PMプロの知恵コーナー
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PMプロフェッショナルへの歩み―15

向後 忠明 [プロフィール] :2月号

 インドネシアでのトラブル対応を終えて帰国し、本来の仕事の、ISO9001にかかわる各社からのコンサル業務を続けることになりました。
 そのような中、N社関西からコンサルの仕事が舞い込みました。その仕事はかなり大きなものだったのでチームを組み、提案書をもって大阪の関西支社に出張しました。そして、ISO9001の説明と今後の作業の進め方についてのプレゼンテーションを行いました。
 このプレゼンが終わったころになって、関西支社の社員から筆者に「インドネシアから電話です」との連絡が入り、電話口に出たら「すぐにジャカルタに来てほしい」とのことでした。急きょ東京に戻り、N社の日比谷本社に呼ばれました。そこで、担当者からすぐにインドネシアに行ってほしいと言われ「インドネシアに出かける際に見ておく必要のある書類です。」と書類が渡されました。
 その内容は以下のようなものでした。
  「この事業会社の経営の在り方や現在の問題の解決策に関して、経営者としてどうするかそして会社経営に当たって大事なことは何か?」。
 この話はかなり大げさな内容であると思いながら、再度インドネシアに出かけることになりました。
 インドネシアに着くとすぐにN社を含むオーストラリア、インドネシアの投資家等が待つ部屋に連れていかれ、面接試験のようにその人たちの前の椅子に座り、以前筆者が提出した報告書についての質疑応答がなされました。
 特にオーストラリア側の投資家は「貴殿がまとめた報告書の対策案の実行が急務である」とのことで、「このまま放置すると今後の事業運営に問題が起きるので貴殿の報告書に従って対処願いたい」とのことでした。
 この面接の後はそのまま部屋の外で待っているようにとのことで、それから3時間ほどして投資家代表の一人であるN社役員が面接の結果を報告に来ました。それによると:
  1. ① 本事業の代表であるインドネシア側のCEOの更迭と新CEOの選出。
  2. ② N社側の建設・企画本部長とオーストラリア側の PMr(プログラムマネジャ)の更迭。
この話を聞いて筆者は事前に提出してあった報告書が本事業の前進に役立ったと安心し、これで日本でやり残した仕事を続けられると帰国の準備をしていました。
そのように帰国の準備をしていた時、N社の役員が筆者のところにきてちょっと待てと言って、君に新たな戦略建設本部長になってもらうことで決まっているので帰国せずにこの会社にいて、君に今後の対応してもらいたいとのことでした。
 この大胆な役員の更迭の理由は設備の完成が遅れれば遅れるほど事業自体に影響が大きくなるばかりでなく、かつ銀行との関係でも問題が大きくなることを心配してのことと思います。そのため、この事業会社の重要な役割である設備建設本部長とその配下のオーストラリア人のPMの更迭を速めたことのようでした。
 その結果、この株主達は新しいCEOの体制で事業運営を進めることに決定したようでした。このような事情から筆者はそのままインドネシアにこの新しい体制の戦略建設本部長として、この会社のゴーイングコンサーン(企業の存続)の中心本部を担うことになり、早速本部内体制の刷新を開始しました。
 まず、前月号に示した幹事会(株主会)に出した調査報告書に示される①から⑦の問題の具体的対策を本部の各担当部長(調達、設計、設備建設、コントロール)に下記のように行動するように説明した。
  1. ① これまでの本部長のリーダシップの欠如の対策として、これまでの戦略建設本部の組織が屋上屋した組織であったので、広範囲にわたる現場の管理をオーストラリア人のPMrを現場の調整役とし、設備建設本部長が直接本設備建設にかかわる責任を持ち指揮監督する。すなわち本部長がPMrの代わりに直接各部を管理する本設備建設の統括プロジェクトマネジャになると宣言しました。
  2. ② 進捗遅れはオーストラリア側のコントロール部門のスケジュール管理手法が細かすぎるコンピュータ管理であり,そのアウトプットが各部門も現場も含め十分に把握ができていなかったことが要因である。そこで、プログレス進捗(Sカーブ)を大きな紙に示し、各現場事務所も含め各部門の壁に貼り付け誰でもわかるように進捗の“見える化”を図った。
  3. ③ 建設のキーとなるオーストラリア人の各現場を統括するPMrを現場調整役(中部ジャワ全域の各現場現場監督の調整と設計資料の各現場及び関係部門への適切な配布の確認そして適切なタイミングで各現場でのヒアリング)とし、本部とのコミュニケーションギャップの解消を図った。
  4. ④ 本部内のオーストラリア人が部門長である部門に国際標準のISO 9001の採用と本部内への普及を目的に異なった国籍からなる各部の業務遂行方法や考え方の違いを統一するためのより良い業務品質の向上を図った。

