2.価値の定義
日本の製造業は1970年ころから台頭し、80年から90年にかけて、その地位を磐石なものにした。しかしながら高度成長期とその後遺症であるバブルがはじけると、国内の需要構造が変わり、大量生産商品をさばく市場が日本から中国へとシフトした。格安量産品は消費地でつくるのが好ましいから仕方がない。
「ものをつくる」ことの価値は、「もの」に価値を見出す顧客が、その価値を買うことによって成立する。日本では量産品が行き渡ってしまい、今は買い替え品か高級品へと需要が代わっている。ここで二つの問題が発生した。第一は製造業の中国への引越しである。ひと言で製造業の引越しというが、量産業者は部品をつくらないから、部品会社も引越してしまうわけである。製造業の基盤となる部品が日本で調達できないと製造業すら成り立たなくなる。第二の問題は国内の売れ筋商品の変化である。人々の好みが多様化したことで、生産は多品種少量生産となった。好みの多様化とは価値観が多様化したことで、「ものをつくる」という概念から「価値をつくる」という概念に製造業はシフトしなければならない。
この二つが製造業における表面的な問題である。しかしもっと重要な問題が隠されている。日本の製造業の権威と称する人々は未だに日本の技術は世界一だとか言っているが、技術が世界一でも日本の製造業は元に戻ることはできない。それは「ものをつくる」ことより「ものを売ること」が困難になったことである。ある商品が市場に出て、それが売れ筋となると3ヵ月から6ヵ月後には類似品が世に出される。今の日本は売れるものが決まれば技術は即追従できる能力を持っているからである。言葉を替えると「製造」より「マーケティング」が重要になった。「マーケティング」とは売れる仕組みをつくる仕事である。顧客を選抜し、その顧客の潜在ニーズを考え、その人々が価値を認めて買ってくれる商品を創り上げることである。売れるものは「もの」とは限らない。「もの」を売る時代から「価値」を売る時代となったから、「価値をつくる」PMも出現したわけだ。
前置きが長かったが、そこで「価値とは何か」を定義も含めて考えを進める。
2.1価値工学における価値の定義
(1)定義(手島直明著「実践価値工学」日科技連から引用する)
価値(V)=得られる効用(F)/支払う犠牲(C)
「得られる効用」とは、品質、機能、仕様、量、タイミング、設置性、快適性、操作性などのさまざまなニーズやウオンツのすべてを含む。
「支払う犠牲」とはコスト、エネルギー、物質、時間、労働、不快感など価値判断者が犠牲と考えるすべてを含む。
この定義は大変深い意味を持っている。
A.「得られる効果」とは顧客が求めるものである。顧客が決めるファクターである。ここがマーケット・インの部分である。しかし顧客がいくら良いものを求めても、求めた効用に見合ったコストでないと価値(買ってくれる)は出ませんよと教えている。
B.「支払う犠牲」とは投資である。これは企業側のファクターである。企業の努力で決定できるものである。
深い意味とは何か?企業にとってAとBとどちらが容易に達成できるかと考えると、Bが容易である。改善で鍛えた実績がある。そこで企業はBを行うことで努力したと自己満足している。Bも重要であるが、Aを達成する努力が企業を伸ばすことになる。高級品は安い必要がないからである。
価値工学的には「経済的価値」がその対象であり、ものの価値で眺めると
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希少価値:世の中に数が少なく、入手しにくいために生ずる価値 |
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交換価値:所有しているものと、欲しいものの交換で生ずる価値 |
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コスト価値:品物をつくり、売るためのすべてのコストにより生まれる価値 |
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使用価値:物を持っている効用により欲望の満足度を評価する価値 |
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貴重価値:特性や魅力の度合いにより生ずる価値 |
とうの価値がある。効用とはこの中で何を指すのかヒントにはなる。
(2)価値観の推移
価値工学的に考えるとモノつくりに限定されてしまうが、あえてモノつくりに限定しても価値の内容が時代的に変わっている。
1960年代:Mass Production(安くつくる)時代
1970年代:Engineering(良いものをつくる) Product out(機能アップ)
1980年代:Creation(新しい物をつくる)Market in(新商品開発)
1990年代:Strategy(企業の総合力を高める)Demand creation(顧客満足の創造)
以上はモノつくりの立場から見た時代の変化であるが、現在はやはり顧客満足の創造という段階で価値創出に苦しんでいると言える。
2.2 モノつくりを離れた価値
1990年代はバブルがはじけて、人々はモノに対する飽和感があり、気に入ったものがあれば買いたい時代となった。日本はモノつくりから離れた価値観を持たないと、アジア諸国の中で継続的な地盤沈下をすることになる。
最近は「地球環境保護の促進」、「心の豊かさの追求」など価値観が多様化し、画一的な価値の追求ではなく、日本社会の現状に応じた価値の創造が求められている。量産品の中国へのシフトで悲観的に考えるより、アジアには新しい価値を求めている新富裕層(日本のシルバーや購買力旺盛な女性郡等)は日本のみでなく中国にまたインドにアジア地域に大量に誕生している。これらは実は大きなマーケットである。今はこの大きなマーケットに供給するアイデアが不足しているだけに過ぎない。しかし日本の消費者は日本文化を反映したセンスのよさがある。これが戦略マネジメントでおこなうSWOT分析の武器として活用できる。むかし、大西洋横断飛行で有名なリンドバークが太平洋を飛んで奥さんを日本につれてきたとき、リンドバーク夫人は日本人庶民のセンスのよさにびっくりしたと書物に残している。日本の着物、蛇の目傘、手ぬぐい、風呂敷などしゃれて見えたようだ。
今度は買い手の立場でニーズを眺める。買い手のニーズを「マズローの5段階欲求図」から出発して考える。
現代の日本の消費者は人によって違うが、B、C、Dが求められている。企業では未だに会社人間が多いからBの段階であるが、一般人は会社人間よりしがらみが少ないから、変化への追従が早い。
価値とモノの概念でこれを整理すると
B: |
人並みでありたい。 |
C: |
・人より良いものが欲しい
・人と違うものが欲しい |
D: |
・自分はこう考えてこれを選ぶ
・自分はこれが好きだからこれを選ぶ |
ということになる。
これを女性で考えるならCはブランド志向がその表れである。まがい品選びはBの領域といえる。女性でDの域に達している人は少ないが、センスのよい人はこの方面への変化が早い。
では男子サラリーマンで考える。最近は資格取得者が増えてきた。しかし彼らの行動を見ているとB程度の資格取得に思えてならない。「資格をとっても役に立たないじゃないか」と考える人が多い。これらの人は資格が受身である。「資格を何に役に立てようか」と考える人がCからDの領域の人である。まだ、会社人間から脱皮できていない。彼らは今後の10年の社会の変化に追従できるか疑問である。会社人間の話はさておき、今後はCの人が求める価値観を満たすものを探すことになろう。
未だに技術を云々する人が多いが、最も難しいのは顧客の潜在ニーズを探すことで、何が欲しいか分かれば、技術は簡単に追従できる能力を日本はもっている。それなのに売ることの難しさを考えない評論家や経営者、技術者が多く、未だにモノつくり、技術の振興を唱えている。売るものが決まれば、技術の開発は困難ではない。売れれば人はひとりでに育つものである。価値の定義はきりがないので、この辺で止める。