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まい ぷろじぇくと(7) これでもいいんだ

 今回は物事に対する考え方や行動の成長のプロセスについて、自分の経験を基に考えてみました。MCMM(My Capability Maturity Model)とでもいいましょうか。

 私は機械設計にたずさわるエンジニアとしてスタートし、プロジェクト関連の仕事を最後に会社員現役を退きました。この三十数年間をいま振り返ってみると、大別して3段階のステップを経て一人前になってきたように思えます。順序としては先ず「こうなっているのか」、次いで「こうあるべきだ」、最後に「これでもいいんだ」というステップです。
 ステップ1は、自分の仕事の対象となる機械や装置がどんなもので、どんな仕組みになっているのかを知ることでした。そのために当時の技術先進国のドイツ(当時は西ドイツ)や米国の文献などを参考にしながら人並みに勉強しました。『STAHL UND EISEN』という独誌や『AIRON AND STEEL ENGINEER』という米誌は、さしずめバイブルのような存在で、辞書と首っ引きで読んだり、写真からその機械の中身を想定しては図面にしたりと、「こうなっているのか」を知るための時期を過ごしました。さしずめシロウトの一所懸命といったところでしょうか。
 「こうなっているのか」がわかってくるにつれてなにか一人前になったような気がして、この機械や装置は「こうあるべきだ」という理想を追うような仕事振りになってきました。これがステップ2です。
 こうなると自分もいっぱしのエンジニアと錯覚?しているものだから「技術者としての良心が許さない」とか「コストを気にしてイイ仕事ができるか」などと一人前の口をきいて、「ああせねばならない」「こうでなくてはならない」を積み重ねてはとにかく立派なものをデザインしました。この段階では自分の拠りどころとした「技術者としての良心」(今にして思えば独善的ともいえる)を満たすことはできたものの、営業部門の人たちからすればコスト面でお客さんに喜んでいただける代物ではなかったようです。いわば「中途半端やなー」といったレベルであったに違いありません。私の担当する仕事は製造設備を計画し設計することなので、出来上がった設備が割高だとそれが製品コストに反映して設備投資の経済性を低下させることになってしまいます。いくら立派な設備でもこれでは利益を出しにくいということです。
 しかし、なにはともあれ「こうあるべきだ」を追求したおかげで私の専門知識は向上しました。機械エンジニアだから機械だけ知っていれば・・・ということではなく、関連技術領域の電気、制御、冶金、そして設備投資の経済性にまで芋ずる式に知識を求めて行ったのもこの時期でした。
 営業担当者と同行してお客さんへのテクニカルプレゼンテーションの経験も積み重なり、すこしずつビジネスの感覚が身につき始めました。これにつれて、すべてに「こうあるべきだ」に疑問を持ちはじめました。安全操業を維持でき、本来目的とする機能・性能さえ過不足なく確実に満たしているならば、「こうあるべきだ」に「これでもいいんだ」の部分があってもいいのではないか、こう思い始めたのです。お客さんに対して「ここはこうあるべきです。しかし、ここはこれでもいいのです。その理由はこうです。」というようなメリハリの利いた説明こそがお客さんが我々に期待しているサービスではないのか、と思いはじめたのです。これがステップ3への入り口です。
 ここでいう「これでもいいんだ」が、「一歩手前で見切りをつける」「要領よく手をぬこう」といった意味ではないことをご理解いただけると思います。 VA(Value Analysis)、VE(Value Engineering)という手法に代表されるところの本質的な価値の見極めと同じ意味合いの「これでもいいんだ」であり、いわゆるプロフェッショナル・レベルのものです。

 私もなんとかこのステップにたどり着いたのですが、ここにいたる過程で、お客さんから多くのことを学びました。その中から一つを選ぶとすれば、それはお客さん側のそのプロジェクトの成功へ向けての熱意、売り手との真摯な対応姿勢、これが「プロジェクト成功のカギ」ということです。お客さんの熱意は売り手をその気にさせます。
 私が直接かかわったプロジェクトの例で恐縮ですが、あるオーナー企業のお客さんの例をあげます。プロポーザル段階の交渉、契約へ向けた大詰めの打ち合わせ、詳細な製作仕様決定の打ち合わせの席に、社長、専務、プロジェクトマネジャーの部長、このお三方は毎回かならず出席されました。すべてが即断即決、疑問点があると会議の席から製造現場に直接電話して、作業の現状や今後の要望を経営者自身がしっかり把握してそれを会議の場に提示されました。無借金経営で常時数百億円の手元流動資金を保有する会社とはいえ、数十億円の設備投資は会社の命運をかけたプロジェクトです。生きたカネは思いきり使うが死にガネは一円も使わないといった経営者としてのメリハリ、そして豊富な手元流動資金の強みを活かして多額の前払い金を提案しキャッシュフロー改善のメリットを売り手に与えた上での強烈な価格交渉、これらを通じWin-Win ベースの優れた経営感覚といったようなものを直接に肌で感じさせていただきました。当然「ここはこうあるべき。しかし、ここはこれでもいいのだ。その理由は。」といった議論が中心になりました。いうまでもなくこのプロジェクトは大成功に終わりました。お客さんは満足し売り手も適正な利益を確保させていただいたからです。

 私のプロジェクトマネジメント論のコンセプトである「顧客満足と売り手の収益確保の両立」は、このような「これでもいいんだ」をさら進める過程を通じて育まれてきたものです。「こうあるべきだ」を通じてかなり大企業病に冒されていた私のエンジニアとしてのセンスは、ここにいたってやっと一皮剥けて洗練されたといえます。そしてすべてがスリムになり、技術と価格の両面で「お客さんによろこんでいただける商品」に近づいたのを自分自身で感じるようになりました。やっと一人前になれたかなといったところです。

 ステップ1からステップ2に進むのは比較的簡単でしょう。勤勉に貪欲に前へ突き進めばやがて到達できるはず。しかしステップ2からステップ3に脱皮するには、今までの自分の考え方や経験を否定してかからねばならない部分があります。今まで「こうあるべきだ」と信じ思い込んでいた部分を、その外側から的確に評価し取捨選択できるクールさと柔軟さを身につける必要があるからです。
 一介の機械エンジニアであった私でさえも、長い年月のあいだにこのようなステップを踏める機会を与えられてきました。多くの人、多くの企業、多くの産業がこのような思考・行動の成長過程を経て今日にいたっているはずです。
 でも、私もその一人ですが、すべての人がまだ途中のステップにあることはたしかです。どこまで行っても次々と追わねばならないステップが現れて、終りが見えそうにないからです。もうこのあたりでいいか、と思ったところがその人の終着点になるのでしょうか。

 次回も身近な まい ぷろじぇくと について考えます。ご期待ください。