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「エンタテイメント論」(196)

川勝 良昭 Yoshiaki Kawakatsu [プロフィール] :7月号

エンタテイメント論


第 2 部 エンタテイメント論の本質

7 本質
●原因説 その4 日本人は自己主張を余り強くしない事、Debate(論争)に不慣れな事などが英語力の習得の障害
1 日本の英和辞典の不正確性

 日本人は、ハイ・コンテキストの文化特性を持つ中で特に「相手の気持ち」を汲む気質を強く持つ為、相手の意見や思いをよく聞く。その結果、自己主張を余り強くしない。しかしロー・コンテキストの文化特性を持つ中で欧米人は子供の頃から鍛えられたせいもあり、自己主張が極めて強い。またハイ・コンテキストの文化特性を持つに拘わらず、中国人や韓国人などアジア大陸人は自己主張が極めて強い。なおアフリカや南米の国民の事まで筆者は知らないが、欧米の植民地支配を受けた国の国民は自己主張が強いと聞く。

 欧米人、中国人、韓国人などは、対話の相手が日本人の場合、「日本人は何を言いたいのか?」や「何を考えているのか?」がよく分からないと度々指摘する。日本人は彼等と英語で意志疎通する時、英語力の問題以外に日本人が自己主張を余り強くしない事が此の指摘を生み、意思疎通の障害を起こしている様である。

 さてDiscussionとDebateを日本の簡易な英和辞書や電子英和辞書で調べると、両方共「討論」と訳されている。分厚い英和辞書で調べると、Debateとは公開の場で賛成と反対に分かれて論争する事と訳されている。しかしDiscussionでも賛否に分かれて論争をする事がある。これでは両者の違いが分からない。ズバリ言って、日本の英和辞書や電子英和辞書はいい加減である。此れが日本人の英語力の習得の障害になっているのではないか?

出典:辞書と電子辞書
出典:辞書と電子辞書
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 そもそも電子辞書は大量の情報量の保存が可能で且つ瞬時に読み取れる。従って具体的に、正確に、長文の邦訳内容でも十分に保存が可能。にも拘らず、市販の電子英和辞書はどれもこれも通常の簡易な英和辞書の内容をそのままで電子化させただけである。

 Debateとは、賛否に別れて論争するが、Discussionと異なり、どの主張やどちらの主張が正しいかを第三者が評価し、勝敗を判定する論争を行う事を云う。Debateの語源は、古フランス語のDebatre(戦う)に遡る。Deは「徹底的に」、Batreは「打つ」と云う意味である。従って「言葉」で相手を打ち負かす「戦い」である。以上の様に電子英語辞書に記載できるはず。しかしどの電子英語辞書にも此の様に書かれていない。辞書は単なる邦訳だけでなく、当該英語の言葉の本質まで邦訳するべきである。

2 欧米の小学校から始まるShow & Tell 教育=Debate教育
 欧米では小~中~高の教育過程で学生は一貫してDebateの訓練を受ける。大学や大学院でもDebateで論争し、戦い、勝敗を付けている。大学や大学院を卒業した彼等は、実社会で第1歩を踏み出した時、先輩達と臆せずDebateできる基本的パワーとスキルを既に手に入れている。

 さて筆者は新日本製鐵勤務時代の課長の頃、同社の米国ニューヨーク事務所の駐在員の命を受け、家族と共に赴任した。同事務所はNY市マンハッタン・ミドル地区のグランド・セントラル駅の近くにあった。筆者が家族と共に住んだ自宅は、同駅から北に電車で半時間程で到着するスカースデール駅から徒歩10分程の一軒屋であった。

 筆者の長女は低学年で地元のスカースデール小学校に、次女は近くの幼稚園に夫々通った。休みの日は二人共、日本語学校に通わせた。家内も娘二人も英語で苦労した。勿論、筆者も。

