PMプロの知恵コーナー
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PMプロフェッショナルへの歩み―21

向後 忠明 [プロフィール] :8月号

 SLT (スリランカテレコム)では、社内における各種問題の状況観察からこの会社の課題を見つけその対策を行ってきました。この基本はプロジェクトマネジャとして必要な曖昧な各種要件等を含んだ制約への対応を既存のやり方に固執せず、自分を取り巻く環境を素早く学び、柔軟に適応し、新たな知見を実践に応用する“ラーニングアジリティー”という能力であり、これまでの経験と実践から自然に身に着いたのだと思う。この能力は課題解決に必要なあらゆる場面での業務への適用に活用できるのではないかと思っています。
 さて、このような活動も2年半経ち、スリランカ政府との契約もあと1年を残すところになりました。赴任当初のCEOは筆者にあまり語ることもなく更迭され、またその後引き継いだCEOも1年もたたず突然変わるということになりました。前回のCEO の更迭も今回の変更もその理由はあまりわかりませんでした。多分、前CEO の更迭はネットワーク回線の増強にかかわること、そして今回は国際回線収入の減少によることなどに関連したものと思われます。また、大統領選挙も近くそれに関連した政治的確執からSLTトップへの圧力も強くなり、今回のCEOもこのような政局がらみの問題に嫌気がさし、海外事業での不慣れもあり突然の辞任となったものと想像されます。
 そして、結局その入れ替わりに3人目の新CEO が赴任してきました。
 民営化事業は当然のごとく政局に大きく関係することも多く、筆者のような民間から移籍した人間にはわからないことが多いです。
 筆者は、総務、人事、労務そして調達といったSLT内政の責任者として社内の鎮静化に骨を折ってきましたが、立場上政治の動きを無視することはできません。特にここ3~4か月は国会解散に向かって政府内の動きも活発になり、当方の政府への要求、例えば料金値上げや国際通信の独占延長の申請なども先延ばしになったりして、このような初期の契約上の問題も浮き彫りになっていたようです。
 前任のCEOも新たなCEO もこのような問題に悩んでいたようでしたが、スリランカ内戦にかかわる事態は空港や港湾へのゲリラ攻撃といった事態も発生し、そして政治の空白を狙った地方での攻撃も頻繁になっていました。そのような中、筆者は何度も日本大使館に呼ばれ日本商工会議所と共同でセキュリティーの強化、ゲリラとの平和交渉への要望書を大統領に提出するなどの活動に参加していました。
 このような状況の中、3か月程たってから選挙が行われ、与党と野党の議席数が逆転するようなことが起きました。新聞などの情報によると、この理由は国民の間で現政権では経済・雇用及びテロリスト問題について大きな変化が期待できないこと、18年以上続いている内戦に嫌気を指していること等が大きな理由と考えられているようでした。
 この結果を歓迎してか反政府側(ゲリラ側)から一方的な停戦が発表され、18年間続いていた紛争も少し静かになるだろうとの報道もされていました。
 一方のSLT内の動きはこの政治的な動きとは関係なく組合連合ともボーナス及び来年のベースアップ及び各種労使間の問題の話し合いも大きな紛糾もなく終わることができていました。このようにこれまでの筆者の担当である内政問題は静かであり平穏な毎日となっていました。
 もちろん、労務関係以外の筆者の業務としての企業品質の向上のためのISO基準に従った作業、そして前任の建設関連プロジェクトの助援、新たな人事統括部長の選出、運用部長及び建設部長の統括部長への昇格、調達に関する手順書及び在庫システムの完了、テンダーシステムの定着等々各種の業務も関係者の前向きな協力により順調に進んでいました。
 このようにある程度の内政的基盤も落ち着いてきて、ここでの仕事も3年以上になるのでそろそろ日本に帰る時期と思い新しいCEOにその旨を伝えました。
 ただし、シンガポールに逃していた暴漢に襲われた人事統括部長の件は気になりますので、これまでのいきさつを新しいCEOによく説明し、最後まで面倒見てもらうことを強くお願いしました。
 このような事情も含め、筆者と初期の初代CEOとの約束(主に労働組合問題や社員との融和の解決)も解消し、またセキュリティーに関してもゲリラと政府との融和の情報もあることからCEOの承諾を得ることができました。
 この話を聞いたSLTの社員がびっくりしたようで慰留してきましたが、筆者の希望もあり、強い意志を伝えました。
