オンライン−P2M活用研究会−

0. ご挨拶
 オンラインではJPMFの各部会や研究SIGの成果を積極的に発表することのなりました。
 JPMFはPMBOKを熱心に研究している部会もありますが、JPMFはP2Mの研究をしているグループがあります。これの成果を公表したいと考え、「価値を創造するPM」というタイトルで連載します。
 価値を創造するという遊び心を入れまして、毎回「価値を創り出す訓練」の意味を込めてクイズを冒頭に出します。末尾にはヒントを書きます。来月までに皆様方で論議して答えを見つけてください。この訓練はあなたの将来に大きな影響を与えるかもしれません。

次号 渡辺 貢成 PMS
 
「価値を創造するPM」(1)

1.はじめに
 中国製造業の台頭によって日本の製造系大企業とそれを支えてきた中小製造業者は大きなダメージを受けている。過去に日本の製造業の台頭で米国製造業は同様の体験をし、大きなダメージを受けてきた。そこで米国では1980年代にヒューレット・パッカードのヤング会長を委員長とする米国産業再生委員会が発足し、日本に対抗するためには品質で勝つことの必要性を認め、モノの品質で日本に勝つことはできないので、経営の品質で勝つことを決定した。それがマルコム・ボルトリッジ賞の創設である。米国はそれ以降新しい価値をつくる社会的体制を確立した。第一がグローバル化という仕組みをつくり、世界の金融市場を席巻する政策に転じた。次に画期的なのがベンチャー企業の台頭と、それを成功させるための仕組みつくり、ベンチャー・キャピタルやエンジェルの存在が企業家育成に貢献した。大企業はこれらベンチャーが成果をだすと正当な評価でこれを買い取り、発展させた。
 米国事例で重要なことは新しい価値をつくりと仕組みつくりで、新しい米国社会の発展に寄与したことである。物まね日本もこの米国の事例に習い新しい価値を創って対処しなければならない。価値を創るプロジェクトマネジメントはこのような発想の中で発足した。これがP2M構築の出発点である。

1.1失われた10年
 「失われた10年」という言葉は日本人にとって耳にたこができるくらい聞き飽きた言葉である。では失われた10年は終わったのかというと、多くの人にとって終わったという実感はない。
 「失われた10年」とは高度成長時代後の日本社会にとって、どのように変化したら、21世紀型の社会になるか模索している10年を意味している。では、21世紀型社会とはこれだという実感を得たのかというと、変わっていないとも言えるし、変わったとも言える。しかし、何がどのように変わったのか、このやりかたで進めば、21世紀に向かって日本は安泰だというようなものを得たとも思えない。
 現実を眺めてみると、政府の税収は45兆円に対し、80兆円以上使って景気を維持しこれを安泰と考えているが、安泰と考えるほうがおかしい。税収以上の予算は国民の財産を単に食いつぶしているに過ぎないから、現実は「失われつつある10年以上」というところが正しいのかもしれない。

 では「失われた10年」の間に何が求められていたか、改めて考え直すことにする。求められていたのは、高度成長期終焉後の社会、国家、企業、国民の価値観の変化である。どのような価値観が国民にとって好ましいのかを模索することではなかったのか。

1.2「高度成長期の価値観」と「高度成長後の価値観」の変化
(1)戦後から高度成長までの価値観
 戦後の荒廃からの立ち上げは
  @インフラの整備
  A農産物の増産
  B必需品の生産
  C住居の整備
から始まり、順次整備が完了し、国民が豊かになった。
この期間で二つの大きな結果をもたらした。

1)製造業の世界制覇
 日本の製造業は「ものまね」から出発し、「安かろう、悪かろう」であったが、次第に品質の高い製品を生み出すようになった。この結果日本の製造業の圧倒的強さが世界的に認められたということができる。これは日本企業の体質を強化した。

2)政府補助金の産業への影響と既得権益の増大
 国の規制と補助金は一方では産業発展に貢献し、規制で守られた産業はこの時期におおいに栄えた。規制と補助金という手段は、関連企業の競争力を強化することが目的であったが、現実は努力をしなくとも栄華を極められるという特権が得られるため、手段が目的化し、構造化され、既得権益者として社会に存在感を強めていった。しかし高度成長が終焉するとこられ企業の弱体化が顕著に現れた。銀行、農業、ゼネコンがこれに該当する。

