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「きぼう」日本実験棟開発を振り返って (37)
―ロシア語の没入訓練―

宇宙航空研究開発機構客員/PMマイスター 長谷川 義幸 [プロフィール] :12月号

○ 日本人宇宙飛行士もロシアで訓練
 初めてロシアを訪問することになり駐在員の車で、モスクワ中心部から北へ1時間ほどいき幹線道路から分岐した道を森へ向かって行きました。すると行き止まりになり、高さ3メートルほどのレンガ塀と衛兵詰め所がありました。ここが1960年設立のガガーリン宇宙飛行士訓練センターで宇宙飛行士や家族が住んでいます。食堂が数件(内1件は宇宙飛行士専用)、スーパーや小型食料品店が数件ありました。英語はほとんど通じません。そもそもはロシア空軍の管轄下にある施設で40年前であれば、車の通行証がなければ出入りできませんでした。2009年4月にロシア連邦宇宙局に移管されました。ロシアに3つある宇宙飛行士施設の中では最大で、ロシアの宇宙飛行士の半数以上はこのセンターに所属しています。全ての門では出入りをチェックし兵士が門の開閉をしていますが、現在は民営化されたので監視・制限が緩和されています。道路をさらにいくと深い森に包まれている(NASA Cottage1~6)JAXA HPより ソビエト風の共同住宅地内に不釣り合いの西欧風タウンハウス(NASA Cottage1~6)が3棟ありました。JAXAはアメリカの宇宙飛行士と一緒に生活します。リビングもキッチンもあります。(右写真:JAXA HPより)

 冷戦終了後の1994年に、米ロ政府が打ち出した「シャトルーミール計画」を始めた時は、NASAのロシア運用部技術者や航空宇宙医師は、1974年ごろにロシア人が建てた会議センター兼ホテルに滞在し、NASA宇宙飛行士はロシア宇宙飛行士家族が集まっている古い居住区のアパートで滞在していました。ここを本拠地として、会話や技術から食べ物や飲み物まで、短期集中訓練コースに挑んでいました。凍てつく寒さと、ホームシックと、 NASAはアメリカから2×4住宅建材を持ち込み、家屋を建設し米国環境をつくりあげることにしました 小さい揉め事などで、なかなか順調には進まなかったとのこと。NASAの仲間から聞いた話では、ロシアはまだソ連を引きずっていて、モスクワ市内でもたえずロシア当局から監視されており、電話、Eメール、寝室などはロシアで安心して使えない。安心できる電話がなかったので、部屋のバルコニーに傘ほどの大きさのインマルサット(海事衛星通信)用パラボラアンテナを据え付けてヒューストンに連絡をとる独立した衛星電話をいくつか設けた。とのことでした。(1) しかし、ISS計画を本格的に始めるためにNASAはアメリカから2×4住宅建材を持ち込み、家屋を建設し米国環境をつくりあげることにしました。毎年ロシアに賃借料を払っているそうです。1998年に若田宇宙飛行士が最初にロシアに来たときも、まだインタネットもないし、FAXもつながらない状態でヒューストンとは衛星電話で連絡を取りあっていました。今ではインタネットも電話もほぼアメリカにいるように連絡ができるようになっています。

○ モスクワの駐在員事務所
 コロンビア号事故以降、NASAはスペースシャトルを退役させることにしたため、長期滞在クルーをロシアのソユーズ宇宙船で往復させることを選びました。それ以外の選択肢がありませんでした。そのため日本人宇宙飛行士もソユーズ宇宙船で往還するため、ロシアでの訓練が長時間必要になり、JAXAもモスクワに調整事務所を置かざる負えない状況になりました。ロシアとの付き合いが長い欧州宇宙機関に相談して、彼らが契約している会社とJAXAも契約し入構申請から訓練計画調整などロジスティック支援をうけることになりました。そして、元訓練センターで実務を仕切っていた幹部技術者と秘書を雇いロシアとの調整作業を行ってもらうことになりました。我々は日本人宇宙飛行士の訓練内容の確認のために事前に訓練内容の提出を求めましたが、ほとんど情報をもらえない状態でした。

 「ロシアでは、だれかに何かを話す権利を与えられていないなら、絶対にそれを口にだしてはいけない、ということになっているので上司の許可がいる。」(1) のだと徐々に内部事情が分かってきました。後で分かりましたが、NASAの駐在員も同じ経験をしていました。確かにそうでした。様々な問題や不都合などは彼らに動いてもらうと急速に事態が改善されていくのです。

○ ロシア語の没入訓練
 ロシアの技術者も教官も技術上の秘密を守ることにかけては用心深いです。しかし、過去の経験を含めてロシア宇宙開発の情報を蓄えている場所は彼らの頭の中だけでした。そのためロシア語で会話をしないと、技術が詰まった宇宙船の操作知識を授けようという信頼感はうまれないので、NASAは米国宇宙飛行士を米国文化から切り離してロシアに6週間「没入」させる訓練を導入していました。徹底的にロシア語を習得させ異文化を理解させる「ロシア語没入訓練」ですが、我々もこの訓練を日本人宇宙飛行士にも採用することにしました。
 ホストファミリーの家にホームステーし24時間ロシア漬けになる。午前中は、文法や会話、映画を教材に聞き取りなどのロシア語授業。午後は週3回、博物館やオペラ鑑賞、買い物などにでかけて教師と会話しながらロシア文化の体験。先生は最初から「語学と歴史と文化はセットで勉強しなさい」と言います。午後6時から教師の家族と夕食しながら会話。夜は宿題。若田さん、油井さん、大西さんたちもこの訓練のお陰でレベルが飛躍的にアップしました。(2)
 2012年に参加した油井飛行士は、航空自衛隊でスクランブル発進などを経験していたため、ロシアでの訓練をうけるとき意地悪をされるのではないかと、危惧していました。「最初は友達になるのが難しいのですけれど,いったん打ち解けてしまうと家族みたいに優しくしてくれて丁寧な対応をしてくれるので、よく知らずにロシアを嫌っていた自分を恥じた。」と語っています。(3)
 私は、ロシア出張中にこの訓練を行ってくれたおばさんにモスクワで会いましたが、にこにこしながら“どんな日本人でもアメリカ人でもロシア語を話せるようになるわよ。“ と自信たっぷりに英語で話してくれました。

参考文献
(1) ブライアン・バロー著、「ドラゴンフライ」、筑摩書房、2000年
(2) "新人"宇宙飛行士が体得した、異文化理解 | 宇宙飛行士はスーパー課長だった!? | 東洋経済オンライン | 社会をよくする経済ニュース (toyokeizai.net))
(3) 20160404_KimiyaYui_interview.pdf (emb-japan.go.jp)

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