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「エンタテイメント論」(205)

川勝 良昭 Yoshiaki Kawakatsu [プロフィール] :6月号

エンタテイメント論


第 2 部 エンタテイメント論の本質

7 本質
●前号で議論したこと
 前号で「法律に於ける立証責任」の一つとして「刑事事件に於ける立証責任」を解説した。しかし「民事事件に於ける立証責任」の解説が不十分であった。ついては本号で追加解説し、併せて前号で約束した通り、「経営に於ける立証責任」を解説したい。

 さて筆者は、以前は「夢工学」の長期連載を、今は夢工学に基づく「エンターテインメント論」の長期連載を、PMAJの活動に協力する形で投稿してきた。しかし何故、PMAJ活動と直接関係しない「法律に於ける立証責任」の問題を議論するのか? 改めて本号で其の理由を述べたい。

 其の理由とは、此の問題が我々の「基本的人権と生命(冤罪で死刑になる事)」に直接関わるからである。また本号で解説する「経営に於ける立証責任」の問題、特に「新事業プロジェクトの成功」の立証問題にも深く関わるからである。更に此の問題の「本質」を理解している人物と理解してない人物は、其の人物の今後の「仕事人生」と「生活人生」を大きく左右するからでもある。

出典:理解する。理解しない。
出典: 理解する。理解しない。
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●映画やTVドラマで刑事に依る「アリバイ証明」の追求シーン
 本号を書き始めた頃、デスクのTVをチラッと見た。TVドラマの名前は知らなかったが、刑事が「アリバイ証明」を追求するシーンを偶然見た。「あなたは其の時、どこにいたのですか?」、「その事を証明する人はいますか?」と厳しく尋問する。尋問された人物は、必死になって答えていた。

 筆者が最も恐れる事は、此のシーンを見た多くの視聴者が「アリバイ証明」の責任は自分にあると思い込む事、そして本稿の読者を含む多くの日本人が其の様に思い込んでいる事である。

 筆者は声を大にして主張したい。「アリバイ証明」の責任は日本国民に一切無い。アリバイ証明責任を含め、訴追する責任は国である。尋問した刑事は刑事失格者である。逆に訴えられる。しかし此の事を知っている日本人は全体の何%いるだろうか?

 筆者は昔、アリバイ追求シーンを見たら、そのシーンを書いた映画脚本家やTVドラマ原作者などに「アリバイ証明を市民に求めるシーンを放映する事は法律違反であり、憲法違反である」と書簡に纏め、其の都度、彼等に送った。しかし彼らからは一切の返事はなく、完全に無視された。今は書簡など作成しないし、送らない。しかしどうしても気になるので「本稿」で指摘した。

 それにしても日本の法学者、裁判官、検察官、弁護士など法曹界の人物達は、常日頃、映画やTV番組を見るだろう。彼等は何故、筆者の様に法律違反や憲法違反である事を映画業界やTV業界に訴えないのか? またマスメディアを活用して国民に訴えないのか? それで「法の番人」が務まるのか。それで「正義」が貫かれるのか。考えれば考えるほど、頭に来る!

●民事事件に於ける立証責任
 戦後の憲法と刑事訴訟法で、既述の通り、刑事事件に於ける立証責任は、全て国(検察側)が負うと定められ、実施されている。此の事で「冤罪の悲劇」を避け、「国民の基本的人権」を保護している。

 一方民事事件に於ける立証責任は、憲法と民事訴訟法で、訴えを起こした原告側が負うと定められ、実施されている。此の事で「民事上の権利の保護」と「権利の乱用」を防止している。例えば「貸した金を返せ」と裁判所に訴えた場合は、訴えた原告側は「貸した証拠となる証文など」を被告側に示す「立証責任」を負う。原告側と被告側は、証拠物件の正当性を弁護士を通じて法廷で争う。

 原告側の訴えが正しいか? 被告側の抗弁が正しいか? この法廷闘争に決着を付ける人物が裁判官である。もし地方裁判所や簡易裁判所の裁判官の判決に不服&不満を抱いた側は、高等裁判所、そして最高裁判所の場で争う事が出来る。此れは刑事事件でも同じである。

出典:裁判官
出典: 裁判官
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●経営に於ける立証責任(証明責任)
 「経営に於ける立証責任」とは、法律に於ける立証責任と同様、立証せねばならない者が立証出来なかった時、その不利益を負う責任の事を云う。

 しかし経営の世界では「立証責任」とは言わない。「証明責任」と言う。けれども筆者は、法律と経営の夫々に於ける証明の問題を際立たせて比較する為、敢えて「経営に於ける立証責任」と云う表現を以下で使った。

 「或る物事」が正しいか? 「或る物事」が成功するか?と云う問題を立証する事は、法律の世界でも、経営の世界でも、全く同じ様に困難を極める。時には不可能な場合がある。更に立証する責任を誰が負っているか? 此れに依って「或る物事」のその後の展開で決定的な違いを生む。

 例えば、或る企業で、或る人物が、或る新事業プロジェクトを企画・開発し、其れが成功する事を立証する事は、極めて難しい。しかも当該プロジェクトの成功の立証責任を誰に負わされているかに依って当該プロジェクトが左右され、消滅する事が多い。

