3 のP. Chidambaram財務大臣、次賓は計画・国家プロジェクト監理大臣のOscar Fernandes氏が務められた。
 大会テーマの「ビジョンから現実へ(Vision to Reality - V2R)」 は、”動けインド:そこにPMあり”という主催者の熱い思いが込められたものであった。参加者はインドから900名、世界60カ国から300名の1,200名とIPMA史上最大規模である。これまで4年の世界大会の平均参加者数が400名であるので、いかに本大会が盛況であるかを物語っている。
 この成功は、ホスト協会インドPM協会PMAの会長・IPMA会長であるAdesh Jain氏の大会成功に賭けた情熱・執念と、インドの国を挙げての支援、Jain会長のIPMAの枠を超えた海外ネットワークを通じての動員、そして大会運営の豪腕に拠っている。
 ヨーロッパ各国協会のリーダー達は、今年前半までJain氏のお手並み拝見とクールであったが、参加者数が同氏の公約通りに伸び始めると、強い支持に変わり、国ごとに最低で5名、最大45名(来年の開催国中国)の派遣団を送りこんで来た。
 本IPMA世界大会には、エンジニアリング振興協会(ENAA)とPMAJは合同デレゲーションを組んで参加したが、大会では「最恵国」待遇を受け、今後の世界大会で二度と期待できない絶好のポジションを得ることができた。これは、ENAA/旧JPMFとインドPM協会の強い協力関係(97以来、筆者が5回、石倉統括副理事長が2回大会に参加し、合計20回の講演を行う一方、Jain会長もENAA/JPMFの東京国際大会でP2Mお披露目講演の議長を務めるなど3度交流に来日)の賜物である。
@基調講演
 筆者と富士通 平田常務で大会初日に「イノベーションとPM」と題した基調講演を行った。他の基調講演はほとんど企業の事例であるなかで、本講演はPMのフロンティアを描いた講演であるので世界大会に相応しいとして高い評価を得た。
A基調パネル
 3件のパネルのうち、2件のパネルに出演を果たした。
 初日の「政府のPM」では、宮川・田中が出演し、METI/ENAA/PMAJのPMへの取り組みを語り尽くし、大変良いアピールの場であった。出演者は他に、Fernandes大臣の次官、金融公社総裁、英国政府のPMコンサルタントであった。
 最終日のクロージングパネル Global PM Leader Panelでは、筆者が出演し、こちらは、ぶっつけ本番何でもありのライブパネルで、パネルは踊った。
Bトラック基調講演
 12あるトラックの各々に基調講演が設けられており、筆者が、ENAA PM委員会の成果「マルチプロジェクトマネジメント」、石倉括副理事長が「P2MとP2M資格制度」、佐藤統括副理事長が「日本のIT産業のPM取り組み」、米澤部会長が「リスクマネジメントの一考察」を発表した。
Cトラック講演
 一般講演では、東洋エンジニアリングの(本社)インド人社員 KR Umesh氏が「発展途上国顧客へのPM技術移転」、富士通 梅村常務理事が「成功ITプロジェクト事例」、会員の岸良氏が「企業のPM的業務改革事例」の発表機会を得た。
 本大会では、他国代表から、何でIPMA会員でもないENAA/PMAJをこれほどまでに厚遇するのかという声も聞こえるのではないかと心配するほど手厚い待遇を受けた。
 このようなポジションを与えて戴いたAdesh Jain会長に衷心から感謝すると共に、ENAA/PMAJのこれまでの同会長、インドPM協会への協力が、同協会だけではなく、インド産業界、インド政府にまで高く評価されたことを誇りに思いたい。
 日本政府は、中国と並んで今世紀のスーパーパワーとなるであろうインドと経済協力を促進しいているが、下からこれを支えるNGO外交の一ページとなったら私共参加者の幸いである。
 かくして、PM Guruに祭り上げられて凡人は大いに気分をよくしてタイ国際航空で帰国した。そこでは、また凡人の世界が待ち受けていた。