 以上のような対策を早急に実行することにより業務改善がなされ、停滞していたプロジェクト進捗もかなり改善することになった。
 特にプログレスのみえる化は本部員たちも競って遅れないように毎日見て「どこの部署が遅れているとか、我々は予定通り」とか話しあうようになりその結果遅れている現場もみるみるうちに回復していくようになりました。

 この結果を見ていくと本部長を中心としたプロジェクト体制としたことがこれまでの本部方式での下からの報告によるマネジメントから本部長がプロジェクトマネジャの実践力すなわち、
  1. ① 適切な手段による効果的かつ適切な意思疎通
  2. ② チームの結集力、生産性とモチベ―ションを高める
  3. ③ プロジェクトの目的達成思考のための適切なモニタリングとコントロール
  4. ④ そして、本部長の強いリーダシップと異文化コミュニケ―ション能力
等々によりプロジェクトの進捗が目に見えて以前に比較し前進していくのを見て、新しく任命された本部長を信頼してくれ本部員全体が前向きに動いてくれたのだと思いました。
 筆者自身はこれまでPMプロフェショナルとなるべくその能力向上を心がけて多くのプロジェクトに従事してきました。このような大きな組織の役員としてPM手法を使ってこの事業に貢献できたことは筆者にとっても大きな挑戦でもあり良い経験になりました。

 さてこのように設備建設も順調に進み、株主や銀行も満足のようであり、以前のような本部間のいざこざもなくなり、その後は取締役会でもクレームは出てこなくなりました。
 また、この設備建設進捗は他の同じような業務形態で設備建設を行っている他のエリアのPFI事業会社(スマトラ、西ジャワ、東インドネシア、カリマンタン)の進捗具合との比較でもその進捗は見劣りするものでないものとなりました。
 その結果、わが社の進捗はこのPFI事業会社の中で一番となり現地の新聞でマネジメントの優秀さが報道され、政府関係の次官も認めるようになりました。

 このように我々の会社は順風満帆の状態が続いていましたが、1997年夏ごろを起点としたいわゆるタイ国起点金融通貨危機がアジア、ロシア、中南米と広がり世界的経済危機に発展しました。
 その結果はインドネシアにも影響が降り注ぎ、インドネシアルピアも安くなり、電話料金にも影響が出るといった問題で我々の事業の採算にも大きく影響があるといった心配が出てきました。
 “一難去ってまた一難とはこのことを言います”

 1998年に入ると急激にルピアが下落し、さらに大統領によるIMF勧告を無視した国家予算の発表がその傾向に拍車をかけ一時はかなりのルピア安となったが結局は10,500ルピア/ドルに落ち着きました。
 しかし、わが社の為替ヘッジは3,000ルピア/ドルであり、いずれにしても現状では企業努力だけではどうしようもない状況となってしまいました。
 しかし、何とか工事業者や協力業者そして金融機関との交渉もうまくいき、そのまま設備建設は続行することでステークホルダーとの話は終わることができました。

 しかし、この通貨危機は我々の事業にかかわらずインドネシア国民の生活にも大きく影響するようになり、全国各地で政治改革やデモの集会が新聞に載るようになりました。

 続きは来月とします。

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