3)高度成長期の価値観(大量生産時代の価値観)
 @大量生産産業における生産技術
   技術競争力、品質競争力、価格競争力
 A終身雇用、忠誠心、経験の尊重

(2)高度成長期終了後の価値観
1)バブル期の価値観
 バブル期は日本経済に大きなダメージを与えた。欲の皮の突っ張った経営者はこの機会に脱落した。国民も大きなダメージを受けた。しかし、考えを変えると面白いことを経験したといえる。
@にわか成金の気分を満喫
 国民が一時金持気分を満喫した。知らないうちに財産が膨らんできた。気分は金持である。金持も古くからの金持では味わえない、「にわか成金」という気分である。日本人は節約を旨とし、大過なく過ごし、定年後を大切に生きてきた。この価値観が吹っ飛んでしまった。
 日本人がワインを本格的に飲み始めたのはこの時期からである。サラリーマンのアフター5は赤提灯と相場が決まっていた。話題は上司の悪口か、会社への切々たる思いである。不思議なことにフランス・レストランやイタリアン・レストランでワインを飲むと、会話が高尚になり、芸術論に花が咲く。日本人が本来的にもつ文化に対する関心が高まったこと、同時に日本文化に対し再評価がなされたことはこの時期の収穫であった。
A欲とリスクは背中合わせ
 ビジネスにリスクはつきものであるという実感を得た。ビジネスにとって欲は冷静な思考を曇らせる効果があること、皆が欲にくらむと反対できない雰囲気が支配し、「いけいけどんどん」となることを実感した。ある意味では、人の儲けに遅れをとるまいという焦燥感がバブルを加速させた。従来の真面目人間に対する一つの反省時期であり、社会の変化に対して機敏に活動できる人間が出現し、富を勝ち得ていくという実感も体験した。その反面活動家が凋落すると社会のバッシングは厳しく、この転換期に活動できなかった真面目人間が経営者として幸運を掴み、その後の「失われた10年」を引き伸ばすのに貢献した。

2)バブル崩壊後の価値観
 バブル崩壊後、日本は再浮上に向けて、A.ハードランディング、B.中間、C.ソフトランディング、D.何もしないという4つのシナリオを書いて、日本の将来をシミュレーションした。シナリオAは従来からの価値観を一変し、グローバル化路線に向けた最短距離政策の実現といえる。ここでは「破壊と創造」という社会にとって大きな覚悟を必要とするものであるが、それは短期間の問題であり、最も早く復活するというものであった。しかし現実は日本人らしくシナリオDに近い路線で進行し、国民の個人資産を食べつくす政策が採られてきた。残念ながら、この政策は残り5年〜10年程度の寿命(破産)となった。
 この時期政府は新しい価値観を国民に与える発想を持っていなかった。多くの大企業は製造業以外への転換を図れず、モノつくりと技術から一歩も出ることができないでいる。しかし優れた企業ビジョンを持って実施した企業は優良企業として今日の繁栄を築いている。
 モノつくりで考えるならば、大量生産品は消費地で造るのが最も理にかなっている。10億の民を抱える中国が最適地であり、現に中国が世界の生産工場として君臨し始めた。中国の生産工場に対する日本の評価は安い労働力が中国の特徴のように理解しているが、これは誤りである。中国は世界で最先端の工場を建設し、最先端の生産技術を導入し、米国帰りのMBAを責任者としたマネジメント体制をつくり、過去の業務手法にこだわる日本の現場と違い最先端のITツールをカストマイズ(新しい手法をわざわざ古いやり方に置き換える手法)せず効率的に運営することで世界の製造業としての位置を確実にものにしている。この点を理解しないと対中国政策を誤ることになる。

 一方米国はどのように変化してきたかを考えてみる。堺屋太一氏が主張する知価革命が進んでいる。新しい価値を続々と創り上げている。新しい価値をつくる人々に対し、正しく評価し、大企業はベンチャーを正当な評価値で買収している。他方日本の大企業はベンチャーを育成する代わりに、技術やアイデアをパクることを当たり前のようにしている。アイデアを出せない人々が人のアイデアを横取りしても成功するはずはない。鶏をすぐ食べてしまうより、金の卵を産むまでベンチャーに飼育させ、金の卵を産む鶏を採算ベースで買ったほうが賢明である。

 この項の結論であるが、モノをつくるという発想から、新しい価値を創るという発想に転換できないと、これからの進展は乏しい。価値を創るPMはこの日本のおかれた現状を直視し、現状打開のために提案された。これがP2Mである。本研究は企業競争力を強化するための価値創出とは何かについて行ったものである。