 長女は小学校で生徒の前で何かを見せて話すと云う「Show & Tell」のレッスンを受けた。次女が通った幼稚園では此のレッスンは無かった。長女は「Show & Tell」のレッスンの日はいつも泣いて帰ってきた。親としてどうしようもなかった。「頑張って!」と励ます以外なかった。

出典:Show and Tell
出典:Show and Tell
出典:Show and Tell
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 このレッスンではクラスの先生はガイド役と審判役をするだけ。本人は他の生徒達に「何か」を見せ(Show)、其れに関する解説(Tell)をする。生徒達はその解説内容について質問、批判、反論などを自由に行う。本人はその質問に答え、反論を打破し、自説を頑張って主張する。先生は生徒達のやり取りを聞き、その内容を評価し、生徒達に伝え、本人を褒めたり、励ましたりする。しかし先生は必ず勝敗を内々判定する。

 しかし長女は質問責めに遭い、自説を批判され、反論され、どうしようもなく、度々泣いて帰って来たのである。その後、長女は負けてなるものか!と密かに決意した様であった。Show & Tellのテーマで選んだモノ、「カブトムシ」だったと記憶する。カブトムシに関する本や雑誌を近くの図書館から借りて来て調べたり、学校の理科の先生に聞いたりなど懸命な情報収集をした様であった。

 その結果、次回のShow & Tellを実施した日、彼女は喜び勇んで「笑顔」で帰ってきた。生徒達から大きい「拍手」を得た事や先生から褒められた事を家内に報告した。

 その後、筆者は駐在を終え、家族と共に日本に帰国した。筆者は娘二人に体に沁み込んだ英語を消さない為に、覚えた言葉を文字に転換させ、頭に定着させる為に、更に新たな英語力を獲得させる為に「英語教室」に通わせた。と同時に日本語を正確に使える様にする為、多くの帰国子女が進む各種の国際大学の付属中学や高等学校に学ばせず、通常の中学や高校に進ませた。

 因みに長女は日本の某音楽大学を卒業後、180度方向転換し、米国の某大学と某大学院を卒業。建築家になり、米国の建築設計会社に勤務し、現在在米中。次女は日本の某大学と同大学院を卒業。血液癌の専門医になり同大学付属病院に勤務中。娘二人は何度も語った。在米中と帰国後で獲得した英語力は大学入試と入学した大学と大学院での勉学に大変役立ったばかりか、卒業後の現職の専門職の遂行にも極めて役立っているとの事である。

3 日本の学校教育でDiscussion教育は存在、Debate教育は不在
 Show & Tellは大人でも実行すれば、大変な知的論争と知的勝負を強いられる。それを小学生が実行するのである。まさに小学生版Debateである。

出典:Discussion VS Debate
出典:Discussion VS Debate
出典:Discussion VS Debate
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 米国人は小学校~中学校~高校~大学~大学院と進む教育過程で数えきれない数のDebateの洗礼を受ける。と共に学外でも仲間達や接する社会人とDebateするのである。しかし日本の教育課程でDebate訓練は存在しない。学外での〇〇討論会、△△弁論大会などがあるだけである。

4 全世界が注目する米国大統領候補者討論会=米国最重要国家的Debate
 日本のテレビ、新聞、雑誌などのメディアは、バイデン現大統領とトランプ前大統領が2024年11月の米国大統領選挙に先立ち、テレビ一般公開方式での「大統領候補者討論会」を開催する予定であるといずれ報道するだろう。そしてテレビ生中継をするだろう。

出典:トランプ前大統領とバイデン現大統領のDebate
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 大統領候補者二人は、夫々が自説と近未来展望などを主張するが、これは「討論会」ではない。此の二人は選挙の勝敗を決着させる目的で論争する。そもそも勝敗を決着させない論争はDebateではない。

 大統領候補者二人の論争こそが全世界が注目する米国最重要国家的Debateである。従って日本のメディアが云う「大統領候補者討論会」は完全な誤訳である。このDebateを評価し、勝敗を決定する人物は米国民である。従って大統領候補者はTVを視聴する米国民に向かってまさに「命懸け」で勝負するのである。

