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老いる意味 うつ、勇気、夢
(森村 誠一著、中公新書ラクレ、2021年6月25日発行、6版、237ページ、840円+税)
デニマルさん : 11月号
今回紹介する本は、筆者が傘寿を過ぎて肉体的・精神的な状況に関係して選んだものである。10年以上前の後期高齢者になった頃から何となく「老いとは何か」に関心が向き、関係する本を読むようになった。現在手元に10冊以上の関連書籍がある。その中の一冊が今回紹介するものであるが、その前にそれらの書籍から得た情報を概括しておいた方が全体を俯瞰できると思いチョット纏めてみました。手元の書籍を大別すると、①人間を含めた生物の老化は何故起きるのか(生物の宿命的観点)と、②老化にどう対処するのか(老人としての対処法的観点)となるのでしょうか。参考までに大別した内容の本を2冊ずつご紹介しましょう。①では、『老いなき世界』(デビット・シンクレア&マッシュ・ラブラント著、東洋経済新報社、2020年11月)と『生物はなぜ死ぬのか』(小林武彦著、講談社現在新書、2022年4月)。②では『シニアエコノミー』(大前研一著、小学館新書、2023年10月)と『老いも孤独も悪くない』(斎藤茂太著、青萌堂、2008年2月)がある。これらの書籍表題からでは内容が分かりづらいので、夫々代表作の概要も少し列記して置きましょう。①の『老いなき世界』は、老化を病気として捉え、治療可能であるという新しい視点で書いた一冊。著者はハーバード大学の教授で、老化のメカニズムやそれを制御する方法について科学的な視点から解説している。ポイントは老化が自然現象であるが、治療可能な病気と位置づけている点でしょうか。②の『シニアエコノミー:「老後不安」を乗り越える』では、日本は超高齢社会や低欲望社会という課題を解決する方策を模索し、世界のベンチマーク(指標)となるべきと述べている。この本から日本は世界一の超高齢社会であると同時に、単身(1人暮らし)世帯が全体の4割に達する「ソロ社会」という課題先進国でもある。この課題に対する問題解決策を世界に先駆けて提示するための政策と生き方について書かれてある。上記の読書をしつつも、筆者は傘寿を過ぎた頃から肉体的衰えを実感すると同時に、病院通いが多くなった。その頃肝臓ガンを患い入院・手術をして回復したが、精神的にも将来に対する不安が多くなった様に感じる。筆者は以前から老後は「PPK(ピンピン・コロリ)」をモットーとして、心身共に健全で可能な限り社会貢献を果たしたいと思っている。そのPPKに関連する書籍も3冊手元にある。現在もそのモットーは変わらずにあるが、その想いを継続的に維持する方策を模索中である。そんな現況で本書を再読してご紹介することにした。本書の概要は後述しますが、平均寿命を過ぎた老人は少なからず病気と健康に向き合っていかざるを得ません。然らば「どうするか」が問題で、その対処策の参考事例が本書でしょうか。因みに、このコーナーで過去に類似書籍を取り上げている。『病気にならない生き方』(新谷弘美著、2006年6月号)、『老いの品格』(和田秀樹著、2022年12月号)、『九十歳、何がめでたい』(佐藤愛子著、2024年9月号)等6冊ある。何らかの老後のご参考になれば幸いです。
さて、著者をご紹介します。1933年1月埼玉県熊谷市生れ。青山学院大学卒業。10年に及ぶホテルマン生活を経て作家となる。69年『高層の死角』で江戸川乱歩賞、73年『腐食の構造』で日本推理作家協会賞、2011年『悪道』で吉川英治文学賞を受賞。推理小説、現代小説、ノンフィクションまで幅広く活躍する文壇を代表する作家。『人間の証明』『野生の証明』『悪魔の飽食』等数多くのミリオンセラー作品がある。またサスペンスドラマ「棟居刑事シリーズ」「牛尾刑事シリーズ」が有名。俳句と写真を融合した「写真俳句」を提唱し、松尾芭蕉の蕉跡を追ったDVD「謎の奥の細道をたどる」等がある。2023年7月死去(享年90歳)
老いる意味(その1) 老人性うつ病と認知症
著者が本書を書き上げたのが88歳であるが、それ以前に老人性うつ病と認知症の疑いもあって闘病生活を乗り越えての作品である。だから帯文には「人間老いれば、病気もするし苦悩する」と紹介されている。闘病中は、作家だから言葉や文章が命であるが、その言葉が思い出せず文章が書けない状況が続いた。その忘れた言葉を思い出すために、写経をする様に新聞折り込みや包装紙の裏に言葉や単語を書き続け、忘れない様に家の壁に貼り付けて脳へ戻す努力を必死にやったと書いている。壁に貼られた写真も掲載されてある。こうした闘病は長くて辛く、食欲も失せて体重が40キロを切ったという。うつ病の克服には3年掛かったとも書かれてある。この厳しい闘病克服を支えたのは、主治医先生との意見交流があったからだと書いている。著者はその3年間を振り返って、人生は天気のようなものであると言い、3年間の苦しんだ闘病生活で光を求めて作家としての言葉を取り戻して本書が出来上がった。これは著者だけなく同じ様に闘病している方々へ参考になればと結んでいる。
老いる意味(その2) 老いは第二の始発駅
本書での“老いる意味”は、健康に寄り添い、死に寄り添い、明日に向かって夢を見ると書いている。文中に「過去に目を向ければ、今の自分がいちばん年老いているが、未来に目を向ければ、今の自分がいちばん若い」として、現在の人生百年時代においての老後は人生の終着駅ではないと断言している。だから「老いは第二の始発駅」で、ゼロからの再出発である覚悟が必要であると説く。人間は成長する過程で色々な体験をしつつ年齢を重ねていく。若い時代の経験は成長の糧となって「生きる希望や夢」となっている。時間と共に壮年から老人となった経験は「生きる不安と絶望」なのであろうか。確かに肉体的には老化に向かって下降するが、新たな体験は何ら変わらない「未知との遭遇」である筈である。しかし、肉体的老化によって精神的老化を招き「未来に対する希望が不安に変化」してしまう。著者は、老いても「未来の可能性は無限にある」と捉えるべきであると書いている。その具体的な方策も闘病生活の苦しい体験から書いている。この点の更なる詳細は、本書をお読み頂きたいと思います。筆者は冒頭に「老いとは何か」に関心があるとの問題意識を書きました。本書を読んで大いに参考になった点も多く、先に述べたPPKのモットーの再確認も増した様に思います。老いたから何かをするのではなく、年齢に関係なくやるべき事はやり遂げる。本書で述べられた「老いる意味」は、まさに“生き長らえる”ではないかと感じた次第です。
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