グローバルフォーラム
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「グローバルPMへの窓」(第187回)
60年ぶりの南米旅行――プロジェクトマネジメントで考える その1

グローバルPMアナリスト  田中 弘 [プロフィール] :8月号

 7月22日(現地時間)パリCDG空港発エールフランスAF468便は22時45分にアルゼンチン ブエノスアイレス エセイサ国際空港に着陸した。この瞬間、筆者の30年来の夢であった、60年ぶりの南米への再訪がかなった。羽田からパリでの乗り継ぎ一泊を含めて53時間の長旅であったが、夢の実現で、疲れもなく喜びに浸っている。

 今ブエノスアイレスに居るが、真冬である南米南部は6月に記録的寒波を経験し、現在も最低気温1度から-1度、最高気温が13度くらいと、7月の平均気温15度/8度よりはるかに低い。

 大学の4年間、ラテンアメリカ研究会に所属し、中南米の研究に没頭し、4年次には1年休学し、ペルーを主体に、チリ、ボリビア、アルゼンチンにフィールド調査にでかけるほどのめり込んだ。社会人になっても所属企業が南米で3つの大きな製油所プロジェクトを遂行中であったので、スペイン語の文書を英語にするなど27歳くらいまでは南米とは縁があったが。しかし、28歳から34歳までインドネシア担当となり、その間一回だけペルーのプロジェクトに赴任する道が開きかけたが、インドネシアのプロジェクトの完成遅れで、南米を再び訪れる道は閉ざされ、以来、南米はまさに遠い国となった。フランスの教員時代に、南米からの大学院生、また、2010年からの日本の協会AOTSの年々の2週間研修でメキシコ、コロンビア、ブラジル、ペルー、アルゼンチン、チリ、パラグアイからの研修生に出会った際、休み時間がスペイン語を話す機会で、短い中南米談義ができるのが精々であった。もう一度南米に行きたいという思いは30年前からあり、子ども達からも、いつ南米に行くの、と、いつも尋ねられていた。

 今年に入り、研修の頻度が下がり、時間の余裕ができ、また、もうじき82歳となると、遠い南米まで出かけるのは今年がラストチャンスであろうと、家族の賛同を得て、本年1月に一人での旅行を計画し、すべての手配を粛々と行ってきた。

 会社時代の後半、PMAJ理事長時代、大学院教員時代は、いつも遠距離の海外旅行はほぼ単独行で、旅の手配もすべて自分で行ってきたので、手配で苦労することは無かった。しかし、もう「若くはない」ため、実施段階では十分リスク対策をしつつ、訪問する都市を楽しみながら、アルゼンチンとチリの社会・経済状態を自分の目で確認したい。そして、2010年代後半にプロジェクトデザインとマネジメントの指導をした研修生(農園オーナー、鉱山会社部長)とのキャッチアップ面談を行って研修成果の生かし方のヒアリングを行いたい。ついでに、スペイン語力を2週間強の両国滞在で強化したい。

 ひとは、老齢期に入ると人生のやり残しのチェックに入り、一つでもつぶしたいと思うであろう。筆者もその一人で、海外活動の機会をいただいた大体の国には、お礼参りのように、60歳代後半から70歳代に再訪できたが、親交の深い、自分の研究者としての学籍があるウクライナは戦時下でとても訪問できる状態にはない。となると行くのは南米しかない。南米は、筆者にとって初めての外国でグローバル人としての基礎を教わった地であるので、今回の再訪は人生のかけがえのない一コマとなっている。

 60年前に南米に1年間滞在した際も、計画や実施は、完全にプロジェクト形式で進め、学生である自分から、お世話になる大人の方々への調査旅行の趣意書(ミッション・ステートメント)の作成から始めて、財力のない学生のバックパック旅行の奔りでもあったので、コスト最小でいかに長く現地に滞在できるかを極める旅であった。親戚のコネで便乗させてもらった南米チリ往復の鉄鉱石運搬船の手配だけは事前に行えたが、インターネットも勿論存在せず、日本には南米のガイドブックも無い時代だった。神田の古書店で探し当てた英国で戦前に発行された英語の南米ハンドブックを頼りに現地での凡その旅程を立てた。あとは今で言うところのアジャイル・プロジェクトマネジメントを使い、現地で足を頼りに今居る都市と、次に訪れる都市への移動手段や、都市情報を収集しながらのローリングウェーブ計画で進めた。

 60年経って、また南米旅行のプロジェクトを実施することになったが、今回の3週間弱の旅行は、プロジェクトマネジメントのプロセスに乗せて緻密に計画し、実行するバージョンである。

 次号から3回に分けて、構想化・計画化段階と実施段階をプロジェクトマネジメント風に紹介したい。

 今回の旅行は、東京起点で、往復パリ経由アルゼンチンのブエノスアイレス、コルドバ、チリのサンチャゴ。ラ・セレナ/コキンボ、アルゼンチンに戻りメンドサ、ブエノスアイレスを目的地とする。南米での訪問ルートを下図に示す。左が太平洋岸のチリ、右が大西洋側のアルゼンチン中部であり、首都ブエノスアイレスは黄色の部分で大河ラ・プラタ川に面する。60年前の旅行は、チリのコキンボ市(地図でラ・セレナと記載がある市の隣の市)から始まり、ペルー、ボリビアを経由してアルゼンチンに入国したが、今回はブエノスアイレスから始まり、コルドバ(300万都市)を経由してチリに入る。

田中アルゼンチン、チリ旅行ルート(矢印は訪問の順序)
田中アルゼンチン、チリ旅行ルート(矢印は訪問の順序)

田中アルゼンチン、チリ旅行ルート(矢印は訪問の順序)
ホテルの朝食会場(ブエノスアイレスはヨーロッパ以上にヨーロッパである) © Argenta Suites Belgrano

 次号では旅の構想化とフロントエンド・計画について書く

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