5 米国史上初の大統領候補者Debate
 1960年9月26日(月) 米国束部時間夜10時30分から米国史上初の大統領候補者DebateがTVとラジオで放送された。

 登場人物は民主党のジョン・フィツツジェラルド・ケネディ (John Fitzgerald Kennedy)、共和党のリチャード・ミルハウス・ニクソン(Richard Milhous Nixon)であった。質問者5名、司会者1名、両候補による8分の冒頭演説と8分の結びの演説の間に、5人の質問者が両候補者に質問をする記者会見方式が取られた。

 ケネディの演説の概要の一部のみ以下に記載する。  「1860年の選挙に於いてエイブラハム・リンカーンは、この米国が半分の奴隷と半分の自由人に別れて存在していけるのか?と云う問いを投げかけた。1960年の今回の選挙に於いて国民に問いたい。我々を取り囲む世界が半分の奴隷人と半分の自由人に別れて存在していけるのか?今後、我々は自由の方向に進んでいくのか? それとも奴隷の道を進んでいくのか?」

出典:ジョン・フィツツジェラルド・ケネディ (John Fitzgerald Kennedy)
出典:リチャード・ミルハウス・ニクソン(Richard Milhous Nixon)
出典:ジョン・フィツツジェラルド・ケネディ (John Fitzgerald Kennedy)、
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リチャード・ミルハウス・ニクソン(Richard Milhous Nixon)
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 1860年のリンカーンは選挙の争点であった黒人奴隷の解放を訴えた。ケネディは、自分自身をリンカーンに重ね合わせ、米国内の差別だけでなく、1960年の当時、冷戦下の共産圏で自由を失った多くの人々の解放も訴えた。ケネディは1860年にリンカーンの訴えた内容を100年後の1960年に蘇らせた。

 此のケネディとニクソンの大統領候補者Debateが歴史に残る最初のDebateとなった。その後の大統領選挙の1967年にも実施された。その結果、其の後も、延々と引き継がれ、2024年に至っている。

 民主党のケネディは、このDebateの後、共和党のニクソンと歴史的接戦の末、わずかな票差で彼を破って当選。1961年1月20日に第35代アメリカ合衆国大統領に僅か43歳で就任した。

 ケネディ大統領は1963年11月22日、翌年の大統領選挙キャンペーンの為、テキサス州フォートワースからダラスに到着。市内をオープンカーでパレード中に、多くの市民が見ている前で狙撃され死亡した。大統領就任後わずか2年10か月の短い在任期間だった。にも拘らず、ケネディ大統領は数々の偉業を成し遂げた。なお暗殺の犯人はリーハーヴェイ・オズワルドと言われている。しかし彼はダラス警察で捕まり、署内でジャック・ルビーによって射殺された。そのため暗殺の真相は今も不明。

6 ケネディ大統領が憂いた世界の自由人と非自由人(奴隷)の問題は今も存在。
 ケネディ大統領が今から半世紀以上前に憂いた1960年の世界に存在した自由人(民主国家の国民)と非自由人(共産主義国家の国民=奴隷)」の問題は、2024年の世界でも存在する。現在のロシア、中国、北朝鮮などの国々の動きを見れば、此の問題は全く解決されておらず、むしろ問題の範囲が広まり、より深刻になっている事が分る。

 最後に、日本人がDebateに不慣れな事は、英語力の習得の障害となるだけでなく、厳しい生存競争で生き残り、激変&激動する世界で挑戦的に発展せねばならないビジネスの世界でも障害になっている。

 しかし勝つ事を目的とした知的論争のDebateで不正行為、違法行為、詐欺行為、誘導行為などは絶対に許されない。理性的、感性的、人間的、倫理的、道徳的な観点からの論拠、証拠、事実などを可能な限り提示し、己の自説、信念、志、そして「夢」を基に相手を説得又は打ち負かすDebateに筆者を含めて一人でも多くの日本人が慣れることである。
つづく

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