 そして帰国直前になりSLT社員たちが私のために送別会を開催したいとの知らせがあり、多くのSLT社員や日本人社員も集まり、中には筆者に反目していた社員たちも参加し多くの人から感謝の言葉をいただきました。
 このように社員から感謝の言葉を得ることができたのは“何故”と考えました。このスリランカでの仕事はこれまでの筆者の専門であるプロジェクトマネジメント知識すなわち、マネジメントの公式な開始時点で具体的に確定している要件や目標の達成というより、課題解決型プロジェクトで、それらの目的・目標が具体的に確定していない対象をいかにして周りの状況をみてその課題解決の方法を考えるといったことであり、前月号で説明した方法と同じ手法でした。
 勿論それだけではなく、部下から信頼を置けるために必要なリーダシップのある行動、効果的関係調整力のある行動、問題発生時での行動、的確なコミュニケーション、適切なマネジメント、そして行動における自己規律といったプロマネに必要な実践力といったものが効果的に働いたと思います。
 これまでの科学プラントの建設、中央銀行のシステムの構築、JICAのk電気通信調査団コンサル事業、インドネシアの通信事業建設のトラブルシューティングも課題解決を主眼としたプロジェクトであり、そして今回のSLTの事業などもこれまでのプロジェクトとは異なった企業の内政業務に関連する複数の問題を解決する仕事でしたが、プロジェクトマネジメントの応用も多岐にわたり、この実践経験を通して多くの種類の仕事に応用できることもわかり、さらなるPMプロフェショナルへの歩みに自信がつきました。
 さて、このようなことを考えながら日本に久しぶりに帰国しましたが、よくよく考えてみると筆者の所属していた国際事業を目的としたNI社が解体されてなくなっていることに気が付きました。
 休暇を終えて筆者の所属はどこかわからず、最初にSLTに筆者を招請したCEOも他社の常務として移籍し、その前のインドネシアのN社側の投資家代表の役員もN社西の社長となり、尋ねる人がいなくなり路頭に迷うことになりました。
 休暇を終えて何はともあれSLTへの派遣を要請したNコム社に行きました。そこでNコム社の常務と企画部長に面談することになり当面企画部で仕事をするようにと指示され、ここで当時進行中のISO規格に従った社内の品質保証関係の仕事を手伝ってほしいとの話があり、暫らくこの仕事をすることになりました。
 そんな時、SLTのCEOからの連絡があり、シンガポールに逃避させていた人事統括部長が帰国後すぐに殺されたとの情報を聞くことになり、あれほど強くCEOにお願いしていたにも関わらずと腹立たしくなりました。犯人が見つかって逮捕されているにもかかわらずこのようなことが起きたのですが、現地では殺人契約に基づき完了するまで追い続けるといった習慣があるようです。その上司で直接かかわり大きな役割をした筆者への影響もあることを考え、それからはスリランカへ行くことがリスクとなり一切いかなくなりました。
 このようなことを考え、これからはNコム社ではこれまでN社に関連する海外案件をかなりの程度うまく処理してきたこともあり、その自負もあり常務とも話をしてこれまでのまとめとしてNコム社員の教育用のプロジェクトマネジメントの教科書の編纂をすることに力を入れました。
 その本が「ワンランク上のプロジェクトマネジャを目指して」電気通信協会出版であり、筆者のこれまでのプロジェクトマネジメント実践からの集大成としてまとめたものでした。
 この本は筆者にとっても今後の業務においての座右の書となりかなり役に立ちました。
 またこの頃IT業界を席巻したPMBOK®のように外国のPMI®がまとめたプロジェクトマネジメントにかかわるガイドブックが発刊され多くのIT関連会社が競ってその資格を取るといったことが見受けられ、やっとIT業界もシステム開発での仕事の進め方に標準的マネジメント手法が役に立つことがわかってきた様子でした。
 このような日本のIT業界の背景もあり、国も今後のIT業界の現状を鑑み、国のITスキル標準を作成すべく経済産業省が独立行政法人情報推進機構(IPA)を設立し、各社よりプロジェクトマネジメント経験者を募ることになり、この人たちを中心にスキル標準を国として作ることになったようです。
 ここまでが日本に帰ってからのいきさつでしたが、この続きは来月号はとします。

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