先月号 次号 高根宏士 :12月号

ホールインワンと嘘


 ホールインワンはゴルフをやっている人にとっては、一生に一度はやってみたいことである。
私は未だやったことはない。多分最後まで縁がないであろう。以前クラブチャンピオンになったことがある方に聞いたら、彼も未だ経験がないとのことであった。ところが大阪の若い男でゴルフをやって一年未満でホールインワンを達成したという連絡を受けた。多分に運が影響しているのかもしれない。
 昔横浜の名門倶楽部での話である。あるときテレビにも出演しているタレントがラウンドをしていた。そして130ヤードほどの短いショートホールでホールインワンをしてしまった。その頃はホールインワンをし、申請するとスポーツ新聞が名前とそのときのデータを掲載してくれていた。タレントは申請用紙に使用クラブを書く段になって恥ずかしくなってしまった。彼の使用したクラブはスプーンだった。スプーンで130ヤードの飛距離は恥ずかしいというわけである。そして7番アイアンを使用したことにしてくれとキャディに頼んだ。キャディは断った。そしてスプーンを使用したことがばれるのが恥ずかしいなら、申請を止めなさいといった。ゴルフは正直でなければならない、データは正確でなければならないというのがキャディの考えであった。「使用クラブはスコアの数字ではないから多少の嘘は問題ない」のではなく、そのような考えがゴルフをいかがわしいものにしてしまうというのである。タレントは結局新聞には載せたいので、使用クラブはスプーンとしたそうである。この話は、現在は堂々たるレッスンプロになっている、そのときのキャディから聞いた話である。
 スプーンを7番アイアンに変えるのは嘘をつくことである。その結果は本人がいつまでもその嘘の記憶を思い出すだけで、彼の精神衛生に多少のダメージを与えるだけである。他人に迷惑はほとんど掛からない。キャディもそのとき、軽くOKしていればご祝儀のボーナスも弾んでもらえたかもしれない。しかしキャディは嘘の申請を拒否した。彼には「ゴルフ」についてのプライドと「ゴルフのプロ」としてのプライドがあった。そこには従事する職業についての誇りとその職業についている自分に対する誇りがあった。
 最近マンション建設に当っての建築設計事務所の不正があった。強度計算についての数字の改竄である。これはゴルフにおけるスコアの改竄と同じである。ゴルフでは実際より良いスコアに改竄(誤記)した時は競技失格である。この事務所の不正はゴルフでいえば競技失格に相当する。しかし問題はそれだけではない。ゴルフの場合は単に本人の競技における失格と以降、周囲から信頼を失うだけである。他の人はそれほどのダメージを受けるわけではない。しかし建築にではその数値に基づいてマンションが建てられ、そこに誰かが入居することになる。その建物がつぶれたら、大惨事になるはずである。だから一級建築士という資格は医者や弁護士と同じような効力を持っているのではないか。それを受注するためとか安い方が施主からの仕事を貰え易いということで改竄し、それを監査する機関が見逃すという体たらくはどうしてだろうか。改竄した建築士にも監査を見逃した機関にも主体的に責任をとるという姿勢は見えない。そこには先ほど述べたキャディの爪の垢でも飲ませてやりたいくらいの意識しかない。自分の仕事に対する誇りなど微塵もない。
 ところでプロジェクトマネジメントの世界ではどうであろうか。そこにも似たようなことがないであろうか。例えばプロジェクトの工程が遅れているにもかかわらず、計画通りの進捗と報告していないだろうか。品質が悪いのに頬かむりしたままシステムの営業運転日を迎えたりしていないであろうか。みずほ銀行や東証のシステムに代表されるトラブルは単に、システムが難しいとか、納期が短いだけではない。そのときに実態と制約条件の乖離に眼を瞑って、当面の体裁だけを整えてしまおうとする意識が根底にあるからではないだろうか。当事者がその仕事に誇りを持てず、上司か、または誰かからのプレッシャを受けて、被害者意識を持ったまま仕事をしていないだろうか。やはり仕事は、先ほどのキャディさんのように誇りを持って当ることが肝要であろう。
 余談であるが、嘘が許され場合がある。ゴルフではスコアを実際よりも多く申告する場合である。これはそのまま受理される。プロジェクトマネジメントの世界では、工程が計画よりも進んでいるにもかかわらず、計画通りと報告することである。もしこれが嘘だった場合、つじつまを合わせるには進んでいる分だけ、作業を休めば報告どおりになるからである。嘘が許されないのは、その嘘がそれ以降、現実の世界に悪影響を及ぼすからである。しかも簡単な嘘がとんでもない大惨事や社会的混乱を引き起こすからである。嘘をつく人はその嘘がどこかで大きな問題になるということに意識が及ばないからだろう。この意識が及ぶかどうかが、「本当のプロ」かどうかを分ける試金石ではないだろうか。