PMプロの知恵コーナー
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PMプロフェッショナルへの歩みー11

向後 忠明 [プロフィール] :10月号

 前月号で説明した金融システムプロジェクトを完了した1990年代はシステム開発を主業とするIT企業にプロジェクトマネジメントという概念があまりなかったような気がします。
 先にも述べたように筆者はこれまで石油化学プラントのプロジェクトを手掛けてきました。そして、まったく異業種である情報・電気通信系の会社に突然出向を命じられ、技術的に未経験かつ未知の分野のプロジェクトをPMとして仕事を与えられました。しかし、失敗もせずに何とか与えられた職務を成功裏に完了することができました。
 ここでその要因を考えてみると出向前の会社の研修と経験から学んだプロジェクトマネジメント手順やエンジニアリング手法そしてラショナル思考プロセスに基づくEffect Management(EM法)だと思っています。
 EM法についてはすでに「PMプロフェショナルへの歩みー5」で詳述しているので詳細はこちらを見てください。この手法は多くのシステム開発またはコンサルプロジェクトにおいて非常に役立つ手法であり、不確実性を伴う不明確な顧客要求を人間の創意工夫、知恵、判断力と創造的なミッションを顧客とのチーム活動でその不確実性を紐解き、具体的に要求仕様を明確にすることであり、今ではこれをアジャイル的アプローチと称し、多くのプロジェクトで採用されている。
 一方のエンジニアリング手法とは:
 プロジェクトに与えられた諸目的に対して各分野にわたる組織、技術そして人間の知恵を結集・統合し、プロジェクトの各フェーズでの業務を最適に実現させるための一連の活動です。すなわち、自社のコアー技術にこだわらず、それ以外の技術や人間の知恵を組み合わせて、求められる要求に柔軟に対応し、ソリューションを可能にすることのできる複合適用手法です。
 そして、これに明確になったプロジェクト要求に従い必要なりリソース(人、モノ、金)をプロジェクトに求める要求に対して適切に配置し、プロジェクトに潜む問題を解決しながらその最終目的を予定通りに達するマネジメントをプロジェクトマネジメントという。
 よってプロジェクトマネジメントとエンジニアリング手法は表裏一体であり、この双方の手法の一方が欠けても真のPMとは言えません。
 よって、これから多様なプロジェクトをさばけるようなプロフェショナルPMになるにはPMBOK®のプロジェクトマネジメントガイドの手順だけではなくEM法やエンジニアリング手法を自由自在に駆使し、さらに多くの各種プロジェクト実践によりPMとしてふさわしいPMコンピテンシー(高い成果を出している人に共通して見られる行動特性)を高める必要があると思います。
 しかし、そういう筆者もまだPMプロフェショナルとしてはまだこの時点では未熟であり、さらなる各種実践プロジェクトを通して研鑽する必要があると1990年頃(この時、筆者は45歳)は思っていました。
 プロジェクトと言ってもこれまで筆者が経験した対象はまだまだ狭い分野であり、日本及び海外を含め多種多様なプロジェクトが存在します。

例えば
  1. ① 大規模・複雑なもの
    都市開発、大型プラント、空港設備、金融システム、総合病院システム建設
  2. ② 地域的広がりの大きなもの
    電気通信事業、鉄道事業、水道事業、高速道路事業、各種インフラ関係
  3. ③ イノベーションにかかわる不明瞭なソリューション事業
    新技術の開発と事業化、新事業開発、IT戦略、地方創生等々
 その他、上記以外にも多くの対象プロジェクトがあるが、チャンスがあれば多いに実践してみたいと考えているものもありました。実際これまで実行してきたプロジェクトは石油化学の大型プラント設備、金融プロジェクト、そして電気通信事業(ただしJICAコンサル)などであったが、地域的広がりのあるプロジェクトではプロフェショナルへの歩みー6にて説明のオフサイト設備がインフラ関係ということになるがまだ本格的な対象ではないと思っています。
 その後、T国以外での金融システムプロジェクトも引き続きT国の経験から受注し、このプロジェクトをPMとして基本設計まで行いましたが残念ながら病気となり途中でほかの人間にPMを譲り、一か月ほど病気療養することになりました。
 これまで移籍しての業務環境の変化にもめげず、何とかこの会社での自分の位置づけとプロジェクトマネジメントの普及と思い、少し無理が生じたと思います。
 病気治癒後、会社に出勤したら社長に呼ばれ、当分現場を離れゆっくりしてくださいと言われ、閑散とした部屋の一室で周りの状況もわからず、友達もおらず何もせずに机に座ってこれまでの経験したプロジェクトの「まとめノート」の作成をしながら一日過ごしたことを記憶しています。
 そのような状態で1週間ほど過ぎたとき、N社国際部から香港または上海に事務所を作るのでそこの代表として赴任してほしいとの依頼が来ました。
 この当時、香港はイギリス統治下時代であり、1990年代の中国は、1989年の天安門事件による国際的な制裁と国内の混乱から立ち直り、鄧小平の主導する改革開放政策が本格的に加速した時期です。政治的には共産党の一党独裁体制を維持しつつ、経済面で市場経済化を推し進め、目覚ましい経済成長を遂げていました。
 赴任した時期は確かに経済的成長に従い多くの国が中国へと触手を伸ばしていた時期でもあり、筆者は上海にも興味もあったがなんとなく香港に決めました。その理由は、少し離れて香港から中国を見たほうが良いと思ったからです。
 しかし、これまでPMプロフェショナルを思考していた筆者から見れば場違いな職域となり少し悩みました。
 その上、この事務所は所長一人と秘書だけであり、やるべき仕事は「香港周辺に於けるビジネス調査」ということでかなり漠然とした幅広いミッションでした。一人事務所に限界もあったので調査については香港の調査会社に依頼し、その他は大手商社からの情報収集に頼り、毎月、筆者の見解を含めた報告を本社に送るという仕事でした。
 事務所は湾仔(ワンチャイ)の高層ビルの25階にあり、海向こうの九龍が良く見え、景色も最高であり、通勤もグランドハイエットホテルのアパートメントから歩いて5分ほどであり居心地は最高でした。この当時の香港はなんとなくキラキラ輝いていた都市に感じ、そこに集う若者たちも明るく元気な様子でした。
 このような状況下で人間関係を作りながら調査活動とそれと並行してビジネス発掘等も行いました。幸いに香港も中国も経済的にも上り調子のころであり、またN社の事務所ということもありかなり大手の華僑投資家や日本の商社にも接触できるようになりました。
 このような環境下での活動から考えてみると多くのビジネス情報を得ることができ、自ら作り上げるプロジェクト生成のできる場にあったと考えました。すなわちマーケティング商品やサービスを作り出しプロジェクトの基を生成する活動と筆者は捉えました。
 その中でも前述の③「イノベーションにかかわる不明瞭なソリューション事業」に相当する仕事と思い、頑張ってみようと思いました。
 情報収集の仕事は調査会社の報告に他企業や香港テレコム等などからの情報を加え精査した上で毎月本社に報告すると同時に新しい案件の発掘にも力を入れました。

 来月はこの香港での活動について話をします。

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