 経営に於ける立証責任を負わされた人物とは、日本の大企業や中堅企業の場合、社長ではなく、部下の役員兼企画部長の様な人物である場合が極めて多い。中小企業やベンチャー企業の場合、社長自身である事が多い。しかし社長でなく、役員や部長が負わされている場合も結構多い。

 さて提案された社長は、もし立証責任を負った役員兼企画部長の提案の内容や成功の立証内容に疑問を持った場合、YesやNoの意思決定をするまでもなく、当該提案の再検討の差し戻しをする事が容易に出来る。

 また提案された社長は、もしYesの意思決定をして当該プロジェクトが失敗したら、其の責任を負わなければならない。それを避けたいと考えた場案は、YesやNoの意思決定をせず、ちょっぴり疑問を提示するだけで、当該提案の再検討の差し戻しを容易に出来る。

 いずれの場合でも、社長自身が立証責任を負わされていない。部下が負っているので社長の地位は安泰である。

出典:社長への提案
出典: 社長への提案
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●経営に於ける立証責任問題=経営の意思決定問題
 経営に於ける立証責任の意義と責任所在は、上記の通り、新規事業プロジェクトの実現と成功を左右する。言い換えると「立証責任問題」こそが世に云う「意思決定問題」そのものでもある。

 日本の大企業や中堅企業に於いて、社長から「新事業プロジェクト」の企画・開発を命じられ、検討の末、社長に提案する部下、また部下自身が新事業プロジェクトを企画・開発し、社長に提案する部下は、当該プロジェクトの成功の立証責任は、全てを自分に負わされていると理解している。中小企業やベンチャー企業の社長は、自ら立証責任を負う事が多い。しかし部下に負わせる社長も結構いる。

 さて困った事がある。既述の通り、其れは、日本の殆どの会社で「或る物事」を企画・開発する前から、また社長に提案する前から、企画者、開発者、提案者などの本人が「新事業プロジェクト」の立証責任を負う事は当然であると考えている事である。

●アリバイ証明の要求は日本国憲法違反
 さて刑事が警察取り調べ室などで「あなたは、其の時、何処にいましたか?」 「その時、あなたが他の処にいた事を証明する人はいますか?」などと「アリバイ証明」を迫る場面が日本の多くの映画やTV番組などで昔も、今もよく出現する。

出典:困った。
出典: 困った。
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 更に困った事がある。其れは、社長が会社の将来を決する様な重要な「新事業プロジェクト」に挑戦せず、責任を回避している場合がある事である。しかも本人はその様な疑いを微塵も考えない事である。

 更に更に困った事がある。其れは、社長への提案を説得で出来なかった事を本人が恥じたり、悔やんだり、自分の企画・開発の不十分さや立証努力の不足を反省したりする事である。また社長も部下と連帯して立証責任を負うべきだと誰も考えていない事である。その結果、日本の大会社や中堅会社で社長が部下と連帯して立証責任を負う会社は殆ど存在しない。

 困った事を通り越して腹立たしい事がある。其れは、日本の経営学者、評論家、経営者達までが事業成功の立証責任の意義と責任所在を経営に於ける意思決定の問題の外に置き、此の意義と責任所在の観点から意思決定の問題を論じた本や論文などが筆者の知り得る範囲で存在しない事である。

出典:怒る。
出典: 怒る。
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●事業成功の立証責任を連帯して負ってくれた筆者の上司の社長と知事
 大阪のハリーポッターで有名な「大阪USJ」は、その根源となる事業プロジェクトは、「新日鐡MCAユニバーサル映画スタジオ・プロジェクト(USJ)」である。筆者は新日本製鐵勤務時代、新日鐡USJの開発総括責任者に任命され、其の実現に挑戦した。余談であるが、本プロジェクトを新日鐡に持ち込んだ人物は、MCA社のトップから要請された「映画監督:黒澤 明」である。

 此の挑戦は、大阪USJ開園の10年前の出来事であった。筆者は新日鐡USJの成功の立証責任を100%負わされた。しかし新日鐡社長と、社長と筆者の間にいた副社長は、筆者の成功の立証内容を疑問視し、中止とした。しかし其の10年後、筆者の事業成功の立証内容は正しかった事が大阪USJの成功に依って歴史的に証明された。

 前号で解説の通り、筆者はセガ社の中山 隼社長から直接スカウトされ、同社の事業開発総責任者に就任。同社初のセガ式テーマパークである「ジョイポリス事業プロジェクト」を企画・開発した。同社長は其の成功の立証責任を筆者だけに負わせず、社長も連帯して負い、成功させる為の具体的方策を考えて筆者に提示。最終的には筆者の上申計画案を全面的に信じて承認した。

 筆者に依る「初のセガ・ジョイポリス事業」の大成功とそれに続く「ジョイポリス全国多館事業」の大成功に岐阜県の梶原 拓知事が注目。筆者は知事の直接スカウトを受け、公務員試験を経て「岐阜県三役(知事、副知事、理事)」の「岐阜県理事」に就任。知事の要請で筆者は「バーチャル&リアル水族館プロジェクト」や「昭和村」を企画・開発した。知事は其れ等の事業の成功の立証責任を筆者だけに負わせず、知事も連帯して負い、成功させる為の具体的方策を考え、成功させるために様々な支援をしてくれた。上記のプロジェクトは現在も成功している。
つづく

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