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学力喪失  ――認知科学による回復への道筋――
(今井 むつみ著、(株)岩波書店、2024年9月20日発行、第1刷、320ページ、1,160円+税)

デニマルさん : 6月号

先日、「2025新書大賞」が発表されました。この新書大賞は、中央公論新社が主催する1年間(2023年12月~2024年11月の期間)に刊行されたすべての新書(1100点以上)から、その年「最高の一冊」を選ぶ賞です。選考資料には、有識者、書店員、各社新書編集部、新聞記者など新書に造詣の深い方々100人が投票した結果であるとあった。そこで大賞に輝いた新書は『なぜ働いていると本が読めないのか』(三宅香帆著、集英社)である。この本は、このコーナの今年3月号で取り上げています。ご興味がありましたら、ご一読下さい。さて今回ご紹介の本は、その「2025新書大賞」で第8位にランクされたものです。それと著者の今井氏が書かれた『言語の本質』(秋田喜美と共著、中央公論新社)は、「2023新書大賞」にも選ばれ、ここで既にご紹介済み(2023年9月号)だったのです。何かと著者とはご縁がありますが、著者の専門分野である認知科学や発達心理学に筆者が興味を持っているからでしょうか。前段が長くなりましたが、本題に入りましょう。先ず、題名の「学力喪失」について、喪失の意味から自信喪失や記憶喪失をイメージしますが、本書のポイントはサブタイトルの「認知科学による回復」(学力をどう回復するか)を具体的に書いている。この本書では、子どもたちが本来持つ「学ぶ力」を学校教育の中で十分に発揮できない原因を探り、その回復への道筋を示している。それを認知科学の視点から、子どもたちが持つ本来の「学ぶ力」を引き出す実践的な方法を詳しく解説している。本書の概要は後述しますが、筆者が関心を持ったのは、幼児の言語取得のプロセスにある「記号接地」の考え方が共通している点である。更に、生成AIのビッグデータを知識として活用している様に見えるChatGPTの内部プロセスにも繋がっていると思われる点です。ここで述べた「記号接地」の考え方(記号接地問題については、先に紹介の『言語の本質』に詳細説明されている)が重要である。以上を整理すると、「言語の理解」と「学ぶ力」は『記号接地』が問題解決のキーポイントとなる。本書の最終章に“人間にとっての記号接地ついて”の説明がある。一部引用すると『人間とは、問題解決に成功するだけを目的として探求する生き物ではない。モノに身体で触れて、つかみ、動かし、モノの理解を深めようと努める。同時にモノの仕組みも理解しようとする。言語は、まさにその延長上にある。そして抽象を極めた数学や科学の世界、実世界を抽象的に表現する芸術の世界は、さらにその延長線上にある』と著者は定義している。著者をご紹介しよう。1989年慶応義塾大学大学院博士課程修了。1994年ノースウエスタン大学心理学部Ph.D.取得。専門は認知科学、言語心理学、発達心理学。主な著書に『学力喪失』『ことばと思考』『学びとは何か』『英語独習法』(すべて岩波新書)、『ことばの発達の謎を解く』(ちくまプリマー新書)など。共著に『言語の本質 ことばはどう生まれ、進化したか』(中公新書、「新書大賞2023」大賞受賞)、『言葉をおぼえるしくみ』(ちくま学芸文庫)、『算数文章題が解けない子どもたち』(岩波書店)などがある。日本認知科学会フェロー。

学力喪失(その1)          学力とは何なのか?
著者は、冒頭に『学力とは何かについて、ほとんどの大人は「学校での成績」と答えるだろう。しかし、学力は学ぶ力の集積結果なので、プロセスである「学ぶ力」が充分発揮されたかを評価すべき』と書いている。そこで学校で学ぶ目的を考えると、多くの人は知識をもっと増やすためと考えていないか。即ち、教えてもらった知識の断片を「覚えること」が学校ですることだと思ってしまい、その結果、学ぶ力を喪失してしまっているのではなかろうか。言葉を変えると「学力」とは、学校の成績ではなく「学ぶ力を養うこと」=『生きた知識』を発揮する力でなければならない。教育の場では、「学ぶ力」を身に付けるために、教える先生側も学ぶ生徒側も、社会のすべての大人が真剣に問い、考えなければならない点にある。自分が身に付けた知識が使われて、新たな知識を考え出すことで『生きた知識』が生まれる。著者は発達心理学者として、『生きた知識』が作られるプロセスと、乳幼児の言葉を習得する過程が合致しているので、記号接地のサポートで「学力向上」が可能であると述べている。

学力喪失(その2)          学力困難の原因とは?
本書は、子どもたちが学校等の教育過程で「学ぶ力」が発揮できないから学力喪失をしていると指摘している。その具体的な事例が、算数や国語等を学ぶ過程での挫折にあるという。
算数の場合は、四則計算は得意だけど、分数や割合あたりから不得意になる。特に、小数点から分数になると困難の壁が立ちはだかる。増してや、その四則演算ともなると数の概念が正しく理解されていないと先に進めない障壁となる。結果、分数と小数と整数の関係が不理解となり、算数の学習が不得意科目となるケースが多くなる。加えて、算数の応用問題として文章の読解力が求められる問題に直面すると、益々理解が難しくなり算数が学力喪失の原因ともなっている。一般的には、小学校高学年の算数で躓くと、抽象度が増す中学校の数学はお手上げになるケースが多い。そこで中学校の数学で躓かないためには、まず小学校の算数の理解が必須となる。著者は算数の初期段階での壁をキチンと乗り越える方法は、初期の基礎に戻って対処する努力が必要と言い、その解決策を認知科学の観点から纏めている。

学力喪失(その3)          学力回復への道筋
最後に学力喪失を如何に回復するかについても、具体的な対処策を紹介している。この具体策には学力回復の方策も書かれているので、本書を読んで頂きたい。その中でAIの急速な発展から教育現場での問題等を含めて考察している。先ず生成AIの教室への導入については、短期のパフォーマンスで評価すべきでなはないとし、5年、10年先にどうなっているかを考慮すべきである。その評価で最も重要な点は、どういう知識を持ったかではない。自立した学び手が育ち、やりがいを持った充実した生活が送れているかを評価したい。最終的に「生きた知識を身に付けられるか」である。学びの効率化ではなく、自らの学ぶ力でどんな変化にも対応できる「学び」を期待し、今後の生成AI活用を見守りたいと結んでいる。

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