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まい ぷろじぇくと(8) 静かなプロジェクト

2005年9月22日の朝、チャンネルをCNNに切り替えたところ乗客乗員146名のエアバスA320がトラブルのため緊急着陸すべくロサンゼルス上空を旋回飛行中のTV映像が目に飛び込んできました。
 以前にもCNNに切り替えたとたんに、マンハッタンのシンボルWTCツインタワーの1本に航空機が激突して火災になった場面に遭遇しました。大変なことになったと思う間もなく、もう一機が他の1本に向けてまともに突っ込んできたではありませんか。これには度肝を抜かれ、即座に「テロだ!」と気づきました。忘れもしない米国同時多発テロの日、2001年9月11日のことです。

 今回の緊急着陸は、ニューヨークのケネディ国際空港に向けてロサンゼルス郊外のバーバンクというところを離陸した後、前輪の格納が正常でないことに操縦士が気づき、結局は機長の判断でニューヨーク行きをとりやめて近くのロサンゼルス国際空港に緊急着陸することになったとか。離陸から緊急着陸までの約3時間、急降下や急旋回をおこなうことで加わる物理的な力によって真横を向いた前輪の調整を試みたが失敗。
緊急着陸時の燃料漏れによる爆発火災を極力防ぐのと機体を軽くするために、ロサンゼルス上空で旋回飛行を続けて燃料消費と着陸のタイミングをはかっているところのライブ映像を、偶然にもCNNにチャンネルを合わせた私が目にしたという次第です。

 前輪の車軸は、なぜか滑降方向に対して90度近く位相がずれています。このままの状態では着地時滑走に大きな抵抗となって機体が前につんのめるおそれ、といって機首を上げすぎればしりもちをつく、いずれにしても機体の甚大な損傷はさけられない。ということは主輪を支点にして限られた範囲の角度に姿勢を保った状態での着地と滑走以外に機体の安全はない。このようなきわめてむずかしい状況にあることはシロウトの私にも容易に理解できました。
 でもTVの映像からの感じでは、コックピットと地上とのやりとりはまったく冷静そのもの、見ている私も緊迫感はあるもののマンハッタンの同時多発テロに接した時のような、打つ手がまったく見えない絶望感のようなものはありませんでした。このような沈着冷静な雰囲気が、最新技術をつくした機体制御機能とその操縦をつかさどるパイロットの経験や勘それに度胸がうまくかみ合って無事に着陸するにちがいない、そう思わせてくれたからです。
 これしかないというイメージどおりの見事な緊急着陸でした。思わず大きな拍手をおくってしまいました。月並みな表現ですが、本当に無事でよかったと思いました。
 でも、無事を願いながらもこれとは違った形の結果も少しばかり期待していた、こんな自分であったことを否定できません。常日頃TVから溢れ出る世界各地からの生々しい映像見慣れたことで、自分と関わりがなければより刺激の強い映像を無意識の内に求めていた自分が、寸時とはいえそこにあったのです。
 私たちの日常感覚は、いつものように食事をし、クルマが走り、航空機が発着し、水が得られ、安全が確保される、こんな生活環境をあたりまえに思っています。そして、そのあたりまえを確保し維持するために費やされる私たちの目に触れにくい仕事やサービス、時間、コストといったものをつい見失いがちです。着陸待機の映像を見ながら、寸時とはいえそんな自分であったことに少しばかり自己嫌悪みたいなものを覚えました。「静かなプロジェクトを良しとするお前のプロジェクトマネジメント観は、いったいどこへ消し飛んでしまったのだ」ということです。

 「静かなプロジェクトを良しとする」、私のプロジェクトマネジメント観を形作る基本の一つです。往々にして、騒がしくて一見活気がありそうなプロジェクトのなかに、基本をはずし、事前にやるべきことを手抜きしたことに起因するトラブル含みのマネジメントを垣間見ることがあります。そして意外というか当然というか、周囲の見る目はそんなプロジェクトを「よくやっている」と評価しがちです。事前に飲んでおけば済むものを、危険な目にあった直後にあわてて飲んで「ファイトー! いっぱーつ!」と叫ぶリポビタンDのCMを見て「効きそう!」と思うようなものです。
 プロジェクトは静かにスタートして静かに終わる、このような状況がプロジェクトの全期間を通じて維持できるならば、そのプロジェクトはあたりまえに、つまりは成功裏に収束することはまちがいないところです。「静かなプロジェクト」に向けての布石が手抜かりなく要所要所に打たれているならば、不可抗力的な混乱要因が介入しない限り、静かに終わらないはずがないからです。

 この緊急着陸の場面だけを切り取ってみるならば、とにもかくにも大成功のプロジェクト、まさに「静かなプロジェクト」でした。安全無事な着陸を目指してのコックピットと地上の関係者、乗客と客室乗務員、その他考え得るすべての関わりの中で、持てる知力の総力をかたむけての対策が講じられたはずです。そして機長の最終的な意思決定に基づく行動とその結果が、何事もなかったように我々の前に示されたということなのでしょう。
 前輪の状態が正常であったならば、いつも通りのフライトがあたりまえに行われ、とくに話題をよぶことでもなかったはずです。ということは緊急着陸の成功は前輪の不具合という失敗的状況から導き出された結果の一つであり、これさえなければあたりまえの結果にすぎなかったといえるものです。

 今回の緊急着陸はNHK放映「プロジェクトX」の題材になりそうなプロジェクトです。同番組には「プロジェクト×(バツ)」を「プロジェクトX」にまで昇華させるストーリーがドラマティックに展開される題材もかなりみられます。私もその一人ですが、なんだかんだといいながらも、「めでたしめでたし」で終わるのを見るのは気分のよいものです。
 したがって、今回の緊急着陸は前輪の異常をきたした機体整備には「喝!」、機長の決断から無事着陸までは「あっぱれ!」といったところでしょうか。しかし、一番望ましいのは「喝!」でも「あっぱれ!」でもない「あたりまえ」ということなのでしょうね。

次回も身近な まい ぷろじぇくと について考えます。ご期待ください。